本屋と前世と友との再会
なにか新しい本を読みたいな、と思ったので近所の本屋さんにいった。
欲しい本があるからそれをAmazonで買う、というのと、なにか本が読みたいから本屋さんに行く、というのはやはりおもむきが違いますよね。
本屋さんで素敵そうな本を見つけて、それをレジまで持っていって買う。なんか特別な感じがしてなんともいえず嬉しい。
なので、心が塞いだときとか、なにか楽しいことをしたい気持ちの時によくやります、本屋ブラブラ。
ベランダで読む文庫がほしいなと思って、文庫コーナーへ。
中谷美紀の文庫(新しいやつ)をパラパラとめくって、「最近太ってきた。メタボになりそう」と書いてあるのを見て「なに言ってんだ……」と目を見開き、そっと本をもどす。
いや、ご本人比ではそうなのかもしれない。
太ってきたのかもしれないよ。しかしだよ。しかしだよ……。
すすすと移動して、阿佐ヶ谷姉妹の文庫を見つけて一瞬色めき立つ。が、すぐに「なんだ新刊じゃないのか……」とガッカリする。
いっつもそうなんだよなー。わたしは阿佐ヶ谷姉妹の新刊を待望している。
↓↓↓阿佐ヶ谷姉妹『のほほんふたり暮らし』すっごく面白かったんです。
ジャケ買い、みたいな感じでさまざまな文庫を手に取っては戻し、手に取っては戻し、していたのだが(その時間も楽しいですよね)、さてさて今日はこんな本と出会ってしまったのです。
「大洋ホエールズからDeNAベイスターズへ。時を超えてつながる横浜ファンの熱い人生が胸を打つ感動作!」
えー、すごくいいじゃん。
たしか佐藤多佳子さんは『一瞬の風になれ』の人だ。こんな本を書かれるなんてベイスターズファンでいらっしゃるのだろうか?
大洋ホエールズから、というのがすごくいい。わたしの脳裏には屋敷要のユニフォーム姿がホワワワーンと浮かぶ。あとは……そうだな……パチョレックとか、谷繁、石井琢朗、盛田幸妃、野村弘樹とか……。
わたしが中学生の頃に大洋ホエールズが横浜ベイスターズに変わって、ユニフォームもオシャレになり、何故か若手選手たちがCOCO(三浦理恵子がいたアイドルグループ)と一緒に歌を歌っていた。
「この中の誰かがくっつきそうだな」と思って見ていたら、その後メンバーの一人と石井琢朗が結婚してたはず。(そして離婚もしたはず……)
そんなことまで脳裏にかすめて、よし、と思い購入。
読むのが楽しみです。
・・・
たぶんいまだに九月の疲れが取れていないんだと思うけど、なんだか休みの日に寝てばかりいる。
というか、なにをしていいか分からなくて寝ちゃうんだ。時間をもてあます。
なにか勉強でもしなくちゃいけないような気がする。資格でもとろうか。とりたい資格はある、なくはない。
本屋さんの資格コーナーでしばし参考書を眺める。世の中にはこんなにたくさん資格があるのに、勉強してみたいものってそんなにないな。
いまの仕事に関係していて、自分でも勉強してみたいと思えるのは、精神保健福祉士、キャリアコンサルタントあたり。しかし専門学校に在籍して単位を取らなくてはいけないのもあり……お金と時間とやる気の問題だな。
にしても、本屋の資格コーナーでボーッと本を眺めていて、本当にわたしはお金に関係する資格にまったく興味がもてないことに気づく。
簿記とか、FPとかいろいろあるけど、参考書を手に取るのも抵抗を覚える。なぜだ。
たぶん、お金という概念が向いていないんだと思う。
前世でなにかあったのかもしれない。すごい守銭奴で痛い目を見たとか。金集めばかりしている悪代官だったとか…?
前世といえば、10年くらい前に霊媒師だという人に、わたしは何も尋ねてもいないのに「あなたは前世で隠れキリシタンで、逆さ吊りで処刑されています」と言われたことがあった。
えぇ~……それを言われてわたしはどうしろと……?
わたしは前世というのはあるとも無いとも思ってないけど(どちらでもいい)、どうせならもっと嬉しい前世を教えてほしかったよなぁ。
そんなことまで本屋の資格コーナーで思い出してしまった。前世は隠れキリシタンで逆さ吊り。たまに思い出すんだよね。
・・・
長崎から上京してきた幼なじみのジーちゃんと半年ぶりの再会をした。
かわいいお嬢ちゃん(うーちゃん)連れでやってきた。
幼なじみのお子さんというのは、姪っこのようなかわいさがある。顔がおんなじなんだもんね、子供のころのジーちゃんと。
ジーちゃんは小学校のときから同じマンションで育って、大人になってからも近所に住んでいたので夜中まであれこれしゃべったり、なにかあればすぐ会いに行ったり来たりもしていた。
が、ジーちゃん40歳直前で結婚、妊娠、そして長崎へ移住。あっというまにいなくなった。
しかし遠く離れて暮らしていても、幼なじみって昨日も会ってたみたいになんの前置きもなく話が始まる。もはや親戚みたいな感じか。
九月にあったさまざまな事件のことを報告した。
ええっ!とか、大変じゃん!とか深刻な表情で聴いていたジーちゃんだが、きっと言うだろうなと思っていたひとことが。
「それらの事件は、なんの学びだったんだろうね?」
言うと思った。
ジーちゃんは思春期くらいからずっとスピリチュアルである。人生に起こる出来事には意味や学びがある。大いなる意思とか、神様からのギフトとか、そんなスタンス。なんとかエッセンスとか、なんとかパワーとかそういうスピリチュアルなあれこれも大好き。
いっぽうのわたしは冷めているというかスピリチュアル成分が恐ろしく低い人間である。
出来事にはおよそ意味なんてなく、ただの出来事だと思う。神様についてはそれぞれに存在しているものだと思うけど、そこと出来事は繋げない。
すべてはその人がどう受け取るか、あるいはどんな風にも受け取らないかだと思う。
スタンスは違うけど、だから話が合わないとか、話したくないとは思わないのはなんとも不思議。それはきっと、ジーちゃんがスピリチュアルな人である以前に、幼なじみのジーちゃんだからだろう。
「学びはよく分かんないけど、世の中にはいろんなつらい思いをしている人がいるんだということが分かった気がするよ」
そんなふうに答えた。
それは本当にそうだったから。
自分の意志で東京から長崎に移住をして子育てをしているジーちゃん。社長令嬢だけど、家を出て自分の感覚を信じてみずから道を拓いていっている。 これからもそのままでいてほしいな。