花束と坂と
悲観的なことが目立つ世の中ですが、好きなことを仕事にできていることが、自分にとってかけがけのないことなんだと思う日々を送っております。
自分が幼少の頃は、野球選手やサッカー選手、パイロットや医師など、たくさんのなりたいが浮かび上がりそして消えていきました。決して悲観的なことを話したいのではありません。
自身の成長過程において、たくさんの諦めた夢があり、諦めたものがあったからこそ、それと同じかそれ以上の違う多くのものを手にしたのかもしれません。
もちろん幼少期から変わらず夢を追い、今もなお突き進んでいたり、その道のプロフェッショナルになし得た方も多くいるかと思います。
今もなお突き進んでいる人も、それを手にした人も、諦めて違うものを手にした人も、みんなその時その瞬間は''夢中''です。
きっと人生には、無我夢中で走り続けて、気がついたらいつのまにか元の自分より大きく成長している時がある。本人は気づかないかもしれないし、あるいはそこに意識はないかもしれない。だけど少なくとも見える景色が変わる瞬間があるように思います。
それと同じくらい何をやってもうまくいかない時もあります。頭の中でわかっているのに結果が伴わない。自分がイメージしたものにならない歯痒さ。辛さ、苦しみ。もがいてももがいても沼から抜け出せないジレンマ。自分は一体何をやっているのだろうか。
人はおそらく、そんな上下ある振幅を繰り返して人生を過ごしていくのではないでしょうか。上る坂があれば、下る坂もある。
相乗平均を見ればある一定値に収束するのかもしれないが、どんな人にもそれなりの山や谷がある。
だけど、世の中には自分の意志とは無関係に、時として非情なほどに''予期せぬ事態''が起こることもあります。怪我や事故、病気や天災など。人は日常生活においてそこに点を置いて生活している人はおそらく少なく、だけどそんな予期せぬ事態が世の中には存在してしまう。それは''まさか''である。
なんでこんなことが...想定外のことが起こるのもまたこの世の中なのです。ですが、そんな時であっても今まで経験したことや学んだ知識をフル稼働させ、自分自身の舵を切っていかなければならない。
このコロナ禍しかり、立ち止まっては何も解決はしないようだ。切り返す一人一人の一手''じゃあどうする?''が時代を未来を1mmづつ動かし、やがて大きな波になっていくのではないだろうか。そして考え行動した先には、以前とは違う新しい自分にで会えるのでないかなと思います。
上り坂や下り坂は、そんな''まさか''の事態にもきちんと対応できるための人生の壮大な教科書のようなものなのかもしれません。
思考を止めない。そして行動すること。人が与えられた最高の花束とは、''考える''ということなのかもしれませんね。
と、長風呂しながら書いていたら、湯船の中で寝落ちしてしまいました。