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読んでない本の書評74「伝奇集」

 156グラム。ボルヘスという人は、頭が良すぎて言わんとしていることを人に理解してもらえない孤独な人なのか、それとも頭が良すぎて「これでも食らえ、愚民ども」と思って書いてるのか、どっちなんですか。

「バベルの図書館」の冒頭である。

 (他の者たちは図書館と呼んでいるが)宇宙は、真ん中に大きな換気孔があり、きわめて低い手すりで囲まれた、不定数の、おそらく無限数の六角形の回廊で成り立っている。どの六角形からも、それこそ際限なく、上の階と下の階が眺められる。回廊の配置は変化がない。一辺につき長い本棚が五段で、計二十段、それが二辺をのぞいたすべてを埋めている。

 全然わからない。六角形のものをわんこ蕎麦みたいに縦に無限に重ねたと言っているのか、蜂の巣みたいに水平につなげたと言っているのか。一行目なのに早くもまったくわからない。
  バベルなのだから、広がりは垂直方向でいてくれないと困るが、垂直に積んでいくなら、本棚を設置するのに「二辺をのぞ」く必要がないのではないか。棚のない辺のひとつはホールに通じているそうだ。だとするとホールでつないで水平に広がっているのか。
 しかし全体的には縦の印象を強調して書いてある。プロローグにルイス・キャロルの名があることことから連想するのもアリスが落下していく縦の穴だ。

図書館は、その厳密な中心が任意の六角形であり、その円周は到達の不可能な球体である。

 ……球体?垂直にも水平にも広がっていってどんどん丸くなっていくって意味?
 わたしの空間認識能力に重大な問題があるのか、ボルヘスが想像させまいとして書いているのか、最初からもうわからないのである(後者でありますように)。
 猛烈に拒絶されながら、ちょっとおもしろそうな不思議なことを次々言われるというツンデレ短編だ。

 目下、我が家の文庫本用の図書館は階段である。
 長い化粧板を買って、一方の端を階段の上の段に設置する。逆の端は、階段の下の段に本を平積みにして板の高さまで積んで支えにする。空いた空間も本をしまう。本が、横板でもあり、収納物でもある。
 わたしはボルヘスではないので、これで構造が伝わってないとすれば、読んだり書いたりすることに対して哲学的な難解な意図があるせいではなく、単に表現力がないせいだ。とにかく階段にたくさん文庫本がある。そして日々できる限りの整理はしている。
 本が増えれば棚板も増えたり組み方が変わったり、生き物のように有機的に形がかわり、なにか独特のつかみどころのなさがあって、ちょっといい。階段に座り込んで背表紙をうっとり眺めていることがある。
 実際は、それほど読めているわけではない。そもそも読み通すことができなかったものも、最後までめくりはしたものの、なんだったのかわからなかったものも多い。

 バベルの図書館には、存在する文字記号のあらゆる組み合わせが全部ある。だから過去のものも未来のものも、存在しうる本が全部所蔵されているのだ。自分が欲しい本が必ずあることに司書たちは一瞬喜ぶ。しかしそんなに無尽蔵にあっては欲しい本に行きあうということはまずない、ということに気付いてパニックにもなる。しかし、意味のないような記号の羅列の中を延々と旅するような行為でも、長い時間の果てにはまた同じ本が同じ無秩序の中にあらわれるという秩序にたどり着くことができる。

 ……っていうような話だったんじゃないのかなあ。我が家のバベルの図書階段を見ながら頭をひねる。最後にこんな注釈があった。

くり返していおう。本が存在するためには、その本が可能なものであれば十分なのだ。不可能なものだけが排除される。たとえば、いかなる本も同時に階段ではない。おそらく、その可能性を論じ、否定し、証明する本があり、構造が階段のそれに対応しているべつの本が存在するにちがいないが。

 やけに面白いのだ。うちの本は、考えうる可能性の範囲でかなり階段にちかづいたほうの本だとは思うが、それでも階段ではない。知ってはいたけど、いやにきっぱり拒絶してくるな、ボルヘス。

 

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