刃物を研ぐ心境
朝に外で刃物を研ぐことを
始めました。
今日使う料理包丁、
そして、何本かある日本剃刀、
その他刃物。
日本カミソリは、大きすぎず、
程よいサイズ。
昭和の床屋さんでよく使われていた、
古い剃刀です。
古すぎて、サビや欠けのあるものでも
研げば、まるで生き返ったかの
ようになる。
生き返ったものは、何か命がまた出てきたようで、
活用したくなるものです。
大きくかけていても、荒い石から順に
研いでいく。
天然の荒い砥石が結構優秀で、
欠けた刃を落としてくれる。 九州の原産で、砂を固めたような、
天然砥石です。
今日は荒い砥石だけのつもりが、
つい時間を忘れて研ぐ。
欠けた刃、
こうしてみると無意識で
結構気になっていたようです。
サビも同様。
カミソリは、だいたい研げたら、
結構いろんな用途に使えます。
カッターナイフや鉛筆削りの
代わりになる。
今回、日本剃刀で
小さくなってしまった、鰹節を削ってみました。
かつお節は削節器で
削れないくらい、
鉛筆のような大きさの
かつお節です。
鉛筆を削るように
削ってみました。
ただ、切れ味はもっと欲しいところ。
かつお節はとても硬い。
薄く、もっとスムーズに削れれば、
かつお節も最後まで使えるってもの。
小さくなったかつお節は、
味噌汁に入れたり、とにかく加熱して食べれば
結構な一品料理にもなります。
6ヶ月以上もの時間をかけてつくられた、本枯れ節の鰹節。
これだけで、料亭を超えると思ってもいいくらい。
削りたてのかつお節、あるとないとでは、
食事の豊かさが全く違う。
だからこそ、うまく活用する。
そのための刃物です。
使い道がわかれば、
研いでもみたくなります。
カッターナイフでも、
切り出しナイフでも
草刈り鎌でも、
とにかく研いでさえおけば、
途中で嫌になることがない。
切れ味が悪いのは、不快そのもの。
始める前も気が引ける。
切れない刃物を使っている時は、快適ではない。
しっかり研いで、
刃をつければ、農作業、草の刈り取りなどは
快適にできる。
しっかりと仕上砥石で研いだ草刈り鎌は、
軽く振りおろすだけで、
スパッと切れる。
この快適さは、なんとも言えない。
この快適さがあるから、
私は、エンジン音がうるさい草刈機は使わない。
弁慶が使っていたナギナタのような
草刈り鎌も使ってますが、研げば
結構つかえますね。
草刈り鎌が市販されているってことは、
使っている人は他にも
いるはずなんだけど、
近くではみたことがない。まわりでは、
電動のものしかみたことがない。
鎌を使う時は力は抜くから、
意外に疲れない。
ただ、結構集中してしている。
この集中している時って、剣道で素振りをしているときの
心境が近いかもしれない。
研いでいるときも、
不思議と似ている。
料理包丁と同じく、
鎌も切れ味が悪かったら、何か違和感がでてくる。
刃物を使う/研ぐは
もう切り離せない関係です。
たぶん、電動のものがない時代はみんな鎌を使っていたと思う。
昔の納屋か蔵には、錆びた鎌や研ぐための天然砥石が
少しあった。
あとあと聞くと、古い蔵の大半は解体されたそうで、
道具もほとんど廃棄されたという。
引き継がれずに消えていったものは
きっと多い。 木の板や箱を見ても、今ではみられないような、
大きな一枚板があった。
焚き木で燃やされていたのは、
以前にみましたが、
どうも勿体無い気がしてならなかった。
1メートルを超える、ノコギリも見たし、
こんなのどうやって作ったんだろう、って思った。
家の大黒柱を準備する時に
使ったそうだけど、
家も手作りしていたんだろうか。
なんだかチェーンソーや草刈機の音が
虚しく、味気ないように思えてくる。
それと、百姓一揆って、たぶん鎌、ナタ、などの農具を武器に使って
攻めてきたから、相手はかなり怖かったんじゃないだろうか。
そんなことも思いながら、
錆びた刃物を、もうこの際、全部順に研いでいくとにした。
包丁も何種類かあるのですが、
あまり使わないものは錆びていた。
ただ、刃物を研ぐって、
思いの外途中から
集中してくる。
これは、もしかしたら、
刃物研ぎ瞑想、っていうのも
あるかもしれない、って思いました。
朝だけど、刃物を研いでいると
途中から汗が出てくる。
注意しないと、怪我するわけなので、
とても集中する朝の時間。
サビがとれ、
だんだんときれいに輝いてくる。
カミソリは、ほどほどの研ぎ具合で止める予定が、
紙を切ってみたり、
さらに刃の輝くや傷の有無を
ルーペで見てしまう。
時間かけすぎ、だめだ、って思っても
止まりませんでした。
刃物研ぎって、何か忘れているような
状態になるようです。
ただ振り返って思うと、
ひたすら何か打ち込んでいる時間、
悪くはなかったですね。
というのは、
ついニュースを見ても、
腹立たしく思え、
気分が悪くなることばかり。
考えてみたら、どうにもできないことで
気分乱れるのはもったいない。
だから、朝の刃物研ぎ、
毎日することにしました。
刃物研ぎ、瞑想、って言ってもいいかもしれない。
特に朝一は、気分を害することは避ける。
ほんの数分から数十分、
研いで何か忘れている時間は
結構いいものです。
それに刃物なので、集中してする。
刃物は特に集中してしないと
ケガをする。
だから真剣に研ぐ。
気がついたら、
結構な量を研ぎました。
何だかすがすがしくなって、
午後にはサバを買ってきました。
今回はまるまる一匹です。
研いだら、何か料理でも
したくなるものです。
魚のおろし方、なんて教わったこともないですが、
包丁がよく切れたら、
あとは何とでもなるものです。
また剪定バサミは錆びていましたが、
紙やすりでさび落とししました。
サビを落とすだけでも、
随分といいものです。
頼まれたものは、ある程度切れる状態で
あればいいと思ったので、手短に。
野菜切る包丁は、なるべく鋭く、
魚などの出刃包丁は、
研ぎすぎない程度で。
かつお節用のカミソリは
なるべく鋭く研いで
おくことにしました。
研ぐ、磨く、サビを落とす、といったことは、
なにか気分良くなるようです。
今度、紙やすり(耐水ペーパー)を何枚か調達してこようと思う。
切れない、錆びた、
欠けた刃物って、
無意識で疲れてくると思った。
刃物を研げば、
気分良く料理できる。
気分で料理するものなんだろうか、
って思ったけど、
乱れた気持ちで料理を
するものではない。
結局研ぐ、磨くの目的は
気分良くなることのようです。
なるほど、研ぐ、
もっとやっていこうと思う。
鍋とかもくすんでいたから、
磨くのもいいかもしれない。
朝は、歩く時間もあるのですが、
刃物研ぎをしてから、
するようにしました。
それに、刃物研ぎを先にすると、
朝見かける植物などにも、
視点が鋭くなるように
思いました。
先に刃物に集中しているから
集中の準備体操みたいなことが、刃物研ぎなの
かもしれない。
刃物研ぎすれば、
気持ちも研げるようです。
散歩がより楽しくなってくる。
理由はわからないけど、
とにかく、刃物研ぎは何かある、って思えてきました。
素直にきれいに思えるんですが、また刈られると思う。
それでも、また生えてくる。
食べ物も、食べられる草を探し求めるのもいいかもしれない。
山のミツバも何か良い感じがするし、よ
く土をみると、
落ち葉が朽ちてできた、きれいな土。
大地から出てきたもの、大地の栄養で育ったもの、って
考えれば、土がいかに大事か、ミツバを一口食べておもう。
刃物研いで何か気持ちも研ぐ。
朝の刃物研ぎ、結構いいと思います。