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何もかも汚い

農業と自家用の野菜作りは
別ものだと割り切るといいと思います。

見ていると、どうもスッキリ
しないことが多い。

結局のところ、農業では
収量が第一で、
健康な食べ物は二の次となっている。

できた野菜等がまともであれば、
決して悪いことだとは思わないけど、

食べることはからだを作る。
命にもかかわる。

健全なものよりも、
優先度が上がるのが、収量となっている
気がしてしまうことがある。

どの業界でも、多少の
悪人はいるもので、
正義の味方みたいなヒーローは
少ない。

いたとしても、
存在が薄く、目立つことはない。

架空のドラマなどではヒーローが
悪者を倒していくものが多いが、

現実はドラマよりも、
悪人の野放し状態だと
思うことがある。

言葉は悪いけど、腐った業界、って
きっとあると思う。

野菜に経済がついていると
ある面は目をつぶるようなことが
出てくる。

たとえば、大規模で農業をしている農家の中には、減農薬や特別栽培で
野菜、穀物栽培を進める。

規定より農薬を減らせば、
減農薬となるが、その周辺は度重なる除草剤で一掃する。

薬で一掃すれば、労力は省け、
楽なわけです。

ただ、危険性や安全性には大丈夫だろう、という
ことになっており、健康には目をつぶっている状態になる。

実際に畑の周辺は、
農薬回数としては数えられて
いない。

(今は道の駅などでは、使用回数や使用した農薬名が小さな文字で
記載されていることがある。ただ、実際に見た回数と一致しない。周辺の農薬使用は回数に含まれていない。)

認定された農薬で使用量を守れば、
何ら問題はない、ときっと信じている。

要は悪気は全くないわけで、
よほど問題意識や関心がない限り、
調べることはない。

ただ、素人目線からしても、
原爆の跡のような壊滅した草を見ると、良い感じは皆無。

安心安全、健康は
考えられていないようにしか見えない。


もし空いている畑がこの状態なら、
借りてはダメだと思う。
水は下へ流れる。
畑でも使う人はいる。
毎日歩いていると、異変はわかりやすい。色がだんだん薄くなる。


あるところでは、畑の中を全て除草剤で枯らして、指定の肥料を入れて

地域の特産品、ふるさと納税品を栽培しているところもある。

それで特別栽培が成り立つわけですが、一般人が見たらどう思うか。

おそらく、特別栽培だとどこか良いものに聞こえてくるのではないか、
と思う。

土も野菜も、心も腐ってる、
と私は感じても、

誰にも知られることもなく、
うまく経済は回る。


何かの機会に調べたら、実はヨーロッパでは禁止されており、
日本では誰もが買える状態のもの
がある。 ( ネオニコチノイド、 グリホサートなど )

関心を持って本気で調べれば、
きっと恐ろしいものを知らずに
使っているケースはあると思う。

除草剤であっても、
「濃いめに撒いておいたから、よくきいている」
といった立ち話も聞こえた。

誰もが買える農薬となれば、
自由気ままに使われることにも
なりかねない。

より効くように濃く使う、と
考える人はきっといる。

あまり思い出したくもないが、
大量のカエルが
死んでいるのを見たことがある。

遠い昔の話ではなく、
今年の初夏のことです。

どこかの水田でカエルが
死んで流れ出たと想像はできる。

死んだカエルは
水路を通って、そのまま
自然農法の水田に
水と共に流れ入る。

翌日は大雨で
証拠は隠滅されたが、

今だに自然農法を
している本人にはいえずじまい。

仮に言ったところで
すぐに対処できるわけでもない。

水は上から下に流れるのが現状であり、
水をどうするか、となれば簡単には解決しない。

歩いてみていると、
無農薬であれ、周辺を見
ないと全く意味がない、
ということがよくわかった。

たまたま動画を見ていて、
魚の減少の話がありました。

その中で、水田に農薬を撒いた後は、
7日間は下流に水をながしては
いけない話がある。

要は農薬の効果を出すためだが、
昔は魚が大量に浮いて死んでいる
姿を見たという。

尚、7日間は水田から水を流さないように、というのは、ホームセンターの農薬コーナーに書かれているのを見ました。

特別なことではない。慣行農法では一般的なのかもしれません。

この方の話によれば、
今は魚に直接すぐに農薬の害が現れるのではなく、
魚の食べ物に効く農薬らしく、植物やプランクトン類に害が出るらしい。

魚は稚魚から食べ物がない状態で
成長できず、
魚の数が減っているという。

死んだ魚が浮かび上がらず、
魚に害があるのがすぐにわからない。

開発者は知ってるか、
どうかもわからない。

ただ、農薬法人や専門家の
ような人の意見では、
環境に害がなく、安全という。

そう言った人々は、都合の良い方に
発言しているように見える。

直接関係がない、良い悪いのどちらの発言をしても
良い第三者のような研究者、

他分野の人が調べているものは、
話がわかりやすく、説得力がある。


魚が減っていると言うのは事実らしく、また意外であるが
宍道湖の異変は遠く離れた海外の人が
サイレントアースでも例を上げている。

もしかしたら、日本では話題になっていたのかもしれないけど、

実際に知らなかったし、
あまり大きくは取り上げられていないと思う。

こうして見ると
遠く離れた外国人知っており、
近くの日本人が知らない、
というのは奇妙。

きっと昔からある悪い癖で、
都合の悪いことは隠す、
と言うことだろう。



さて、先の魚の減少の話は
とてもわかりやすい話ではあるけど、

カエルの大量死を見て思ったのは、
もしかしたら、昔使っていた農薬(今は禁止されている)が
倉庫などにあって、
使っていたのかもしれない。

あるいは何かの分量が超えていたの
かもしれない。

農薬は当時は安全だとなっていても、
後日禁止される例が多く、使い切ってしまおう、

なんて
思う人がいても
おかしくはない気がする。

昔は水田に
多種類の有機水銀が使われていた。


今では禁止となって、
回収を呼びかけているようだけど、
もし蔵や倉庫で禁止された農薬があれば、どうするだろうか。

 手続き等が面倒くさくて
そのままにするか、
何かに使う人もいるかもしれない。

となると、どこかに捨てる、一般ゴミに少しづつ混ぜて捨てる、
あるいは使い切る、
という人もいるかもしれない。

バレなければ、という心理はあるだろうし、実際に様々なものの
不法投棄は多い。

川の堤防や山に
行けば見かける。

歩くのは個人的には
とてもいいと思っていますが、
人の悪い面が良く知れる。

色々見ていると洗車などした時の洗剤が
水路に入っているのもあった。

住宅地の中では、一部は排水が水路に
そのまま流れているところもある。

こうしてみると人の心は自己中で
あると割り切っていいと思う。

見ず、知らずであれば
ある面、楽であるが、

知らずのうちに長期間食べて
体がおかしくなる可能性は
おそらくある。

原因不明の病気の
理由だと考えてられる気がするが、
ただ、特定はできない。

特定できないから、
証明できないから大丈夫、

というのもおかしな話であり、ネオニコチノイドだけをとっても、
ヨーロッパではかなり
話題になっていました。


コンクリートから出る謎の液体。これも田んぼに流れ入る。
何かの原因になるかもしれない。

温暖化などいう意見もあるけど、
暑ければ涼しいところにカエルは移動するはず。

大量死は考えられない。

上流3キロくらい歩いてみてまわれば、
おかしな現象は
多少は気がつくと思うが、
大抵は自分の管理している
田畑しか見ない。

また移動は車が多い。

車だと、残念ながら不法投棄など
その他事実は見えない。

まして歩いて農地を見ている人は
いるかどうか。


もしかしたら
気がついているのかもしれないし、

知って見ぬふりを
しているのかもしれない。

草刈りや水田管理、栽培が専門なので、
周りの環境は専門外だろうと思う。

となると、いかに収量を上げるか、
作業効率よくするか、
農薬などは安全だろう、

と信じきった方が手間が省け、栽培に
専念できるわけです。

ましてや環境や人の健康については
意識は低いはず。

もちろん、いろいろと考えている人も
いるだろうけど、実際に
できているかどうか、

また全体数からしても、
そう多いとは思えない。

除草剤を気色悪いと言って使うわけがない、と言う人もいる。

使う使わないは、選べるわけだけど、
気持ちが悪い、と思うかどうか、
が一つの分かれ道です。


幼少期に自然に慣れ親しんで育てば、
考え方も感じ方も違うだろう。

ただ、農業として育てば、効率や収入面ばかりが目立ち、
きっと感性も鈍くなる。

まだ農業を全く知らない人の方が
良し悪しの判断、
疑問に感じることなどの
感性はあると思う。

真っ黒に枯れたような草を見て、
何も感じないなら、

自然に対する気持ちは皆無だと
思う。

割り切って使う人も
いるかもしれないが、

気持ち悪ければ使わないだろうし、
なしで十分できる。

草を取る労力は増えようが、
周りや人の健康を考える余力があれば、

気持ちが悪い、あるいは何か疑問が
出てきてもおかしくはない。

ただ市販されている=安全、
農協が認めているなら、そのまま信じ切る人はきっと多い。

こうして見ると、無知も何も考えずも
どこか罪があるように思えてくる。

食べ物なので、人の体に入るので、
大事なことであるが、
優先順位は高くなさそうに思う。

飲食店でもにたような感じで、
お客様の健康よりも、食中毒を出さないことを優先するわけです。

普通から見たら、明らかな過剰な消毒、たとえば次亜塩素酸ナトリウム(ハイターみたいなもの)でまな板や
野菜の消毒をする。

当然、薄まっているとはいえ、
人の体内に入るわけです。

稀に敏感なお客さんに
味の異変を指摘されても、
黙殺するのが現状です。

消毒類が免疫機能に
ダメージを与える可能性よりも、
対策ができてるかが大事、

もし食中毒対策が不十分、
菌の検出でもあれば、
外部機関からの厳しい指導
罰則が適用される。

人の健康は考えることなく、
目をつぶって進めるわけです。

もし正義の味方や第三者、
公営のプールなどで見かける笛を持った監視員などいれば、笛が鳴り響き、多少は止められるかもしれません。

ただ現実はそうではない。

安全や健康面を追求するなら、
おかしなところは山ほどあり、

ただ当事者からすれば、悪気はなく、
考えないか専門外、棚にあげた状態とも言える。

となると、農業も飲食も、
全てでないが、中には視点次第では
腐った業界と言える面もあると思う。

きっと他の業界でも
似たようなことは、あると思います。

本来であれば優先されるべきところが
無視されるようなことも。

腐った、汚い言葉ではあるが、
あまりあやふやにしてもわかりにくい。

そういえば、政治屋、って言葉もありますが、腐った政治家、と表現した方がきっとわかりやすいと思う。

ただ、立場上、汚い言葉は使うとまずいわけです。

私は言葉使いや表現は下手なわけですが、汚い言葉は避けたい。

ただわかりやすく、となると時に難しく感じることもある。

人は言葉を使う生き物ですが、
汚い言葉は、ぎゅっと濃縮したら猛毒の成分があるそうです。

そのため、いい言葉を
使うのに限る。

ただそうはいっても
良い言葉だけでは
難しい。

そんな時、何気に動画見ていたら、
面白いことにとてもわかりやすくいっているのがあった。

偶然とはいえ、不思議です。

「汚い汚い、何もかも汚い」

と光悦が家康に向かって力強く言っている姿ですが、わかりやすい。

口先や頭からの言葉ではない。
腹の底からの怒り。

言葉は本気で強く思うからこそ、
伝わる。

確かに汚ない。



枯らして野菜を栽培する。


一方で自然の生き物を見れば、

確かにきれい。言葉にならない。


むかご


オクラの葉についた毛虫。
色はきれい。

葉は食べられているが、
オクラはありえないくらい、
毎日大量にできる。

別に殺傷しなくても、
野菜はできるし、そもそも
オクラの葉っぱは使わない。
毎日オクラ、確か7月くらいから、とにかくオクラが毎日続く。

結構おすすめの野菜です。
しかも大きくて、いい味です。

夏の雰囲気もあり、花も咲く。見て、食べて、楽しめる簡単な夏野菜。

毛虫はいたけど、
オクラの収穫には関係ない。

殺虫剤をまけば、畑でオクラを生で食べる気にはなれない。

彼岸花。嫌う人もいるらしいが、
これほど不思議なものはない。

この時期だけ咲く、しかも真っ赤です。縁起がどうこうではなく、

見たそのままの自然の姿に
感動する方が素直な気がする。

自然を見る
何度も触れる
良い香りをかぐ
風に当たる

汚ないもの(心)も少しは磨かれ、
きれいになる。

先日、クーラーがきいたホームセンターに入りました。

涼しい。
確かに涼しい。快適。

それでもずっと一日中、強い冷房のところで過ごせば、
快適でも体は暑さに慣れないし、
何年かすれば、冷え性になってくる。

すぐに害がなくても、
冷え性などは後から
来るものです。

冷え性は厄介で、
極力ならないようにした方がいい。

そのためには、
自然は快適だと知った方が得です。

少しの暑さでも、風吹けば快適。

外には、太陽の光、自然で快適なものが
溢れている。

外は快適なのにクーラー溺れるか、
なんて危機感を抱いた。

そこでもう思い切って外に出たら、
確かに暑い。

でも5分もしないうちに、
快適で暖かい日差しを感じた。

本物で絶対真理の
自然の光である。

夏は暑い
外に出よう。
考えずに出たらOKです。

となると、先の汚ない汚ない、
何もかもがきたない、
と言う強い言葉は、
うまく使うといいと思う。

「きれい、きれい、何もかもきれい。」
の方がやっぱりいいですね。

何かに負けそうな時
凹む時、
言葉の力は偉大だと思う。

余談だが、汚ないものを見て汚い言葉を思わず出してしまった時、

読経したら、かなり気分は晴れた。

時々読経の良さを痛感しているが、
良い言葉で組み合わされて
できたものだと思う。

真言も言わば、まことの言葉。

片付けている時に、大黒天ご真言の
紙がでてきました。

おんまかきゃらやそわか、

短いが、確かに気分は変わる。真言。

うそ偽りない、まことの言葉というなら、唱えればいい。

短い真言も数を唱えれば、
結構よさそうです。

嘘偽り、毒を消す、
そんな効果もきっとある。

たぶん、真言だけでも瞑想が
できちゃうんじゃいか、と思う。

自然の力と人の言葉をうまく使う、
きっと何か良い道がある。

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