Crystal Spring colors.
「ナポリんたん食べてる時に、これめっちゃ美味しくね...とか、めっちゃ溜めて言うのね」
「この世なんて、大人か子供かしかいないの。」
「どっちかしかいないの。当たり前の事を偉そうに言ってるだけだけどね」
「知ってると思うけど、シュレーディンガーの猫ね 」
僕はそこに「日常に生きる少女」の冒頭がㇷと頭をよぎった。
そこには可能性も、まだ見ぬ(答えや結末を知るまで)、
箱を開けるまでは、
その世界(可能性の中で生き続ける世界が)存在するって事だと思う。
僕らは夢を見る。
それは何者でもないとは言わない、白昼夢かもしれないけど。
僕らは運命という名の夢を見る。
運命論者は夢を語る。革命家は夢を見るの、ね。
・・・・・・・
周りが幸せそうに見えた。
僕は気がついたことがある。解かった事がある。
僕は感化しやすい。影響を受けやすい。感情移入しやすい。感情屋で、何事に対しても物語を自分の中で作り上げたり、そこに僕なりの解釈や共感共鳴を生んでしまう時が人よりか多い。そして、それが異常なまでに強い。
君子危うきに近寄らずではなく、興味や気になるような事、何でも僕にとって、周りにある者や、僕の手に届くものに、僕は良くも悪くも影響を受け、更に与えやすい。
この話の答えは、僕にとって「大人になる」という事。
物事や人に対して、距離感やバランスをとる必要があるのだ。
・・・・・・・
例え相手が好意を持って僕に近寄ってきたとしても。
僕が相手に対して好意的になり近づいたとしても。
僕は良くも悪くもバランスが取れなく、感情の波(エンパス)に溺れ巻き込まれたり感化され過ぎるので、これからはもう何に対しても何事に対しても人に対しても、近寄り過ぎない位置を必死で保ち守る必要があるのだ。
幸せって何だろうかと考えると、僕の見える範囲や手に届くところに、僕の心に悪い波を与えるような刺激的なものや情報はいらない。
例えそれが僕の好きなもの。
好奇心や興味があるようなものであったとしても。
これから僕は近寄るべきでは無いのだ。
それが僕のキャパオーバーにならない様に、
自分の意思と視線で歩くべきなのだ。
・・・・・・・
僕は30代。30代はほどほどに。
カッコ悪い奴や、気持ち悪い奴はいらない。
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金持ち自慢がしたい奴らは、
勝手にカリスマビジネスでも炎上ビジネスでも、
情報商材でも、上手い儲け話でもして。
情弱を集めて数字を見ながら生きていればいい。
悪い奴自慢がしたい奴は、過去の武勇伝でも過去の嘘か誠か解りもしない自慢話をして、アウトローでも半グレでも不良話でもしてればいい。集まってくる奴は嫌でも寄って群がってくるって。勝手にして。そんなのが好きな奴らも勝手にしてて。
だから僕には関わらないで。
男は下心性欲で女を見て生きていくのは間違っていないと思う。
草食系ムッツリスケベも、スネ夫タイプも。
僕とは関係のないところで勝手に自由に楽しく幸せになっていけばいい。
女は男を財布代わり動くATMとばかりに見て、ブランド着飾って、承認欲求のままに生きていけばいい。間違っちゃいないと思う。
いつかそれも良い思い出のようにする時が来るさ。
いくつになっても安定しない人は、今の時代になっても、
いい歳になって、いい歳して。
若い男や、見た目のいい女に我見失って。
ネット上で、気持ち悪く、必死こいて自己アピールしてればいい。
いつの時代も、気持ち悪い性的衝動。
繰り返すは、満たされない承認欲求よ。
僕はそんなもの、見たくもなければ、声も話題にも関わりたくない。
あんな大人になりたくないって。
そう言っていた僕は、ようは、そういう大人たちを見る事が、僕にとって悪影響を僕が受けてしまうことを無意識に感じていたのかもしれない。
・・・・・・・
僕らは群像(劇)の中といっても、それぞれがそれぞれの世界の中で生きていて、その人その人で世界観や、その時に生きている世界で必死(無我夢中)だったりする訳。
だから、その人はその人の、その時のその人なりの答えをもって、僕や他人にものを言ってくるのだけど、それはその時のそれでしかないの。
だから、僕が正しいとか、そういう話がしたい訳でも言いたい訳でもなくて、
「悪いけど、僕は、君が今いる地点のその話は、もうとっくに通り過ぎて来ているわ」と僕は相手にしない場合もあるし、基本的には好意的に見ていない人に対しては僕は否定的なスタンスをとっているのよ。常に。いつの時も、腹の中と表は違うの。
でも、全面的に否定している訳では無くて、気に入らないから、理解できないから否定するわけでは無いのよ。
でも、僕は生きるのに今も必死。今でも大変。死にそう。
だから、僕は距離を取る。
また死にかけたら大変。死にたくないもん。
だから、僕は周りから 良くない 良からぬものたちを 排除。
距離を取る。
近寄るなら斬る。 簡単に僕が切れないと思わないでね。
人間はあっけなく死んだりもする。
簡単に死ねると想うなよと僕は言うけど、僕は君をぶった切る。
そして。
僕の事を「変な人、変わった人」「個性的」と見えている人の中で、僕に対して好意的あるいは興味を持って仲良くしてくれている以外の人に対して。
僕は今まで否定的や攻撃的敵意をもっていた。「なぜ、解らない」と。
でも、今の自分に置き換えて、今の自分だから言える解かった事がある。
「そんなの相手にしないのが一番」
「それ所じゃない、自分は自分の事で精一杯。そんな奴の相手はできない」
そうなんだ。そうやって皆、大人になって今を生きている。
そして自分の幸せや安心や安息の地の安定を保っているのだ。
だから、「君子危うきに近寄らず、朱に交われば赤くなる」では無いと思いたいのけれど、僕も同じ。
今はもう、そんな人や奴の相手や、そんな事に付き合っていられない。
付き合いきれないのだ。
ありがとう。またひとつ、僕は大人になった。少しだけ解ったよ。
ありがとう。強く賢く生きれるように正しく努力するよ。
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だから、僕はすべてから距離を取る。
生きる為に、物事を冷静に見ることが出来る世代になる為に
幸せになる為に、もう死なない為に。
僕は風化するのを恐れている。
幸せになれない事も悲しいけれど、あの子への怒りや恨みが、いってしまえば殺意や害意が自分に向くことは良いのだけれど、僕が死んだとしても。
この想いが 彼女への恨みが、風化する事を恐れている。
・・・・・・・
僕らは群像している。世界は回り巡り変わり続けて。
繰り返されているようで、その実は、もう次のステージに立っているのだ。
群像劇の舞台裏は見せない。けれど、僕らは愛の名のもとに繋がっている。
僕はそう想いたい。
言葉は、言葉は、言葉は、もう、とめどない。
世界も世代も視界も生死感も、答えなんて無い。正解も間違い過ちも無い。
みんな誰しもが、聖人君子どころじゃない。
僕は僕を愛してくれた人にだけ愛を伝えよう。
そして僕は、幸せ 愛に 生きましょう。
運命とは、業を背負った名のもとに、
答えなき道をただあるがままに生きる。
そこで出逢う、そこで擦れ違う、そこでまた別れる。
君と僕との世界の関係なのだ。
そろそろ 今夜は 眠るとしよう。。
・・・・・・・・・・・・
「ナポリタン食べてる時にさ、これめっちゃ美味しくね...とか、めっちゃ溜めて言うのね」
「この世なんて、大人か子供かしかいないの。」
「これ? 占い師が言ってた」
「どっちかしかいないの。当たり前の事を偉そうに言ってるだけだけどね」
「あの話? あれ嘘よ。」
生きている僕らは美しい。
だから 名乗りを挙げろ !
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