僕は僕に誓う(下書き
今なら解る事がある。
僕が描いていた幸せな自分像は、こうありたいな、こうなりたいな的な、カッコいい大人像やロックスター的な。
そういう生き様に憧れた、夢見た人生というのは僕は間違ってはいなかったと僕は僕の人生をかけて叫びたい。
ただ、土台となる自分自身の実像を考えていなかったのだろうと思う。
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眠らなくても、眠れないから何をする。
眠っていな間に何をする。
何をしなければならないのかをちゃんと分ってそれを正しくしているのか。
そこを御飯事にしたままで今まで生きてしまっていたのかもしれない。
夢見がちなままで、現実を何も理解して考えられていなかった気もする。
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違うと言いたい。
僕は辛かった、僕は必死で、僕もその時に事情がって色々あって必死だったんだよと言う。
それは僕も誰も否定しない、させない。
悪いけど、させたくない。
ただ、それでもいい。
何でも良いのではない。
それでもいいのだ。いいんだよ、と。
それでもいいから、君は何がしたいの、と。
それでいいから、僕は何がしたかったなの、と。
それでいいから、僕はどうしたかったのかと。どう生きたかったかの。
それを考えて言いなさい。それをしなさい。そういう事なんだと今は思う。
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僕は多様性も多面性も、今までと同じようなスタンスで生きていきます。
形は変えても、構えは違います。
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今までの人生が辛かったのなら、今から新しい人生を生きればいい。
今までの人生が不幸だったのなら、これから幸せに生きればいい。
今までの人生が死にたかったたなら、今から新しい人生を生きればいい。
今までの人生がもうどうしようもなくて辛くて死にたくてもうどうしようもないくらいに今も消えて無くなりたいのなら僕とは関わらない方が良い。
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ふと思った。
僕はナンバーガールと出逢い、と謳い、ロックスターの背中をみて、と。
生きる力にしたと言葉にしていますが、本当に出来ているのだろうか、と。
何を見てきたんじゃ、何をしてきたんな、と言われる事はないだろうか。
それは自分で自分に対して、それこそ合わせ鏡にして、自分と対峙していなかったんだと思う。自問自答から逃げていたのだと分かっている。
別に人にとやかく言われる筋合いはない。言われたくはない。
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僕が思っていた、言っていたような
「あんな大人にはなりたくない」
そんな大人にならない為に必要だったのは
そこを経て得たモノだ。
自分が経験して、自分の中にある存在から、何を学び、何にそれを生かしていくのかではないだろうか。
観たくない聞きたくない言いたくない言われたくない逃げ出したい無かった事にしたい現実も全部抱えて、背負ってこその「僕ら」なのではないか。
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ロックは生き様で、音楽の話では無いのですが。
僕が好きなミュージシャンやロックスターたちも皆同じ人間。
色々あるとはいえ、とはいえ同じ人間で、時代や環境や境遇は絶対的に違うのだけど、作品やメッセージから僕が何を受け取って、感じて、考えて、どう思いながら生きて過ごしたのか。
そこから僕が生かしていく事がまず第一なのではなかろうか。
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それは僕の中の話。僕だけの話。別に誰かに強要する気も特にはない。
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僕が
「カッコ悪い大人になりたくない」
「あんな大人になりたくない」
と言っているのであれば、そうならないようには何がどうしていなければならないのかを正しく判断して認識していなければ言動には移せない。
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僕が相手をしているのは、どういう相手なのか。
全員の相手はしなくてもいい。
時に訳の分からない、キチガイみたいな餓鬼や老害と対峙しないといけないのが人生。
平等なんて大きな間違いで、基本、自分にある環境と、自分の力でしか人間は成り立たない。そこに気が付く必要がある。
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今日も日雇い、その日暮らし、有象無象と一言で言わせてもらうけど、本当に色んな奴がいた。イライラもした、さっきも一瞬我を忘れそうになった。けど、僕は今は最大限に落ち着いて地に足を付けている。
僕は幸せになる。この一言に尽くすなら、僕は僕の今を生きる。
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不安もあるし、今がどうと言うより、不安しかない。
もしかしたら、不安か不安じゃないかの二択しかないのが僕かもしれない。
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少し前から考えていた。
僕が一緒に力を合わせる屋、共に生きると言うのは、見返りを見込んでいるという事ではないだろうか。
もし、本当に自分は自分という世界や価値観で生きていれば、色々なお互い様があったとしても今ほどは不安にならないのではないだろうか。
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僕は機密保持契約(NDA)をしてもいいと思う。
僕がこれからどんな人生で、生活で、仕事やプライベートをするかは決まっていないけど、僕が今までの経験を生かして次にこれからを生きていくには、相手をもっと自分に合った人たちに自他共に考えて付き合っていく方法が良いと思う。
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人が僕に
「こうだろ」
「普通そうやん」
「こう思うだろ」「ほんとはそう思ってるだろう」
と言ってくる事には違和感しかない。
白を黒と言う気はもうない。
けれど、普通と言う言葉は好きになれない。
むしろ色々な言葉があるように、色々な人間がいるのだろう。
だから、その人(相手)は僕に賛同や共感を求めているのかもしれない。
僕のなんというかによって何かが変わるのかもしれない。
ただ僕は中庸。
バランスよく、自分も生きていたい。
人の言う「普通」に、僕の人生の時間を、いちいち気を取られているほど、僕はまだ余力がある人間では今はない。
現実は現実として、理想も夢も妄想も共にしっかりと息をしていこう。
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だから僕はその人がいう言葉にはイエスもノーも言わない。
言っているように聞こえているのならそれは、その人、あなたの自分勝手な都合のいい解釈、以上でも以下でもないと思ってください。
僕も今考える、今の自分は、そこまで今までと比べて、人と全然あっていないし会話もしない。
今までは群像と言っていたように、僕と誰々、が苦しかった。
誰かが言っていた、僕は人のプライベートや秘め事的な話をされやすい。
だから人の秘密や大切な話、ここだけと言ってくるような話まで有象無象が魑魅魍魎と言えば失礼だけれど溢れかえっていた。
僕の力量を超えて、キャパシティーを超えて、僕の周りでは僕を誤解している人たちや僕と間違った付き合いや関係をしている人たちの無責任で適当で僕が大嫌いな人たちも溢れて笑っていた。
カテゴライズするわけではないが、僕より年が上、僕より何かが上だと自負して僕と向き合う人は、自分が言っている事が正しいと思い込んでいるから自論や武勇伝的な話まで僕に一方的に押し付けてくる。
僕より年が下の人も、実は同じ。
自分はこういうことが出来ます、こういう事をしてきました、しています、自分はこういう人間です、特別なんです、と本当は内心言いたい。自負していると思う。
それは誰だってそう。だから年齢や性別は関係ない。
肩書きと言えば、それは実力の一つだから一概には言えない。
けど、性別や年齢が違えば表現の仕方例え方が違うけど、本当にこれでも、こんな僕だからみんな想像つかないから面白いんだと思うけど、これだけ変な僕だから僕の周りも相当ぶっ飛んだ理解しがたい人間たちが多く過去にはいろいろあったのです。
不幸自慢、自称に自虐にキリがない。
僕だから笑ってる、笑えるように話をしているだけだよ。
そこも理解してくれたら助かる。
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僕も今、色々と縁がある人たちにも同じことが言えるし、これから出逢っていく人たちに対しての僕のスタンスははっきりした。
人の話は聞こう。
相手の話は聞きます。
その人が言いたい事について僕は聞きます。
その人の言い分に僕がどう受け答えするかは分かりません。
が、僕はその人の話を真剣に聴こうと思う。
聞ける範囲で、親身になって。
今までと変わらずではなく、今までの辛かった僕ではない。
今を生きる僕として、その人の今の話だけを聞こう。
だから相手にも期待させない。
僕はそこまであなたを見ていない。
あなたの見方では無いし、絶対的な正義の貴方の最大の理解者でもない。
それは、僕を愛してくれる人。
それも、僕を最後まで愛してくれる人だけの為に生きている。
それだけでそれ以上でしかない。
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これが今の僕の言葉だろう。
それが良いか悪いかは別として、僕は まだまだもっと人と会わなくなる。
逢わなくはならない。けど、合わせなくなる。
それは自分の為。
それは、それこそ僕の人生と共に幸せに生きてくれる人たちの為。
大切な人たちと僕の世界の為。
その為には僕はいつでもまた狂気的になるのかも、しれない事は、無い!!