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書評「宋美齢秘録」から

【「宋美齢秘録」ドラゴン・レディ 蒋介石夫人の栄光と挫折】
譚 璐美 著(小学館新書 ISBN978-4-09-825463-7)を読んだ。今年の6月に発行された、台湾の中華民国政府の雄、蒋介石の妻「宋美齢」のことを書いた本だ。

【複雑な歴史】
日本人の多くがこの本を読むと、戦前の中華圏、大陸中国と台湾、そして日本、米国などがどのように動いていて、その中心に誰がいたか?ということがわかる、と言っても良い。しかし、普通の日本人には複雑過ぎるかも知れない、とも思う。自分の場合は、台湾新聞社の日本語版副編集長職をしていた時に、多くこのあたりのことを勉強しなければならなかったので、この本は非常に興味深く読めたのだが。

【前半のあらすじ】
この本の前半は、中華民国の欧米世界、特に米国での中華民国と抗日のアピールをした一番の功労者としての「蒋介石夫人・宋美齢」がその地位に上り詰めて行く姿が書かれている。順風満帆とはいかないが、もともとは、かなり恵まれた環境に生まれた宋美齢が「世界の宋美齢」になるまでが書かれている。宋美齢は様々な利害の中心に置かれ、その美貌と頭の良さ、育ちの良さ、堪能な英語、敬虔なクリスチャンとしての強い意志などを存分に使って「中華民国を日本から救え」というプロパガンダの最先端で活躍した。いわゆる「パール・ハーバー」などは、その流れの最後にトドメを指す情報の1つであった、ということだ。パール・ハーバー以前に米合衆国国民と政府は「その方向」を向いていたのだ。当時の合衆国政府は日本に対して戦争を起こす気がほとんど無かったところ、ぐいっと大衆を引っ張り込み、日本に対しての太平洋戦争を合衆国政府に決断させたのが、宋美齢だ。この本には「パール・ハーバー」については出てこない。日米開戦の端緒はまさに宋美齢が作った、という記述だけだ。それくらい、日米開戦の端緒の大きさとして、宋美齢が大きな存在だったことを「書かなかったこと」で示しているようで、興味深い。まさにここまでは「ドラゴン・レディ」のドラマのような大活躍の時代だった。

【日本敗戦近く、運命の歯車が狂い始めた】
中華民国が米国政府から疎遠になったのは、明らかに太平洋戦争末期にルーズベルト米合衆国大統領の突然の死去で、宋美齢を筆頭とした宗家=中華民国政府が、米合衆国政府から見放され、無限と思われていた米国民の富から中華民国政府への援助が消えたから、という見方がこの本で紹介されているが、私もそうだと思う。この本での読みどころの一つは、この場面からの一連の「転落劇」にあるだろう。これもまた、エピソードの数々が小説のようで、そして複雑で、その過程そのものが「華麗」だ。

【中華民国政府への「出し渋り」が始まる】
実際、米国からの援助なしに中華民国政府は中華人民共和国政府とは戦えなかった、ということが重要なポイントだろう、と、私は思う。米合衆国政府としては、おそらく、だが、遠いアジアでの戦争に米国民の税金が浪費されるのを懸念し始めたのだろう。実際、日本との戦闘で、湯水の如く税金を戦費に使わざるをえない状況だったところから、ようやく米合衆国政府は抜け出したところだった。これ以上の「海の向こうへの出血大サービス」はできない、という判断があったのではないかと推測できる。しかしながら、それから10年経たないうちに「朝鮮戦争」が始まるのだが。
これはまさに、後のベトナム戦争の「撤退の決断」の時と同じような感じがする。「カネの切れ目が縁の切れ目」を地で行くのが米合衆国政府で、おそらくルーズベルトの死はそのきっかけとして、合衆国の官僚たちにとって最適な事件だったのではないか?このあたりもまた、この本の読みどころの一つだ、と、私は思う。

【プロパガンダで日米対立を作った宋美齢だったが】
結局、蒋介石の中華民国政府は宋美齢というエージェントを使って米国と日本を敵対させ、まず米国民を奮い立たせ、米合衆国政府と米国民に日本を叩き潰す役割を負わせ、それは成功し、日本は敗北した。その勢いで合衆国のお金を使って中華民国の宿敵たる中華人民共和国を叩き潰す心積りがあったように、本書を読んだ私には見える。しかし、いくら強大とはいえ、合衆国の財政はそこまで続かず、日本を潰したところで合衆国政府はその財政もあり、方向転換してしまったのではないか。蒋介石+宋財閥の台湾への敗走はそこで起きた。もしも、日本敗戦直前にルーズベルトが亡くならなかったとしても、同じようになった可能性は高い、と、私は思う。

【蒋介石の中華民国・終わりの始まり】
そこから、合衆国政府と中国国民党=宗家(現在の台湾TSMCにつながる大財閥)との断絶が始まったのだろう、と、私は思う。宗家もその宗家とのつながりで生きながらえてきた蒋介石の中華民国も、そこで命運尽きた。「終わりの始まり」のように宋美齢と蒋介石は感じたことだろう。私が感じるところでは「終わりの終わり」は、李登輝総統時代に戒厳令が解かれた頃で、そこから今の新生台湾が始まった、と思う。

【引き裂かれた一千着のチャイナドレス】
その米国での中華世界のパネルとしておそらく一番の活躍をした女傑「宋美齢」は、大邸宅を引き払うとき、彼女の膨大な数(一千着はあったと言われ、普段着ていたものだけでも100着はあると推測される)のチャイナドレス(彼女のチャイナドレスは命の次の次くらいに大切なものだっただろう)を全てはさみで切り裂き捨てて、ニューヨークの高級コンドミニアムに居を移したとのことだ。メルカリがあればさぞ高く売れただろうが、そういう時代でもなく、彼女はそれを出来たとしても拒んだだろう。それは自分が命を懸けて一番に大切にしてきた「中華民国とそこで生きる人たち」のこれからの運命への、自らの力足りなさへの贖罪と底しれぬ悔しさの発露の意味もあったのだと私は想像する。こういったエピソードの数々もまた、この本のあちこちにあって面白い。

【中華民国、台湾へ】
そして1949年、蒋介石の中華民国政府は中華人民共和国政府に敗れ、大陸から敗走し、台湾の台中に臨時政府を作った。しばらくは「大陸反攻」を言っていたが、今はその声も聞こえない。敗走の2年前、1947年に国民党政府は台湾で「2.28事件」を起こし、2万人以上の本省人の「虐殺」「粛清」を行った。その記憶も消えない2年後という月日。それを受け入れた(受け入れざるを得なかった)、ネイティブ台湾人(本省人)としては、食っていくためとは言え、忸怩たる思いがあったことだろう。

【おまけ1:古いピアノのこと】
ところで、この宗家の三姉妹のいずれもが、高い教育を受け、米国での留学を果たし、音楽もまた嗜んだ。私が6年前までいた東京・港区白金にあった今は廃校になっている「三光小学校」から、10年くらい前に古いスタインウェイのピアノが倉庫の奥から出てきた事があった。おそらく、戦時中にニューヨークスタインウェイから輸入されたものの、すぐに戦争が始まり「敵性のもの」として倉庫に押し込められていたものではないかと思われる。しばらくはしっかり整備されて学校の入り口に置いてあって、私も少し弾かせてもらったことがある。今思えば、それは宋美齢がニューヨークで活躍した時代のそれでは無かったか?と思う。

【おまけ2:宋慶齢のピアノも】
ついでだが、孫文夫人、宋慶齢が弾いたピアノは今でも日比谷公園の中のレストラン「松本楼」の入口に展示してある。日本国産ピアノの第一号、とのことだ。

【おまけ3:中国国民党と中国共産党】
2006年から数年だが、台湾新聞の編集部で日本語版副編集長の仕事をさせてもらったのだが、そのさらに前、2000年代になる前に、都市開発系企業と話をしていたとき、既に故人だが、中国共産党で、日中友好協会の中国側の交渉をした肖向前氏と北京飯店でお話をしたことがあった。気がつけば、中国国民党、中国共産党の両方の幹部の方々に会っていたことになる。私の以前の年代の方ならいざ知らず、自分の年代ではあまりいないだろうなぁ、とは思う。他にも様々なつながりが大陸、台湾ともにある(これは話すと長くなるので本文では割愛)。

中華世界のファースト・レディにして最強の欧米との橋渡し役であった宋美齢は、2003年、105歳でこの世を去った。

【日本、中国、台湾、朝鮮半島】
この本は、宋美齢という人を中心に置き、その周辺を丁寧な取材をし、戦前戦後の近代アジア圏の政治の複雑な関わりを、ごそっと掻き出し、読者の前に見せてくれる、という側面があり、非常に興味深い本となっている。中国や台湾と関わるビジネスをしている方々だけでなく、世界の中の日本を知るために、おそらく絶好の本の1つだろう。

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