未定
正確に厳密に完璧な回答は出来ないけど、人間の心の問題や精神の症状に影響を強く与える物質は解明されている。
細かな事を言えばきりが無いし、まだまだこれから新たに発見されたり今までの答えとは違う意見や答えが出てしまうかもしれない。
それくらい細かな事は言わないでこの文章を読んで欲しい。
細かな事を言い出せばキリが無いし、そこが人間の神秘やいまだに解明されていない謎のことかもしれないけど。
感情も思考も、そこに影響を受けてしまっているだけだ。
幻覚も、幻想も、みんな僕らの中の血液や神経みたいな網の中を流れ走っている物質が脳に与える影響から生まれている現象や存在にすぎない。
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昔から信心はある。人間はある。あえて「信心」と言う。
でも、もう流石に人類、人間が産まれて、何億年?
それに西暦だけで言えば、今は2024年だよ。
人間舐めんなよ、人間を馬鹿にするなよ、と言いたい部分もある。
僕の今は、同じように、僕を馬鹿にするなよ、俺を舐めるなよ。
と、大人になろうとしている。
できていないかも。ごめん。
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死ななければならない事にはならない。
ここの部分、もう少しうまい伝え方が無いかな。
「死ななけなければならない事はない」
これをスパッと切と
「死ぬような事じゃないだろ」
「わざわざ死ぬような事か?」
に、僕はなってしまう。
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とにかく、人間の中身なんて、水分と成分で出来て、細胞と神経で成り立っている。脳もあるし、見えないからと言って心が無いとは言わないでしょう。言う人もいるのかな。いるとして、とりあえず、全方位の人間に僕の話が受け止めてもらえるとは一切思ってないし期待もしないので良い。
基本的今を生きてる僕らの考えられる範疇。
それ以上を考えるのは無意味であり無駄であり馬鹿だ。
目に見えないものではなく、不可知、の部分にまで、手にしようとすると間違える。何かが、あるいはそれまでの生活が、一瞬だとしても壊れる。
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僕は信心を否定しない。これは絶対に。
僕の生き様がロックを掲げたように、夢や幸せの定義に命を賭けたように。
それとこれを一緒にしたくないしされたくも無い心情もある、だけど。
信心を否定はしません。
でも、自分の為に一緒に生きて共生、共存している人たちの事を考える事が出来なくなるのが、今でも僕ら人間には足りていない危険な部分かなと思う。
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先輩が頑張って楽しそうに戦っている。でも僕は少し距離とを取っている。
最近は変わらず仲良くしている。
少しでも話が出来るようになった僕ら、と僕は思ってはいる。
ただ、いい加減、人と会話中に、いくら好きだからと言って、今それに夢中だからと言って、人が話している最中にずっとギター弾いて、好きなフレーズを延々と引いて練習して、ながらで返事するのは失礼極まりないよ。笑
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それで自分を出来る男だとか、仕事中も俺が正しいとか、そうやって思い込んでちゃ、それは変わってないよ。変わらないよ。
僕も先輩も、お互いの過去をそれとなく覚えているのだろうか。
僕はここの日記を書きながら、その先輩の事を何度か書いている。
その事をちょっとだけ危惧している。
別に怒られても反論するけど、やっぱり先輩は馬鹿だ。
大好きな愛する馬鹿だ。
僕らは、馬鹿を馬鹿のまま笑って、やり過ごしてしまった同士なのかもしれない。
それはみんな同じ。兄ちゃん、姉ちゃんたち、みんな同じだよ。
でも、馬鹿は馬鹿だよ。僕も馬鹿だよ。
それじゃあ、話にならないよ。話が成り立たないよ。話が出来ないよ!
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「自分は○○だし」
「そんな事は分かってるし」
し、何なんだよ!!
だから、その「し」の次は何だよ。何が続くんだよ。
お前は何してんだよ、俺はお前に何をどうしろってんだよ。
笑うし、その次は、相手にしないわ。
「笑うし、相手にしないですよ」
こういう事だよ。今日も生きるぞ。
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人に優しくとか、気を使うとか、もうここではいいけどね。いいけどさ。
自分の事しか見えていないって言うのは、自分の事を相手に伝えようとしている自分の姿を知って。
自分の意見や伝えたい主張の次に相手の番になったら相手の話を聞かないと、それは雑談でも談笑でも会話でも、真剣な話でさえも成立しないよ。
覚えておいて。
・・
僕は昨日今日と人からの連絡に無反応を示している。
正直言えば最悪な事をしてるけど、町内会の会計も、全部、言い訳してしていない。昨日は一日仕事をしていたけどね。
仕事を理由にして逃げた。体調が悪い事を盾に構えている。
今の僕は苛つきながら、
みんながそれぞれに考えてくれている事を「ごめんなさい」と弾いているような気もする。
でも人は他人だからね。
ずっと一緒に考えてくれたりともに歩く人ではない。
人間は孤独な生き物だ。
けれど、孤独のまま、独りよがりで生きていくのは人間の幸せや安心できる居場所は成立しないのが今のこの現実社会だと思う。
全員には当てはまらない、一概には言わない。
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年齢を指して言っているのではなく。
経験値や物事の考え方。
見方、見え方、捉え方の話。
自分がもう20代や30代のままの今のこのままでは決して良くない。
今朝も考えた。
人の事は分からない。人の気持ちも思っている事も過去も考えも解らない。
本人が間違っていようが迷っていようが酩酊していようが、関係ない。
どうにかするのは、どうにかなってしまうのは本人だ。
だから、人と人とは解り合えないのではなく、対話、会話なのだ。
僕は10代の頃を自分ではあまり言わない。たいして何もない。
普通か、普通以下。
努力も勉強も生活も成長もしていなかったと思う。
僕の20代や今に繋がる30代半ばまで。
この部分は大事にしたい。
そして、20代から30歳を超えて少しまでのあたり。
葉桜の夏が綺麗に想えるようになった年ごろ。
その頃に自分が必死で叫んでいた事、つい、人に対して、他人や人様に対してしていた事、それと全く同じような人たちとの奇跡の出会いに感謝する事がこの2年、多々ある。
神様、これが僕らの姿だったんですね。と僕は思う。
登場人物が違うだけで、固有名詞が違うだけで、出てくるものが違うかもしれないけど、人間がしている事の心理や本質はそこまで違わない。
残念だけど、悲しいけれど、そこまでは変わらないと言いたいだけ。
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これを引き寄せ巡り合わせの法則と言えば、瞳孔が開きっぱなしガンギマリのスピってる系とかに今の僕は言う。
類は友を呼ぶと言えば、言われれば、確かになと思う。
そしてお前はどうなんだよと構えてしまう自分もまだ少しだけいる。
昨日、怒らない方法を親に教えた。
「お前の相手してる暇なんてない」
「「殺すのはお前じゃないから、どっかいけ馬鹿野郎、人間の屑がよ」
って思ってたら、そんな非常識な客に対して怯えなくて済むよ」
って。
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夢を見たのだ。
風呂場で夢。
僕は、その中で今日は、今日も朝は息し、考えていた。
振り返っていた。
そして、そのほとんどを忘れた。
これでいいのだ。
本当に、本当に、心から、それでいいのだ。