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呼吸、拭き掃除と読経

読経を2年半以上続けていますが、
結構良いものだと実感しています。

読経を続けていて、はっきりと
実感しているのは、
今のところ二つ。

呼吸をする力がついてくること、

気持ちを落ち着かせることです。

呼吸の力がつくと、本当に体が
楽です。

そして何より、体を使いたい、って内側から思うような状態です。

よく健康のために歩こう、
と聞きますが、
健康になりたいから
歩くわけです。


読経だとその逆、まず、歩きたい、何かしたい、と気持ちがでてきます。
歩いたら、体に良い感じがする。

オクラの花。
読経すれば、花をみたくなる。
畑にも行きたくなる。


順番が違いますが、
似ているようで違うと思う。

常々思うのは、普段から
何かをしていて、

それが結果、体にもよいことであれば、かなりいいと思っています。


花もなかなかいいものです。
植物も見れば、また見たくなるもの。
植物は自然のもの。
自然のものを見る、というだけでも
結構いいと思います。

健康になろう、健康になりたい、
って考えて、努力するのではない。

普段から、何かをしていて、
それが自ら湧き出るエネルギーとなり、
その結果、健康を考えなくても、
体が調子良くなる。

要は、自らが何かして、
健康につながることを
普段からしておくといい、って私は思っています。

何かする、の何かは人によって違う。
好きなことがそれぞれ違うわけだし、当然です。

ただ、呼吸に関して言えば、
誰もがすること、何をするにも、呼吸することがあってのこと。

となると、呼吸に関すること、呼吸が良くなることを
しておくといい。
(おそらく、何か好きなことに取り組んでいるときは、
良い呼吸になっていると思う)。


綺麗なとんぼは肉食です。
おそらく、自然の生き物を
見ているときは、
いい呼吸していると思います。


仮に今、どこか体調が悪くても、
何かできることを
しておく、

今はわからなくても、
後になって役立つことも
あると思います。

何か普段から続けておこう、何かして
おいた方がいいと過去に思いました。

というのは、いざというときの
病院が、どうも
ダメだと思うことが過去に
何度もあったからです。

よくないことが、一度ならず、
二度、三度も続くのを
目の当たりにすると、あまり当てにはならない、
信用するに値しない、
というのが個人的な結論です。

組織の中に良い人は
いるのは事実ですが、
組織の一員では、どうしようもないし、変わらない。

あるいは、頼ってもよさそうな
薬みたいなもの、
ってきっとあるとは思います。

ただ、本当に効くかわからない。

そもそも買えるものは、商品。
他に頼るのが、きっとよくない。

自分の体で生じたことは、
自分から何かする必要が
あると思います。

病院や薬は一時的な対処をしてくれる、
ただ、根本解決はしてくれない、

解決方法も失敗、間違えることもある、
失敗を認めない、そういう人たちだと
と割り切っておくといいと思います。

 ただ、病気にならない、
健康になるには、
などと調べると、もうキリがない。

食べ物であっても、良い面、悪い意見、どちらの
解釈もされている。

お肉が体にいい、悪い、コーヒー、玄米がよい、よくない、
などは調べれば、良いことも悪いことも、どちらもある。

結局いいのか、悪いのかさえ、
わからなくなってしまう。

自分がいいと思うこと、都合の良い方に
解釈するしかないように思う。

しかも正しいかどうかも、
確かではない。

人それぞれ、体は違うので、
解釈もそれぞれ違うことに
なるとは思います。

ただ、呼吸の解釈は
ほとんどきかない。

呼吸法やヨガなど、色々あるはずです。
好きになれたら、どれも
とてもいいはずです。

 読経は何かがよい。これは
実感しています。費用はかかりません。

そもそも、読経が健康に良い、呼吸に良い、ということも
全く知らなかったし、

飽きっぽい私でも
般若心経と観音経の読経は、
1日も欠かすことなく、
続けてられています。

読経の良さを
おおまかに言えば、

睡眠の質があがる、よく眠れる、
目覚めが良い、
暑さや寒さに慣れる、ばてにくい、
足が軽い、
山の空気がおいしく感じる。
腹を立てることが減る、

など色々です。 

他にもきっと気がついていないだけで、
多くの良いことはあると思います。

暑さに関しても、
よほど暑ければ冷房はつけますが、

少し暑い程度であれば、
冷房をつけようとも思わない。

我慢でも、節約でもなく、
ただつけたいと思わない。

冷房をつける時の気温は、
他の人よりはきっと高いと
思います。

早朝は、山から澄んだ
空気が降りてくるので、
朝は窓を開けることが多いです。

お隣の家は、朝からガンガン冷房をつけていますが、
確かに少しは暑いとは思います。

ただ、冷房をつけるほどではない、
我慢しているのではないけど、
外にはもっと心地よい
涼しい空気があります。

窓を全開し、
外の空気を朝は取り入れるくらいで
十分ですね。

呼吸の力がついてくると、空気も体に取り入れられる。

読経はいいものですが、
毎日同じ調子できるのではなく、
疲れや寝不足だと、声に力が入らない。

天気の良し悪しでも結構変わります。

曇りや雨の時は、声も今ひとつ、
読むのも間違えることが増える。

実は、一つの悩みの種でした。
気分で読経の声が変わる、どうにかならないか、って思っていました。


私なりにうまく対処できたことは、
掃除です。

そうじのおばさんを、ふと思い出したことがあります。

随分前は、会社員をしていた時もあるのですが、
その時に見た、掃除のおばさんが
最も健康にみえたわけです。

どこの誰よりも顔色が良く、
明るかった。

社長や社長夫人よりも、ずっと給料は安いはずだけど、
何か元気で、体調も良いように見えた。


そうじのおばさんの仕事は、
建物内の階段の手すり、
電話の受話器、窓、ガラス、ショーウインドーなどを
拭くことです。

多分、パートだったと思うのですが、
全フロアーをはき、拭き掃除をしていました。

私は丹田呼吸などについて調べていたことがあります。

丹田呼吸は、腹式呼吸よりも深く、
お腹の下、丹田で呼吸をします。

長い間、丹田呼吸は
なかなかできないか、
実感ができずでした。

丹田呼吸の本によると、

柔道で背負い投げをする瞬間、
太極拳、
雑巾を絞る時、
拭き掃除、
ホウキではく、
コップなどを手で洗い物をする、
といった、動作のときに丹田呼吸になっているか、丹田呼吸そのもののトレーニングになるそうです。

背負い投げの瞬間、
ってわかりやすいですが、
普段ではそんな機会はまずない。

掃除や洗い物が身近で
良さそうです。

ある外科医の先生が、グラスを毎晩、拭いている話を
きいたことがありますが、

丹田呼吸のトレーニングになっていたわけです。

掃除のおばさんは、掃除で
朝から丹田呼吸を
実践していたわけですね。

掃除が仕事なら、
丹田呼吸をしている時間が
誰よりも多い。

だから顔色がいい。
単純です。

なるほど、って思って、
わたしも拭き掃除や
ホウキで掃除するなどしていると、

確かに良い感じの呼吸になってきました。

今は、毎朝、読経前に
洗車をしています。


毎日軽く拭けば、ホコリや砂が
付いているのがわかります。
鳥などの動物の足跡があることも。
そして、毎日拭いていたら、洗車不要、いつでもきれい。

洗車とはいっても、バケツに水をれて、
タオルを絞って車を拭くだけです。

ただ、車を拭くとはいっても、
それだと楽しみがない。

両手で拭いていると、
なお良い呼吸になることに
気がつきました。

両手で車を拭くと腰も
背中も伸ばす。

とてもいい柔軟体操みたいです。

たぶん、太極拳に似たような
動きになっていると思います。

両手で車を拭いているときの呼吸と、
観音経を読み続けているときの呼吸は
似ている。

洗車、結構いいですね。

車がきれいになるのと、
呼吸の訓練にもなること、

そして、何か車を大事にしよう、っていう気持ちも出てきます。

そういった洗車の副産物を考えれば、
ガソリンスタンド等での
洗車はしない方がいいと思います。

毎日車を拭くだけで、
観音経+車きれいになる、
呼吸の訓練、車への愛情が出てくる、

健康、などの
相乗効果も大いに期待できます。

車は決して生き物ではないですが、生き物と同じように
感じてきます。

雑に扱えば、事故は
起こりやすいだろうし、
呼吸も乱れます。

毎朝の車の雑巾掛けで、呼吸や観音経の読経とおなじような
効果があると言っても
いいかもしれません。

ちょっと話が脱線しかけましたが、
車を太極拳のように両手で拭く、
タオルを絞る、などします。

その後に読経を始めると、
声の張りがある。

そしてとてもスムーズに、心地よく読みあげられます。

おそらく、洗車が読経の準備体操に
なっていたのかもしれません。


そんな中、ふと古本で手にした、「薬のいらない仏教健康法」という
本を読んでみました。

結構面白い内容です。

読経に関しての説明も
ありました。

私個人の読経の体験と比べても
著者は実際に読経等を普段から
しているということは、明白です。

読経に関してのおおまかなポイントは、
私の考えと一致していました。

「意味を気にせず、一心不乱にただ唱える。」


本には色々と読経の効果が
紹介されています。

読経は呼吸が整い、
血行がよくなる。脳の活性化、
集中力、ひらめき、
想像力の強化が生じる。

昔、高僧が病人の前で
念仏やお経を唱えて
治した気と声の音楽療法とも言えることがあったそうです。

延命十句観音経は、白隠禅師によると毎日2、3百遍の暗唱、
不慮の事故、また健康であっても、心をこめて唱えれば、

無病息災、長生き、
そして驚くべき霊験があらわれる、
という。

など知らないことが
多々書かれていました。


京都三十三間堂の観音勤行儀という冊子には延命十句観音経は
ありました。

毎日200回も読んでいませんが、
延命十句観音経は短いし、
200-300回はその気になれば、十分できると思います。

文章は長くないし、
読むのに時間もかからない。

お金もかかりません。
こういうのがいいと思います。
読むだけ、
至って単純です。

般若心経15回、
観音経全文一回、延命十句観音経2回、その他いろいろを
朝昼晩にそれぞれ読んでいますが、
ちょうどいい感じです。 

時間は30分もかかっていません。

偉そうには言える身ではありませんが、
ある程度の量は唱えた方が、
確実に良いと思います。

ここで延命十句観音経を200回、
300回となると、
結構な量になる気がしますが、
おそらく、お坊さんはそんな程度ではないはずです。

お坊さんとまではいかなくても、
お経などを普段の生活にいれるのは、
とてもいいと思います。

意味は全くしらないけど、
何かの合間に延命十句観音経をやってみるだけでも
良さそうに思えてきました。

意味は考えない、調べない、
ただ唱えるだけで
良いそうです。

ふと思えば、お経に関して
語れる立場でない。

知識や経験もないですが、
観音経や般若心経の読経には、なにかと良いものを
感じるのは事実です。

随分と前に、京都三十三間堂の千手観音像を見て、感動した。

そして観音勤行儀の冊子を
読む予定もないのに
購入しました。

あとあと読むことになるとは、
当時は考えもしませんでした。

冊子には般若心経、観音経全文、延命十句観音経、その他色々と
含まれています。

何も考えず、ただ読み上げるだけで、
何か良いものがある。


何か良いものって、
やってみないとわからない、
気がつかないのかもしれません。

梅干し作ること、
野菜を栽培、収穫すること
料理すること。
きっと何か良いと思う。

ただそうは言っても、
特に目新しいものでないことの
方が多いと思う。

タオルを絞る
窓を拭く
食器を洗う。
ホウキではく。

あるいは台所に立つことも
きっとそう。

気がつかないけど、
きっと良いものだと思う。

そして読経。
決して難しくない。

読経って今住んでいる
地域の人の多くは

ある年齢層を境に、
お経を暗誦するくらい。
以前は日常的に
あったものだと思う。

となると、高圧洗浄機や
食器洗い機、
掃除機、

勝手に動くロボットの掃除機など、
楽なもの。

ほうきを使わず、
エンジン音の騒音がある
ブロアーで吹き飛ばすような掃除は
ダメじゃなかろうか。

冷却ファンのついた作業着も
何か良くない気がします。

便利なようで、
呼吸を鍛える機会を
奪うものかもとも言える。

そうなると便利とは一体何なのか、
便利の弊害、って考えると
結構出てきそうです。

弊害に関係ないのは、
体を使うこと、時代に逆行するような
ことにあるとも思えてきます。

刃物を研ぐ、というのは
結構集中してするのでいいと思います。
外を歩くことも
やっぱり良さそうです。


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