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映画 「ファーストキス」の感想

愛するということ
という本を以前読み終えたばかりだ。
正直、この本は愛するという行為のことをかなり批判的に書かれているため、私にとっては読んでいて荷が重い内容にもなっていた。ただ、愛することの難しさ、複雑性、やはり人と人がずっと一緒にいることは並大抵のことではない。そして、なによりも自然に自発的に「愛する」という行為はほぼ不可能であり、「愛する」という行為をする覚悟、選択の積み重ねが「愛する」であるということをこの本で学んだばかりだった。

この本を手に取る、この映画を見るということは、自分の中で「愛する」という行為に興味を持ったからなんだなとも思う。


まずこの映画、途中から声が出そうになるほど泣いた。唯一後悔したことはハンカチを忘れたことだ。
主演の2人の演技がまるで本物の夫婦であるかのように、本当に出逢うべくして出会った2人であるかのようで、高いレベルの演技力に惹き込まれた。
バケツのポップコーンをポリポリ食べながら抱えていた私は途中で持ってるのを忘れちゃうくらいだった。

最初のシーン。2人が段々と関係が離れていく、お互いに無関心になり、キッチンを自分以外誰もいないみたいに朝ご飯の支度をする二人を見ていて凄く心が痛かった。カンナが玄関で言う、「動物も人間も嫌い」(合ってるかな?)このセリフはサラッと流されていたが私には強く残っている。
夫側、なんて酷いやつなんだ!とか思ったりしたけど、奥さん側にもちゃんと非があることを、駈の表情などの細かな部分で表現されている。
男性諸君はどんな気持ちで見ていたんだろう。
大切な存在になる人にプロポーズされて、ウキウキしていた初めの時期とは裏腹に、次第にほぼ無で居ないかのように暮らし、最後は家族である自分を置いて消える。
だからこの「嫌い」は期待したら傷つく。という痛みを抱えて、防御線を自分で張るために1人で呟いたんだと思う。そう考えるとカンナの辛さを余計に感じるし、自分と照らし合わせても辛かった。人は誰かに傷つけられた、と思ってしまうと期待しないという防御線を張りながら段々と人との関わりを減らして、「1人でも平気、楽しい」と言い聞かせる。もちろん1人は辛いことばかりでは無い。楽を選ぶなら絶対一人がいい。ただ、やっぱり誰かと生きることを分かち合うという価値は、1人では味わえないものなんだと思う。

タイムスリップするカンナは駈を生かすために色んな手を使って未来を変えようとする。
好きだったものを嫌いだと否定することを選ぶ
駈のために多数が亡くなる方法は辞めることを選ぶ
彼の好きな物を否定することを選ぶ
欲しいものを先回りして買う事を選ぶ
他の人と結婚することを選ぶ

駈は赤ちゃんを命を犠牲にしてまで助けるということにフォーカスが当てられているかもしれないが、カンナも同じくらい愛が深い人だなと思った。

あんな数年も空気のような扱いを受けて、しまいには離婚届で離婚する予定だった人のために何度も諦めずに試せるだろうか。
「彼を生かす」という行為は、必ずしもカンナ自身が幸せになる訳では無い。
他の女の子と付き合わせようとして、相手をあえて傷つけたり。
表面は淡々としている彼女だが、これが本当に愛するということなのかもしれない。強くて、ブレなくて、愛がある。こんなところに駈も惹かれたのかなと思った。

松たか子さん、私はLove generationを見てから一途で少しお転婆で真っ直ぐなところが凄く素敵だと思った。役者としてかもしれないけど、彼女独特の胸を打つ何かがあって。本当にこの役は松たか子さんしかできないな。と。
最近の恋愛は、「追う恋愛」に対して批判する価値観もあったりする。
私は、恋愛の形はもっと色々あって、どん臭くて、ドロドロで、カッコ悪く悩んでもいい思う。むしろそれが純愛なんじゃないかなと。
どん臭くぶつかれる人こそ、本当に強くて愛があるなと。私はそんな勇気、まだ完全に持てる人間じゃない。

人生は一度きりで、本当に心から好きと思える人はなかなか出会えない。
終盤の駈のように、死ぬと決まっていても「この人と生きたい」と思える人にまっすぐ愛を向けられる女になりたい。そう思って貰えるような女にもなりたい。

離れてしまっても、死別してしまっても、「寂しい」と感じれた時、それはちゃんとそこには好きという感情があったからで愛し合った証拠になるはずだから。

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