note1年記念日に、思うこと。
noteをはじめて書いた日から、ちょうど1年が経ったみたい。
そういえば、1年前は宿題をやるのにも毎日ひと苦労だったんだなぁと、これを見て思いだした。
【はじめてのnote】
「やりたくなくても、やらなきゃいけないことをする」ということと、いつのまにか彼は彼なりに折り合いをつけて、受け入れてきたのだなあと、この一年の成長を振り返った。
宿題もときどき文句を言うことはあるけど、当たり前のようにやるし、ノートや連絡帳を書く字もびっくりするくらいに濃くきれいになった。
明日の用意も連絡帳を見ながらひとりで終えて、鉛筆と消しゴムは毎日削られ、筆箱に大人しくおさまっている。
あんなにも、鉛筆を筆箱にしまうことが難しかったのに、だ。
色んなことか目まぐるしく変化して、いつのまにか思い出に変わってゆく。
ここに書いていなければきっとすぐにこんな記憶はだんだん薄れ、そのうち消えてしまっていただろう。
noteに残しておいてよかったなぁ、と思う。
最近、学校には楽しく通っている息子だけれど、
「絶対こうしなきゃだめってことがたくさんありすぎて、毎日火山みたいに、頭がボカーンてなりそう」、らしい。
筆箱は横向きで机の右角に合わせて置くとか、
筆算の線は定規で引かないとやり直しとか、
給食中ひと言でも話したらおかわりなしとか、
少しでも咳をした人のとこにはマスクを持って先生が走ってくるとか、
なんか、登校後のルーティンからはじまってすべてが事細かに管理されているようで、
ちょっと聞いただけでわたしも頭がボカーンとなる。
ルールがたくさんのこの世に慣らされて、また一歩大人に近づいてゆく。
「ほんと、えらいよ。毎日がんばってるねぇ」
といったら、
「いいよねおとなは。誰にも叱られないし。」
と息子。
「いやぁ、大人はもっと大変よ」なんて野暮なことは言いたくない。
だってわたしは、子ども時代がつらかった。あの頃に戻りたくはない。
でもね、こんなときの答えとしてぴったりな言葉と、こないだ本屋さんで運命的に出会ってしまったのだ。
デザイン書の棚にひっそりと紛れていた
『何度も読みたい広告コピー』(パイインターナショナル)という本の1ページに、それはあった。
なんて素敵なコピーだろうと思った。
言葉との出会いに感謝するのは、こんなとき。
すでに大人である自分さえ、まるっと温かく包み込まれたような気持ちになる。
楽しみやなぁ。
それでいいのだ。
だからおごそかな声で、息子に言う。
「大人はええぞ。まずな、宿題がない。」
息子が、ずるいー!!と叫ぶ。
「うまいもんが食える」
猫のように飛び込んでくる息子の背をなでながら、ニヤニヤしながら次々と私は言うのだ。
楽しみやなあ、と。
こどものきらめく言葉をどこかに残しておきたくて、はじめたnote。
つまらない大人になるなよ、と。自戒もこめて。