まつたけ
お米の収穫途中、隣町の人に
松茸をとりにいくけど、
こないか、と誘われた。
もちろん、違法ではなく、
持ち山だというので、
つい乗ってしまった。
私の分のおにぎりもつくった、
っていうから、
稲刈りの合間でも、
なんとなく話にのってしまった。
本当は稲刈りの途中。
それどころではないが、
ノリのよさ、って地方に住む時は、大事なことだと思う。
それに、そう親しくもない関係でも、声をかけられるということは、
少なくとも嫌われてはいない。
日頃のさりげない挨拶や会話が
きっと悪いものではなかった、とも考えられる。
こういうお誘いは、強引で
急なことが多い。
考えずにGO,
体が素直に反応した感じです。
たぶん、考えたら、
断っていたかもしれない。
反射的に、考えずに答えるのがノリのよさかと、後になって思った。
なんとなく、面白そう、
そんな気がした。
逆にいい話であっても、
なんとなく嫌な感じがあれば、断る。
さて、松茸ということで、
軽トラの後ろにのり、
だいたい20分くらいだろうか、結構な山奥に入った。
人が入らないところ、遠く離れれば
静寂そのもので空気が変わる。とてもきれいな空気です。
かなり急な山に入り、階段のようなところはない。
山の道、人が通る道はない。斜面を登るだけ。
森の中に転がるパンのようで、遠くからでもすぐにわかる。
猿のこしかけも、いざ見つけると、どうしたら良いかわからない。
素手では取れないくらい、木にしっかりと生えていました。30cm近い大きさで、きっといい薬になるはず。
途中で思ったのは、
空気と土のきれいさ。
人がいないところは、
こうもきれいなものか、
また山奥の土は、畑などの
ものよりもずっといい。
土の香りも良く、
途中で川があったけど、
そのまま飲めるらしい。
この空気と土を食べてもいいかな、と思ったくらいです。
となると、この山に何か植えてもいいかもしれない。
鹿やイノシシ、猿、その他の食べ物になるだけかもしれないが、
この環境はなかなかいい。
後になって、あの大量に見かけたキノコも、きっと
美味しく食べられるように思う。
というのも、この土と水、空気で育つなら、まずい味であっても、
何か味わえるような気もしてくる。
この土で育ったものを食べたら、
きっとすごく
元気が出る気がします。
自然が植物をつくった。
もしそのものが、そのまま食べられない、食べにくい、というなら、
それこそ、人の出番だと思う。
まずい、とは言っても、どんな料理の仕方だったのか、
どんな味なのか、やっぱり後になってみると
味覚は人それぞれだし、
何かやってみるのも良かったかと思う。
こうして、良い環境でできたキノコなどみると、
野菜もお米も、土からなるわけだから、
いい土、いい水、良い空気でありたいものです。
いつまでも触っていたい、素手で触って心地よい土。
こういう土は久々な気がします。
土があってこそ良い野菜もできる。
良い土、食べたくなるような土、
どうやってできるのかと言えば、
自然が作る。人ではない。
ここは頭に入れておきたいところです。
ちなみに、この山は紅葉樹が多く、ほおば味噌に使える朴葉も多い。
杉やヒノキだけの山だと薄暗いが、
ほどほどに木の間があり、
地面は明るい。
落ち葉も多く、腐葉土もいい感じでできています。
全く汚い感じがない。
そして、なによりも、とにかく外で食べるおにぎりがうまい。
他人が素手で握ったおにぎりなんて、って思う人はいるだろうけど、
おにぎりは素手がいい。
お寿司は素手で握るのに、おにぎりだと
抵抗があるというのも、変な話。
単純だけど、おにぎりはおいしい。
理由はわからないけど、塩を手につけ、
アツアツを握るおにぎりは格別です。
昔、母親が何気に握っていたおにぎりも
どこか懐かしい気がします。
そういえば、作った
おにぎりを褒められた
こともありました。
作り方は単純だけど、
とても美味しくなるのは、
たぶん、素手で握るおにぎりだと思う。
きっと作るひとの楽しさも
素手から入るんじゃないかと思う。
これがコンビニおにぎりだと
明らかに違う。工場で機械が作ったものは、同じような
材料でも何か違う。
おにぎりは、やけどするくらいの炊き立てアツアツご飯を
ギュギュッと握る。
塩をたっぷりつけても、
ちょうどいいくらい。
中に梅干しがあって、
さらにいい。
おかずもあってもいいけど、おにぎりがあれば、
とにかくいいですね。
ただ、このムカゴを植えれば、小さな自然薯はできます。
売り物にならないから、
価値はないという人もいる。
ただ山にあるものは、
きっと良い体を作ってくれるもの。
人が栽培したものは、
とにかく扱いやすい。大きいし、味も食べやすいようになっている。
ただ形悪く、小さくとも
何か良いものがある。
おそらく、環境、土、水がいいから
味わいのあるものにできるのだと思う。
栗でも小さいが、
大きな栗よりもおいしい。
さて、松茸は、大半が鹿にかじられたようで、今回は少なめだそうです。
小さくて、半日の労働としては、結構な運動量でした。
ただ、なかなか松茸は
買えないものだし、
取りに行けたこと、また誘われたというのは、嬉しいですね。
松茸、大きさは小さいですが、
こういう高級食品は
人を喜ばせる力があると思います。
程よい量なので、実家に
生姜や黒豆の枝豆を慌ただしく取って当日発送。
私はシカがかじった頭なしの
マツタケで十分。
薄刃包丁で薄く切って貴重さ、
ありがたさを
味わうのもいいものです。
町にでたときに、乾物屋さんで手にした昆布でダシをとり、
松茸のお吸い物。
そして、まつたけごはん。
質素のようで、ぜいたくなものです。
足は急斜面を一日中歩いたので、多少の疲れはあるようです。
ただ、それでも良い空気をすい、美味しいおにぎりを味わう。
さらに、松茸を見つけたときに一気に元気になる、というのも
面白いところです。
松茸ではなく、このニンギョウタケという
キノコなら、大量に取れたのですが、
やっぱり、とにかくまずいと言われると、
持ち帰る気はなくなる。
それでも、毒がないのが確実なら、
色々と調べてやってみてもいいかもしれません。
しめじのようなキノコも以前見かけたのですが、
イノシシか鹿が全て食べ尽くしていました。 ということは、毒キノコではないのかもしれない。
ただ、キノコは、要はカビです。ちょっと間違えたら結構危ないわけです。
野生のキノコには手をつけない、と決めていましたが、
あとになって、あの大量に見かけたキノコは少し気になりますね。
そうは言っても、メインはマツタケ。
何より、松茸狩りに声を
かけられることは、
それなりに嫌われてはいない証拠だし、
しかも、松茸は、他言無用らしい。
要は秘密にしとけ、ということ。
松茸はこっそりと取りに行く、
というのも
なんとなくわかる気はします。
松茸は、そう簡単に取れるわけではない、険しい山の急斜面にあって、
何度か足を滑らせたくらいです。
それでも、何か冒険か
宝探しのような感じもあって、
なかなかいいものでした。
そして、おにぎりがおいしかったこと、
具は梅干しに限ると思いました。
梅干し入りのおにぎりを食べたあとは、妙に疲れも取れたし、
何よりも、ご飯とよく合う。
こうしてみると、
梅干し入りのおにぎりを持って、
どこか、近くでも冒険というか、
出かけるのもいいかもしれません。
気温は高めでしたが、梅干しがあれば、おにぎりも傷まない。
そして味もいい。疲れもとれるし、
何か底から湧き出る元気も出てきます。
梅干し入りのおにぎりがこんなに美味しいものか、と
改めて思いました。
梅干しが、日本人の生活の中心か何かの手助けになっているように
思います。
主役はご飯ですが、梅干しがないご飯、おにぎりは
何かもの足らないものです。
とにかく稲刈りをササッと
終わらせたい。田んぼの水が引かず、
刈り取った稲をその場に置けない、これだけで結構な時間が取られる。
イノシシが田んぼに入ると、
ちょっと厄介です。
稲が倒れ、土に紛れ込めばお米の
収穫は手刈りでもやりにくい。
とはいっても、お米自体は十分実っていて、
草が思いのほか、少なかった。
他の農協系の慣行栽培の人のところは、大半が失敗(イネが倒れる、草が異様に多い)そうです。
とにかく、松茸で楽しくできたので、残りの稲刈りをイノシシに
荒らされる前に終わらせよう。
松茸も、1日たてば、何か昔の思い出のようです。
こうしてみると、やっぱり、全て一瞬のこと。
マツタケの話に乗らなければ、単に地味な時間だったかもしれない。
まつたけは、楽しかった。味もいい。
元気がでますね。
ノリがいい、素直になるだけだが、損得考えずに体で反応する。
体が脳、とも言える。
頭で考えずに動く、っていい気がしてきます。
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