わたしたちは長い人生を生きている
10月から郵便料金が変わる!
つーさんとのやり取りで手紙やはがきを頻繁に使うわたしにとって、これは事件である。
いや事件というのは大げさ。
「忘れないように意識すべきこと」くらいのことじゃん。
さっそく、郵便局で新料金の記念切手を買ってみました。花の刺繍の柄で可愛らしい。
しかしまあ、封書が一気に110円とは驚きましたね。わたしが若かった頃は60円くらいで封書が遅れていた気がするよ。
110円……は、ちょっと高くない??
・・・
週末、半年ぶりに長崎から幼なじみのジーちゃんが上京してきた。
羽田空港から飛行機で帰るまでの数時間、同じく小学校からの幼なじみのこまちゃんと一緒に空港の滑走路が見えるカフェで楽しく時間を過ごすことができた。
ジーちゃんの5歳の娘ちゃんは前日にお誕生日祝いのディズニーを楽しんだそうで、「今日は〇〇ちゃんではなくエルサと呼んでほしい」と、開口一番に毅然としたプリンセス姿で言う。
あはは~可愛らしい。
「わかった。エルサちゃんじゃなくて、エルサって呼び捨てでいいの?」
「いい」
「じゃあ、エルサ」
「なに?」
といった調子で、エルサが色をごちゃ混ぜにして謎の色になっているスライムで、「見とって!」と長崎の言葉で言いながらどでかいケーキをこしらえたりしているところを見守った。
実はこの日、娘の運動会の日だったけど、運動会へは行けなかった。
というより、運動会に行かなくてはならないことを憂鬱そうにしている娘に「別に運動会なんて行かなくてもいいんじゃない?」と声をかけ、それよりわたしの幼なじみやエルサたちとのおしゃべりを楽しんで気晴らししてほしいと思ったのだ。
先週は、とうとう1日も授業には出られなかった。木・金だけ、わたしが学校まで付き添って保健室登校をした。少しずつ元気になってきている気はするけど、そんな簡単なことではないだろうな、とも思う。
「学校に行きたい」「行かなくては」という思いと、行けるだけのコンディションを整えることはまた別だ。それはおそらく会社や仕事も同じかもしれないが、無理して気持ちひとつでエイヤッと行くことが復帰のきっかけになる人もいれば、それが大きな負担となって余計に状況が悪化する人もいるだろう。
「いまのつらさ、しんどさ」
に集中するのではなくて、わたしたちは長い人生を生きている、ということに思いを馳せたい。
高校の3年間は、その長い人生の中のほんの3年だ。頑張って学校に行くことだけがその3年間の過ごし方の最適解だろうか?
そうじゃないと思う。
人それぞれ、いろいろでいいんだよ、と娘には伝えたい。
人はそれぞれでいい。
学校に行けなくたってなんにも悪くない。
その分、他にも経験できることだってある。
幼なじみのこまちゃん、ジーちゃんは、娘のいまの状況も知ってくれていて、そのままの娘を受容して、とても温かい笑顔で一緒におしゃべりを楽しんでくれた。
幼なじみってありがたいな、と心から思った。
ジーちゃん、こまちゃんと別れてから、展望デッキで離陸や着陸を繰り返す飛行機を娘と眺める。
「すごいね!なんであんな鉄のかたまりが飛ぶんだろう?」
と、わたしは何回でも言ってしまう。
飛んでいく。
飛んでいける。
あんなに重たくても。
娘はいつまでもいつまでも、飛びゆく飛行機を静かに眺めていた。
・・・
いま読んでいる本。
NHK「こころの時代」のV.E.フランクルシリーズを見終え、彼の行っていたロゴセラピーについてもっと知りたいなと思った。
どんな状況でも人生にイエスと言う。人はどんな状況にも意味をみいだせる。
人生に意味なんかない、なくていい、だから救われるんだともわたしは思うが、意味があると考えることで救われる状況や人もあるだろう。
・・・
🐹最近のふくちゃん🐹
ダンボールで大きなサークルを作って、そこに一緒に入って「部屋んぽ」(部屋の中でおさんぽをするというハムスター用語)をしはじめたところ、
なんと!手乗りに成功。
触れ合いの機会を増やして、なんとなく懐いてきた~!と喜んでいます。
が、昨夜はこれをやったら眠いときだったみたいでやたらと不機嫌になられ、「キー!」と威嚇された。(4度目の威嚇……わたしばっかり……)
まぁ、少しずつだな。
ちなみに減量には成功しているのかしていないのか、まだ分かりませぬが豆腐(乾燥した小さいやつ)が嫌いだということだけは分かった。手に乗せてあげてもいらんという。
ヘルシーだよ!ふくちゃんこれヘルシーだよ!と言っても食べない。
(最終的には夜中に仕方なく食べているようでなくなっている)
好き嫌いがあるのもまた、興味深いです。
ちなみに大好きなのはポン菓子みたいなふくらんで乾燥したお米です。ま、おいしいよね。