兆しと芽生えと小さく期待
9月9日は重陽の節句。菊の節句で今年最後の節句。
詳細は書けないが辛い事があった。
内容は人間関係で心から血が出るんじゃないかという程傷ついた。
悪意を感じたし企みも察したし、外野の誤解が大きくなった時もあったし、離れることも考えたけどそれでは非を認めるようで自分の決断としては
今じゃない
と思った。
私は貝のように口を閉ざし、とっくに心も閉めきっていたけどその前世の悪行の報いか、カルマだかの状態を過ごした。
自らの生命の終点を決める人の気持ちが分かるような、こういうことなのかなと想像つくような感情の手触りだったけど
まず私にはにゃん太郎が居る。
愛するにゃん太郎を間違ってもお腹を空かせるなんて、それは出来ない相談だった。
よくにゃん太郎に言う。
にゃん太郎?にゃん太郎が海に落ちてもお姉ちゃんはすぐに飛び込んで絶対に助けるよ?
だからそれまで泳いでてね?
不思議そうな顔で真っ直ぐこちらを見るにゃん太郎はいつも
にぇ!!と答える。
調子がいいと
にぇ!にぇにぇにぇ?!と目を閉じながら、口を開ける。愛おしい(*´▽`*)
にゃん太郎は来た日から、泣いて暮らしてた私の心を癒した恩人(恩猫)なのだ。
なのでカルマな修行のような罰を受けてるかのような状態でも、何とか暮らしてきた。
味方も結構いたし、敵から味方になった人達もいたけど、それでも時々の悪意に満ちた言動や企みに時に心臓を剣で突かれるような、時に胃の腑から食道にかけて一気に収縮するような気がしたけどそのうち気づいてしまった。
相手は幸せじゃないんだな
幸せな時は意地悪な発想が出ないもの。
満ち足りた気持ちの時は人に優しくしたくなるもの、なんじゃないかと。
思い出しても、
受験合格した時も、願い叶った時も、幸せを感じて過ごしてる時も無駄ににこやかで誰にでなく優しく温かくしたくなった。
例えば待ち望んだ子供が産まれたばかりの両親はきっと、誰彼問わずにこにこし感謝したくなるんじゃないかと思う。
日頃は実在しないと認識しているのに神や仏やサンタクロースにまでありがとうを言いたくなるかもしれない。
なので私は口を噤み、暴風雨みたいな中でも聞こえる言葉を頭の中で明朝体の文字に変換していたりした。そして…
今日、メシアが現れた。いやメシアはずっと居たけど動き出した。
相手が正当化していた行動を非として言語化し証拠を集め始めた事を知った。
メシアは私からも情報を欲しがったが、それは差し出せなかった。
黙っていたことは耐え難かったけどハンムラビ法典みたくすると、その相手のレベル落ちてしまうんではないか…とそれはしなかった。
にゃん太郎と居られて幸せと私が感じる程は相手は幸せでは無いんだろう。
ママは今日も元気でご飯を食べ、少し後片付けは必要だったし毎日はそれはそれは大変だけど、それでも、人に優しく出来る分私は幸せだと思った。
兆しは見えた。
期待は小さくも熱く持とう。
植物たちも各々の兆しを見せてくれている。
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