年越しと私、撮る理由。
毎年毎年、年を越しても何も変わらない自分に苛つくから冬休みは好きじゃない。
卒業したり入学したり、進級したり部活を辞めたり、環境が変わったところで (自分で無理やり変えたところで) 自分は何も変わらなくて、そういう自分が大嫌いなまま、もう18になるだなんて信じたくない。
時間なんて止まればいいのに。
そんなことを思っていたら、写真を好きになった理由が分かった気がしました。
この世界は美しいもので溢れているのに、わたしの心はスプーンひと匙分の感情しか乗せきれません。
「焦り」「寂しさ」「義務感」「焦燥感」「苛つき」「怒り」
その時その時の感情をひと匙分乗せただけで余裕の無くなるわたしは、時間を止めなければ、この美しい世界の美しい瞬間に気付いて何かを想うことすら出来なかったのです。
写真に写る世界に、時間の流れは存在しません。時間に流されながら移ろいゆくわたしのひと匙分の感情は、写真に写る世界には存在しない。
写真を通してなら、美しい瞬間を素直に美しいと思えるのです。憶えていたい、と。
きっとわたしはいつまでも、今日を好きでいるために、写真に頼りながら毎日を過ごしていくでしょう。
わたしはわたしが大嫌いでも、わたしが居るこの世界を嫌いになりたくはない。わたしにとって写真を撮ることは、この世界を今日も好きでいられますように、と願うことと同じなのかも知れません。
そして、自分を騙すかのように、そのままわたしの住む世界ごとわたしを好きになれたりしないかな、なんて思っています。
好きな映画がきっかけで、主演の俳優を好きになるみたいに、自然に。
月嶋 真昼
2018年 1月2日
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