見出し画像

どすこいエンパシー

暑い暑い、暑くなってしまった。

涼しくてうれしい~なんて言っていたらあっという間に梅雨明けでしたね。さあ、夏のはじまりだ。どすこい。どすこーい!(と、身構える)

昨日の仕事帰り、郵便ポストを覗くと、つーさんからの手紙が届いていた。

そしてハッとした。
つーさんにふた月も会いに行けていない。
ふた月もだ。
わたしにとっては「あれ?つい半月くらい前に行ったような……」くらいの感覚だったのだが、手帳を確認すると、どうやら本当にふた月が過ぎていたらしい。
とにかく時のすぎるのがはやい。
6月の始めに復職してから、ビュンッ!という感じでいまに至ってしまった。
本当にビュンッですよ、ビュンッ。

今度の日曜、幼なじみのこまちゃんと丸の内でランチをする約束をしているのだが、やっぱり友だちと会う予定があるのはうれしいものだなと思う。話したいこともたくさんあるし、聞きたいこともある。
つーさんともそんな感じで、もちろん、会って話がしたいのだ。

ただ、つーさんの場合は彼がいる場所(拘置所)が場所だけに、気軽に友だちと会うという感じにはいかない。
まず面会の申請用紙に記入して身分証明書とともに提示して面会手続きをし、呼び出しがかかるまでじりじりと待ち(結構待つことも)、呼ばれたらロッカーに荷物を預けて身体検査(金属探知機)を受けて、長い長い廊下を抜けて10階までエレベーターで上がって、ようやく狭い面会室で15分~20分だけ話せる。

できれば月に一度は会いに行きたいのだが、鬱から回復の過程にあるいま、その手続きにすこしの精神的負担を覚えてしまう自分がいる。
申し訳ないと思いつつも、まだ仕事に疲れてしまうので休みの日は「休みたい……」と思ってしまい、なかなか足が向かずにいる。つーさん、ほんとにごめん。

謝罪の気持ちを込め、美しい雨の絵葉書を選んで、7月~8月の間に必ず一度は会いに行くよ、と書いてポストに投函した。
だからそれまでお互いに元気でいようね、とも。

会いに行けないとしてもとにかく繋がり続けること、それが大切なのだと思いながら。

・・・

突然だが、シンパシーと、エンパシーという言葉がある。

シンパシーとは他人と同じ感情になること。
相手の感情を理解して自分も同じ気持ちになる、共感を示す言葉である。

エンパシーというのはそれと少し違って、自分とは異なる価値観に遭遇したとき、相手の立場になって考えていることや感じていることを想像する能力のことを指すものだ。

つまり、シンパシーは「わたし」が相手の感情に同化するようなことで、エンパシーというのは「わたし」はわたしのまま保ちつつ、相手の感情を理解すること、という感じ。

わたしは相談支援職に就いているので、このシンパシーとエンパシーということについてはよく気をつけているところがある。
友人や家族であればシンパシーで寄り添ってあげることができるのだが、支援職はシンパシーで「うんうんそうだね、つらいね」で終わってしまっては支援にならない。
エンパシー的な立場で相手を理解し、客観的にニーズを捉えて時には押したり引いたりしながら、伴走していく必要がある。

前々回のnoteに書いた、娘の部活問題。
自分の娘が悩んでお腹を痛くしていると知り、わたしは母親としてエンパシーよりもシンパシーの方が完全に上回ってしまった。
娘の悩みに共感しすぎてめちゃめちゃ落ち込んだ。鬱が再発した!?と思うくらい凹んだ。

で、鬱々としていたある朝、「あ、これはシンパシーに陥っているな」と気づいた。
家族であってもやはりシンパシーだけではなくエンパシーの軸をもたねば共倒れになってしまう、と思い知ったのだ。

具体的に自分が彼女にしてあげられることと彼女が自分ですべきことを分けて整理したり、「彼女は彼女で自分で人生を歩んでいかねばならないのだ」と思うことも必要だ。

でも、なかなか難しいものですよね。
やっぱり心配だし、娘には幸せでいてほしい。
悩んでいたらわたしも悲しい。

身近な人に対してもエンパシーの立場をブレずに持てる人って強いよなぁ、とも思う。おそらくうちの夫(ラの人)はそういう人なんだな。客観的に見ながら味方でいてくれる。すごいもんだ。

人生にはいろんなことが起きる。
そんな時に共倒れになるんじゃなくて、できれば寄りかかれるような支え木でいてあげたい。支えになるには、強さもしなやかさも必要だ。
15年も親をやってるけど、まだまだ。
もっと強い木?枝?になりたい。

と言っても樹齢のすんごい屋久杉レベルではなく、しなやかな柳の木くらいのレベルで。
シンパシーどんとこい、エンパシーどすこい。

・・・

引き続き、山村暮鳥の詩集を読んでいる。

山村暮鳥「手」

しっかりとにぎっていた手をひらいてみた。
ひらいてみたがなんにもなかった。
しっかりとにぎらせたのもさびしさである。
それをまたひらかせたのもさびしさである。

・・・

最近は、これをブレンドしたお米をわたしだけ食べている。あずきが入っていておいしい。
夫と娘は白米派なので、わたしだけ。


茄子とピーマンの油味噌炒め。
今夜はこれと、鶏むね肉の南蛮漬けと、冷たいお蕎麦です。食卓は完全にもう夏だ。