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実家暮らしの決断の決め手
迷うことがあるときの決断の方法。わたしの場合、瞑想するか、カードを引くか。今回、日本に期限なしで里帰りする決断をしたのは瞑想中のビジョンによるもの。
実家にはアルツハイマーの84歳の母と、脳梗塞の後遺症で杖をついて歩く86歳の父がいて、離婚後、親と同居している弟がいる。両親は二人とも寝たきりでもないし、自分の身の回りのことは出来るし、元気に食べるし、話すので、介護らしい介護ではないけれど、やはりサポートする人がいないと、生活は回らない。弟の献身的な奉仕は見事なものだが、一般社会人として働きながら家の仕事もするのは大変。そろそろ疲れもピークらしい。
海外で気ままに生きる次女に、家族みんながそこはかとなく期待を寄せているのはずっと前から気づいていたけれど、ここまで延ばし延ばしにしてきたのは、やはり自分の『好き』を犠牲にする気になれなかったから、かな。その期間が結果的に父や弟にとってのいい学びの機会なっていたのをみて、いまは、それで良かったのだと思っている。
小さな町の公務員だった父は、世間体がとても大事で、人からどう思われるかを重視して私たち姉弟は育てられた。そんな父もいまは、「うちの奥さん、認知が進んでいるんで… 」と積極的に口に出し、周りの人たちの助けを借りることが出来る人になっている。弟は若い頃随分と親を困らせた放蕩息子だったけれども、いまは彼が病院の付き添いも、日用品の買い出しも、料理も一手に引き受けている。
そんな姿を見ると、人生はうまくバランスが取れて行くものなんだなぁと思わずにはいられない。
恒例の年末年始の帰省の後、今年3月に国が鎖国になるギリギリのタイミングでブエノスアイレスに戻ったわたしは、それからの8ヶ月とても楽しく穏やかに過ごした。タンゴが踊れなくても、不自由な隔離生活でも、ブエノスアイレスにいる事自体が幸せ。novioや友人と楽しく過ごし、仕事も順調…。父母との思い出の場面が蘇ったのは、そんなある日の瞑想中だった。
中学生のある時期、わたしは母に寝付けてもらわなくては眠れなかった。布団をかけておやすみを言って貰うだけのことだけれど、毎日とにかくその儀式がわたしには必要だった。学校でいじめにあっていたのを母は知っていたのか、知らなかったのか。毎日のその儀式を母は続けてくれていた。瞑想中にその場面が蘇り、母の無償の愛に満たされていた瞬間を思い出し涙ぐむ。
ふと父に意識が行くと、今度は幼稚園に送ってもらうときの、繋いだ大きな手の感触を思い出した。父と離れたくなくて、幼稚園の玄関で毎朝ギャン泣きするわたしは当時有名園児だったらしい。
父母に愛情深く育てられた、それらの場面がこのタイミングで蘇った理由は何だろう。わたしにとってはこれが愛情のお返しをしたいという動機に繋がった。彼らの人生の最後の章節を、美味しい食事と穏やかな時間の流れる日々にする手伝いがしたいな。と心から思えたのはこの時だったみたいだ。
もちろん愛する街と、タンゴとnovioと友人たちとのしばしのお別れは寂しかったけれど、両親にはあんまり残り時間は多くないように思うから、いまはここ、いまは彼らとともに居ることを選ぶことにした。
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