のの花だより2月号
禁糖の季節、到来
「禁糖(きんとう)」聞いたことありますか?
その名の通り、砂糖断ちのことで、禁糖期間は砂糖、みりん、はちみつなどの甘味と、コーヒー、お茶などのカフェイン、アルコールを一切摂取しません。
ほうじ茶をOKにする人もいれば、甘みの強いドライフルーツもダメとする人もいます。
私の場合は、カメリアシネンシス(チャノキ)の葉や茎を用いたものは一切不可、ドライフルーツはOK、料理に使う(アルコールを飛ばす)酒と甘酒はOKにしています。
整体では、この禁糖を1月後半から2月中に、1週間から1か月行うと身体が整い、夏を元気に過ごせるといいます。
もちろん、年末年始に溜まった暴飲暴食の疲れの解消にもなりますが、目的はダイエットではなく、砂糖やカフェインの刺激に慣れすぎて麻痺している身体を一旦、ニュートラルポジションに戻し、過度な刺激の無い状態を体験しておくことだと私は考えています。
過度な刺激という意味では化学調味料のアミノ酸も神経毒なので不可です!!
大手メーカーの調味料やスナック菓子、加工食品(ハム・ウインナーなど)には概ね入っていますので注意してください。(日本の食品事情の酷さよ!)
普段から化学調味料に氣をつけている方は、比較的簡単に取り組めますが、あまり氣にしていない方は、ぜひこの機会に原材料表示に目を通してみてください。
ちなみに禁糖を始める目安は、おへその上、指3本ほどの所に中指と薬指を横向きに当てて(中指が胃の方、薬指がヘソの方)、中指より薬指の方がなじむ感じだったら禁糖が必要な身体ということで、終わる頃に中指の方がしっくり馴染んでいると成功です。
始める時のコツは、基本的にドレッシングやソースは手づくりする心づもりをしておくこと、パンもフランスパン系など砂糖なしのものを手に入れる算段をしておくか、自分で焼けるようにしておくことです。
また、普段カフェインをたくさん摂っている人は、抜くと2,3日間は頭痛や強い眠気に襲われるので、お休みの日の前日の午後くらいからスタートするといいでしょう。
私はこの数年、立春前後に2週間、この禁糖を行なっていますが、毎年はじめの4日間くらいは重だるい頭痛が続き、1週間を過ぎた頃から後半には、普段より頭がスッキリして身体も疲れにくくなっています。
整体の禁糖は、このように砂糖、みりんなどを中心にした直接糖とカフェインを一定期間排除するものですが、私は昨年夏に、これら直接糖に加えて、米、小麦といった糖質の高い食品を3か月間排除する試みを実践しました。
揚げ物の衣や、つなぎとしては小麦粉や米粉を使いましたが、主食としてのご飯、パン、麺類は一切食べずに過ごし、これは体質や食生活を変えるのにとても効果的でした。
酔狂に映るかもしれませんが大真面目に、出来るだけ多くの人に試していただきたいのです。
『日本の長寿村・短命村』
タイトルの著書は、東北大学の近藤正二名誉教授(1893-1979)が、昭和10年頃より40年近くをかけて、北海道から八重山諸島まで、日本各地の約1,000ヶ村に滞在し、そこの食生活と村民の寿命を調査された記録です。
その調査により、米や魚を大食している村はいずれも長生きする人が少なく、米どころであっても米はすべて売り物にして、村人は芋や野菜、大豆ばかりを食べているような村は長寿で、高齢になっても元氣で働いているということが分かりました。
まずもって驚きなのが、調査がなされた1970年代くらいでも、日本全国の食生活というのは、今ほど均質化されておらず、山間部や離島などでは、その土地独自の食事習慣がまだ残されていたという点です。
私たちは、米のご飯に味噌汁と主菜、副菜というのは伝統的な日本の食文化であるから侵すべからず、という固定観念を抱きがちですが、それは意外と最近になって創られ広められたイメージ(幻想)に過ぎないことが分かります。
かつては白米やお餅がごちそうで、頻繁に食べられなかったのだとしたら、人間の身体の構造はそんなに急速に変化するものではないはずなので、現代人であっても本当は毎日米を食べなくても全く構わないのです。(むしろ、そんなに毎日ごちそうを食べることに身体が順応するのかが疑問です)
それなのに何故、パンや麺などの小麦は控えた方がよいという説は許されても、米に関しては、現代の日本では、ある種の絶対正義のように神聖視されているのでしょう?不思議です。
整体で目指すのは長生きではなく、死ぬまで溌剌と生き切ることなので何を食べろとか、食べるなとかは、妊娠中の白砂糖と離乳食の米以外は一切言いません。離乳食に米を食べさせない理由は栄養吸収が悪くなるためです。
脚気などの病気が多かった時代では、そういう知識が一般的であったのかもしれません。
それと同じ論理で、菜食にするなら炭水化物を増やすのではなく、むしろ糖質制限を同時に行わなければ、栄養不足になると考えられます。
さて、整体生活において、長生きが重要でないのなら、美味しい米もパンもケーキも、もちろん好きなだけ食べて良いのですが、問題はそれが本当に食べたいのか、それとも単なる中毒状態なのか、ということなのです。
アルコール中毒の人に「俺は酒がないと死ぬんだ、身体が必要としているんだ」と言われても、「いえ、あなたはアルコール中毒ですよ」と返すでしょう。
これは笑えない話で、私たちも実のところ、砂糖の入った食品、そして糖質の高い米や小麦の中毒になっている可能性があります。だから、一定期間それらを抜いて、確かめてみることをおすすめしています。
私も数年前までは、外食したら絶対に大盛り、お替りが当たり前、ご飯と麺のセットなんか大好きで、本当に食べても食べても、いつもお腹が空く人だったのですが、昨年3か月間、米、小麦、砂糖を抜いてからは、びっくりするくらい少食で足りるようになりました。
それまでいかに、糖質過多の食習慣により食事中毒の状態にあったのかと実感したのです。
酒でもタバコでも薬でも「それがないとダメ」な状態というのは不自由なのです。美味しい、好き、と楽しめるのは快感ですが、それに支配されているのは苦しいものです。
自由に好きなものを好きなだけ食べているようで、その実が「これだけたくさん食べられなければ飢え死にする」という思い込みに支配されているのだとしたら、それは全く自由ではありません。
あらゆるものに対して「無くても大丈夫」と知るほどに、私たちの暮らしは自由になれると感じています。
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