「君たちはどう生きるか」を観てきた(ネタバレなし)
三連休の二日め。
朝、娘はドタバタと7時過ぎに部活へと向かっていった。
今日は、大学のホールを借りてコンサートのリハーサルをするのだそうだ。暑いのにご苦労なことで。
娘の相棒である大きなシロクマのぬいぐるみを持って、「がんばれ~」とシロクマの手を振りながら送り出した。
さて、わたしはまたひとりののんびりした休日である。
午前はだらだらとすごし、午後にスタジオジブリの新作映画「君たちはどう生きるか」をひとりで観てきた。
事前の宣伝もあらすじの紹介もなく、公表されているのはタイトルとポスターのみという映画なので、いったいどんな話なのだろうと未知の冒険に出るような思いで見てきた。
ネタバレはせぬようにします。
とってもおもしろかった。
そして後半は泣いた。
観た人によって感想がまったく違ったものになりそうな映画だった。
すみずみまで理解するよりも感じることに重きが置かれていて、また、どう展開するのか観ていてもまったく読めなくてワクワクした。
そんなことを、わたしは感じました。
ほかの方はどんな感想を抱いたのかな。
家に帰ってきた娘に、「どんな話だったの?ざっくり教えて」と尋ねられたけど、ざっくり説明することは無理だった。
というか、あらすじだけ話してもなんのこっちゃであろうなという映画だったのだ。
・・・
わたしが生まれて初めて観たジブリ映画は「となりのトトロ」。
なんと1988年。小学校低学年でした。地元の区民ホールに観に行った覚えがある。
トトロの世界観に魅了されたわたしは、当時習っていたエレクトーン教室で「となりのトトロメドレー」を発表会の曲目に選んで意気揚々と弾いた。
続く「魔女の宅急便」は小学校5年生か6年生の時に公開され、どういうわけか当時の担任のスギタ先生とクラスメイトと3人で観に行った。
なんで先生と行ったんだろう。謎だ。
先生はその後の国語の授業で「魔女の宅急便」を取りあげ、「この映画の主題は"自立"です。」と言って黒板に「自立」と書いた。
スギタ先生とはいまも年賀状のやり取りをしていて、昨年あたりに定年を迎えたと書かれていたが、魔女の宅急便を一緒に観たこと、いまも覚えているだろうか。
その後もジブリの新作が公開されたら必ず映画館に足を運んできた。
「ラピュタ」や「ナウシカ」はビデオテープに録画してテープが擦り切れるほど見たし「紅の豚」はおおいに泣いた。「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」は音楽のすばらしさに感動してサントラを買ったりした。
ちょっと地味だけど「おもひでぽろぽろ」とか「ホーホケキョとなりの山田くん」も大好きだ。
ただ、「千と千尋の神隠し」のあとの作品は、なぜだかあまり好きになれなかった。
なんかストーリーに入り込めないというか、表現が難しいけど「へぇスタジオジブリはこんな新作映画を作ったんだな」と、一歩引いて作品を眺めているだけの感じだった。
今回の「君たちはどう生きるか」は久しぶりに、ワクワク感とか、魅力的な主人公のまなざしとか、こみあげる涙とか、そんなものがたくさんあって心動かされました。
でも、どの人が見てもそう思うわけではないのかもしれない。
つまらないと思う人もいるかもしれない。
実際、ひたすら訳がわからなかった、という感想もお見かけした。それもまたわかる気がする。
でも、引退を撤回してまでこの作品をつくった宮崎駿の思いというか、伝えたかった言葉にならないものを、なんとなく受け取った気がした。
・・・
タイトルにもなっている『君たちはどう生きるか』。
同タイトルの吉野源三郎の著作は映画にはきっと関係ないのだろう、と思っていたが、すこし関係していた。
本の内容そのものが出てくるわけではないけど、ただ、この本を読んでいたからこそこの人はこのセリフを言ったのだろうと(わたしが勝手に)思ったシーンはありました。
わたしはこの本を、中学生の頃に父の本棚のなかに見つけた。
元・文学青年だった父の本棚にはさまざなな本が並んでおり、中学のときに不登校して家にいたわたしはそこを探ってはさまざまな本と出会ったものだった。
『君たちはどう生きるか』はすこし古びた岩波文庫で、挿絵のなかのコペル君は昔の学生服に坊主頭で学生帽をかぶっていた。戦前戦後の雰囲気。おや、これは昔の本かな、と思ってページを繰っていったところ、最終的にはオイオイと泣きながら読むこととなった。
十代の自分にも身に覚えがありすぎるコペル君の苦悩。時代は違っても、悩めるコペル君を自分をすっと重ねることができた。
わたしは胸にグッときた一節を自分のノートに書き写しては、お守りみたいにして眺めていたものだった。
結婚する時にはその文庫を嫁入り道具のように持参した。
そして出産もして、母の立場となったある日、中学生になった娘がいつのまにかわたしの本棚にあった『君たちはどう生きるか』を読んでいて、「お母さん、この本わたしの本棚に入れておいてもいい?」と大切そうに抱えてきたときには、かなり驚いた。
父、わたし、娘と三代でこの小さな文庫が受け継がれたことにジーンとしたし、100年弱のちの世の中学生にも感動を呼んでますよ!と吉野源三郎に伝えたい気持ちにもなった。
わたしはいまやコペル君のお母さんの立場にはなったけど、それでも、いまだにひとりの悩めるコペル君でもある。
そんなわけで何十年も前に亡き父が買った『君たちはどう生きるか』は、いま14歳の娘の本棚に元気な老師みたいな佇まいをして並んでいるのである。
・・・
本の第七章「石段の思い出」でコペル君にお母さんが語りかけたことや、そのあとのおじさんのノート「人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて」のくだりがわたしはとても好きだが、映画にもそのあたりのテーマが重なっていたように思う。
人間の悲しみや苦しみにはどんな意味があるのか。
そして、
「だから、どんなときにも自分に絶望したりしてはいけないのですよ。」
とコペル君のお母さんは語りかける。
生きることは苦しく悲しいことだけど、決して絶望しないこと。
映画館を出たとき、背後から誰かに肩を叩かれて、そう言われたような気がした。