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弥勒の思い般若の気持ち

連休と言ってもここ数年、何処かへ行くということが無くなった。理由は増えた家事で私に余裕が失くなったこと。



ママが自分のことを自分で出来なくなってからはそれを私がやる羽目になった。
あえて羽目になったと言いたい。



色々分からなくなっていっても姫気質だけが際立って、自分を優先する気持ちは強くなっていってる。しかも姫気質を通すことを求めてくる。



昨日運動に行った時、メンバーさんが
『娘さんですか?本当の?』と話し掛けてきた。
はい、そうですと答えると
お母さまはお幸せね、こんなにして貰って。私も母にしたいけど離れていて…でもお母さま本当にお幸せですね。送り迎えまでして貰って…


と話した。
本人はそう思っていない。そこが問題。
この会話は時々あり、別のメンバーさんからもよくお母さまは幸せね、と言われているがやって貰うのはいつも当たり前なのが謎だ。



私もやりたい事はあるし休みに着替えさせて水筒準備して連れていき、暑いからイヤだとか寒いからもういいわとか言うのを聞くのもこっちこそ嫌だ。



だけど
筋肉は大切。
しかも何歳からでも付くというなら、やらないチョイスはない。



瀬戸内寂聴さんが96才で骨折し、車椅子から筋トレで自立歩行へ戻れた。専門家がついていたとは云え筋肉がついたことは間違いない。
筋肉による認知機能の変化などの研究もされているらしい。



この場合私は運動するを選択するのみ。



それを連れていって貰ってるとか、迎えに来てくれるとかの発想はママにはない。
勿論ありがとうも、ない。
この心地の説明が難しくありがとうが欲しいだけではないけど、ないのも寂しい。



私のしている運動への送迎は
周りから見たら、なんて素敵なの!となる弥勒の微笑みたいな状況に見えるかもしれない。



かといって、
昔から私はママを人として好きではない。
自己主張が強く私が私がという。
面倒な事から逃げ、誰かがやればいいことは自分がやることを極力避け、自分のしたいこと、今寝たいとか今食べたい今見たい触りたいの為には誰かの犠牲や被害も厭わない。



そこが嫌いで、
静かにして欲しい時に騒ぎ、うるさいというと『あ、そう?』という返しも好きゃない。要は相手の気持ちがない世界の住民なのだ。



からだの為に考えた食事を残す。今日1日の食べた量を考えて食べるように言う。
食べにくいものは口まで箸で運ぶ。みたらし団子は何本でも食べるのに、歯を噛みしめ拒否し、口に入れたものも出す。



手を使って食べるのも昔からで
口から出すのも昔からで認知症とは関係ない。要は出したい時に出す、マナーとか関係ない。そこも嫌いだ。もっと嫌いなのは直そうとしなかった事だった。



何度言っても、相手の気持ちとかどうでも良い振る舞い。発達障害の特徴の1つかもしれないが、どれほど周りを傷つけ気持ちを逆撫でして来たか理解しないまま認知症になった。


皿にティッシュを置くのを止めるよう何千回も言ってきたが、昔から喫茶店でもどこでもやった。時に、我慢していても般若のような顔してると自覚する。



三食作り家事も含め書類関係や通院まで嫌いな人の為にしていることは私の心にも弥勒のように元気でいる事を望み、その為に般若のようにどうあるべきか?を常に真剣になりすぎ、かもしれない。



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これからも人の心に何かが灯る記事の為と猫のために大切に使わせて頂きます(*´▽`*)