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明日もこの笑顔に会えることが嬉しい!

天災続きの日本列島。
今年度は私が住まう地域も地震・台風・大雨と小学校が休校になることが多い。
発達に障害がある我が子たちは、環境の変化や突発的な出来事に弱いし、長く休みが続いたりすると学校に行きづらくなってくる。

で、長女は最近楽しそうに学校に行くんだけど、次女は1学期から相変わらず、1週間のうち4日間は自宅休養してるんだよね。
そこに休校が入ってくるから、本当にこれアカンわって状態になってます。

ただ、実際すごく深刻なんだけど、この『本当にこれアカンわ』って言葉の語尾には

「本当にこれアカンわ(笑)」

と(笑)が入る感じなのが今の私の気持ち。
深刻ではあるんだけどね。


これには訳がある。

長女って自閉スペクトラム症+ADHDでパニック持ち。
小さい頃は多動とこだわりの強さ、パニック、それと発語の遅さから凄く手のかかる子だったんだよね。(今も手がかかるけど(笑))

次女は自閉スペクトラム症+ADHD+LD。
長女からのものすごい抑圧で発語はすごく遅かったし、愛着関係を築くのも大変だった次女。(長女に奴隷のように扱われてた。生まれたときからそんな環境だから、次女自身もそれが当たり前のように思ってた節がある。親である私を長女の所有物のように感じて振舞っていた。)
でもパニックはないし、長女よりも意思の疎通は言語がなくても図りやすく、多動も長女よりは激しくなかった。
だから、一歳半違いの姉妹として育てる中で、長女と次女だと、次女の方が圧倒的に扱いやすかったし、情緒的やり取りができてたんだよね。

だけど次女にはものすごい危険性が常にあって、『危険認知』が悪かったんだよね。

ストレスがたまると今でもなんでも口に入れて噛む。
今はティッシュを噛んでることが多いんだけど、2年位前まではお金だったり、スーパーボールだったり、口に入る物だったら結構何でもいれちゃってた。

そしてすごく不注意。
だから、1人で外に出すことができない。
学校への登校は大勢でグループを作って登校してたし、信号に必ず大人がいるし、大通り沿いを歩くからガードレールがあるしでそんなに心配じゃなかったんだけど、下校時は気まぐれに道を変えて歩くから、下校時刻前に迎えに行かないと出会えない。
(同一性の保持はどこに行ったんだってくらい「同じ道は飽きちゃう」てって言ってました。)
1人で帰ってくるときはちゃんと帰り着きはするんだけど、すごく時間がかかっての帰宅になってたんだよね…。(これに関してはめっちゃ何度も注意しました。おかげさまで今はお友達と一緒にまっすぐ下校してきます。)

気になる物にすぐ興味がうつっちゃうし、危ないことがわからない。
だから、いつも命の危険を案じていないといけない子だったんだよね。



長女が3歳くらいの時に次女も連れて公園に行こうなんて無謀な企てを何度も試みてたんだけど(この当時はまだ子供たちが発達に障害があるって知らなかったんだよね。『発達障害』て言葉すら知らなかった。)、公園へ着くなり長女は近くの駐車場に走り、次女は他人が乗ってるブランコに突っ込んでいってはねられる。
どっちも危ないのに、どっちを追いかけたらいいのか迷ってる間に怪我をする。
だから、子どもたちを外へ連れ出すことはできなかったんだよね。
この時に初めて『命を守る』ことを強く意識しだしたんだよなと思う。


この時、旦那は単身赴任してたし、生まれ育った地元から遠く離れて住んでて、助けてくれる親しい人もいなかったから、引きこもって生きるしかなかった。
これってつまり、日本語を話せる相手が日常生活の中には存在しないってことにもなってたんだよね。
めっちゃストレスフル(笑)。

市の療育センターに通うようになって、長女が落ち着き、次女は私が『自分が甘えてもいい相手(お姉ちゃんだけの『ママ』ではない)』であることを理解し始め、自分の感情を少しずつ表せるようになって行き、2人とも発語した。

発語してみて分かったのは、長女は自己分析は強くて慎重、理論的。
で、メンタル弱いこと(笑)
次女はもの凄く気持ちに左右されるタイプで、危なっかしくて、怪我や失敗もたくさんするくせに
「次は大丈夫!」
とめっちゃファイトがあること。
そこまでファイトなくてもよかったんだけどなぁ…と当時の私は思った。
だって、本当にいつも命の危険がある子だったから。


感情の流通が長女よりも容易かった分、次女との交流は私にとって憩いでもあったんだよね。
感情が共有できるとか、気持ちが伝わるって本当に大事なことなんだよね。
それだけで愛情が増すものなんだよ。
だから私の中では
長女は可愛いけど、頑張って勉強して理解して、必要な生きるスキルを与えないといけない相手。
次女は無条件に愛おしいけど、いつでも簡単に失てしまいそうな相手だったんだよね。


小学校入学前に、私の周りでは痛ましい事故があって、ますます次女のことが心配になった。
慎重なはずの長女が迷子になって警察のお世話になったのも時期が重なって、ますます命に対する意識が強まって、私の緊張と不安はどんどん高まっていった。

「この子の笑顔に、明日もまた会えるんだろうか。」

朝起きるとそんなことがいつも頭をよぎった。
次女が一日を無事に過ごせるとホッとした。
寝ていてくれる時だけが安心できる時間だった。


そんな危険な次女も今は驚くほどしっかりして落ち着いた。
こんなに天災が続いて、痛ましいニュースが沢山聞こえてくるから、このところ命の尊さが余計に身に染みるんだと思う。

明日の命を心配していたころに比べたら、学校に行きにくいことなんて、気にはなるけど大したことではないんじゃないかなって最近思えるようになってきた。
私は、次女が笑ってくれてるのが嬉しい。
生きててくれてるのが最高!

もちろん、前にも書いてるように学校に行ってくれないと将来が不安っていうのはある。
でも、これはやっぱり命あっての話だよね。
親っていうのは贅沢で、子どもが一つ課題をクリアするともっともっと求めちゃう。
それは子どもに幸せになってほしいからでもあるんだけど、冷静になってもう一度考えてみると、一番大事なことは『生きていてくれる』こと。


だから、前に書いた

この記事は私にとっては格別の思いがあるんだ。
愛着関係が上手く築けなくて、根無し草みたいにふわふわしてて、発語しても「ママ、好き」を言ってくれなかった次女。
いっつも明日の命を気にして、鬱々とした毎日だった何年か前の私。
大好きって言ってもらえて、誰でもいいわけじゃなく無条件に甘えてくれて、以前よりずっと明日を信じられる。
こんな嬉しいことないじゃない?

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のののんママ
『発達障害』という言葉認知度は上がったと思いますが、実際の発達障害児の生活や家庭内の状況ってなかなか実感していただけないなぁと思い、書き始めました。 子育てに必要な勉強を続けていくために、「投げ銭」という形でご支援いただければ励みになります。 よろしくお願いします。