タイトル未定 したがき 犬を飼う
今日もお疲れ様。
今日も暑かったね。
一日お疲れ様。
今日も僕は考え過ぎる事、考えても何も無い事、考えても何もしていない事で一日が終わり。
日記の下書きはすぐに下げたけど、夕方までいつもの仕事の事でまたいつもと同じやりとり。
慣れて、いくらでも掃いて、捨てるのも忘れるくらいまで成長出来たら。
僕もこんな事言わなくなるのかもね。
大人は何も言わない、っていうのは、そういう事なんだと思う。
何度も何度も何度も何度も思い知りながら今日も生きてる。
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久しぶりに爺ちゃんの仏壇の前にいた。
爺ちゃんの前に来れないのは僕が自分が悪い。
頑張れていないというやましさがあるから手を合わせずらいだけ。
本当にこれだけ。
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部屋の乱れは心の乱れ。
見た目を清潔感や綺麗に出来ていないのも心の乱れ。
乱れというより、意識が低いから出来ないのだと思った。
意識が低いから知らない、意識が低いままだから、それで何も違和感も困ってもいないと思い込んでいるから自分の姿が分からない。
知らない事は罪な事は、まさにここ。
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犬を飼おうと思ったら、奇跡的にそうなると思ったら、偶然なのか掲載が削除されていた。
みんな考えている事は同じなのだ。
同じと言わずとも、これだけの人間が世の中に入るのだ。
似たような事を考えている人くらいは日本中だけでも山ほどいると思う。
その数の感覚も、きっと子供のままだと、意識が低い所から眺めているだけだと想像がつかない、計算が出来ないのだと今ならよく解る。
次に出会いがあれば。
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僕の不安は愛着障害的なもので。
自分で自分の問題を解決する為には、自分で生き辛さを完全に解消できなくても、解消するための努力は必要なのです。
そうすればいつか、人間ならば、この負の連鎖から脱却できると思うのです。
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人間は裏切るし、どこまでいっても自分だから。
愛とか裏切りとか、もうそういう以前に、犬飼いたい。
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だから良くも悪くも、それが自然な事なのかも。
何が自然な事って、それは各自に置き換えて考えて。
今日生きてるのが自然な事。
その中で生き辛いのは自分の人生の事。
生活が出来ないのは自分の問題。
自分に責任や原因が無いと言うなら、親の問題、家族の問題。
人間として、いち人類のいち例として、問題があっただけ。
欠落している部分が致命的になった終っただけの事。
ただ、ただただ、それだけの事。
悲しいけど。
自分が漫画の主人公の様に、劇的な物語はない。
かもしれないで淡い期待をするのも人間だけど、どこかで夢から覚める。
白昼夢のような現実から、悪夢に変る前に変らないといけない。
もし僕が幸せな人生を、後悔なく生きていきたいなら人間として成長しなければならない。
そもそも本当に何も出来ずに苦しいまま死んでいくのは、ただ単純に、生物として、遺伝子が、現代に、社会に適応できなかった個体なだけ。
哀しいけど、平等が理想であるように、生物的に人間としての本能だけではどうしても足りなかった能力で生まれてくる人間もいるし。
標準的な人間でも、環境や境遇のタイミングが噛み合わなくて最悪が重なって死ぬのも至極自然な事だと僕は今は思う。
当然、自分も主人公や、自分が一般的な普通の人生を送れるとも考えないようになった。
だから、僕は死なない事が、痛い目を見ないように尽くす事が、人間として、大人になる中で大事な事だと。
痛い思いをして、思い知った。
・
当時の僕なら、ここまで言い切れなかった。
まだ過去の当事者なら、ここまですらも来れなていないと断言できる。
幼さの狂気は惨めで格好悪いだけだ。
大人になれば、悪いけど、更に強大な敵意や凶悪な存在とも関わる日が、対峙しないといけない時が来る。
そんな時に、子供が何を言っても解決も退治も出来ない。
それが悪い事とは言わないが、現実は、したことは、起きてしまった事はどうしようもない。でも、自分を守るのも、逃げるのも、結果は自分次第で変わると思う。
今はそう思うしかない。絶対に無いと分かっているから僕だって、必死でもがいている。
・・
過去は変えられないのと同じで、それならば、毎日が気付きと学びの機会と思うしかない。
それからの寂しさや孤独や不安なんてものは、それが直接僕を殺しに着たりはしないし出来やしない。
少なくとも僕の知ってる限りの日本の社会というのか、僕ら、の環境の中では自然と自ら死んでいく人間はいない。
良い事も悪い事もあるけど、というのは今でも嫌いだけど、
それが人類の心理だと思う。
・・
認知症の祖父、祖母を見て思ったこと分かった事は本当に多い。
僕がジョン(6年前に無くなったトイプードル)を買い始めた頃から、ジョンが落ち着かなかったのとか、ジョンの癖や行動を見ていても、思う。
犬と人間を同じように考える事に違和感がある人は、僕が言いたい事は多分一生分からないと思うから、ブラウザバック。
一人暮らしの、メンヘラの大学生が犬を飼うのは傲慢だったと思う。
一年後に実家で飼い始め、結果的にジョンは祖父母のお陰で幸せな犬生だったと思う。
僕がジョンに対して独り暮らしで飼育していた時は本当に毎日が感情に飲み込まれていた。ジョンが来たからと言って、それは解決もしないし、当時の僕はジョンを実家に送る事で、僕の代わりだと思って、僕には連絡してくるなと思って、なんかそんな理由もつけていたと思う。
犬が飼いたかったのと、本当に、僕の身代わりにして、この家から当時の僕は死んでも縁を切りたいと言い、関わるなと思っていた。
今でも変わらないし、この僕の意見の矛盾についても理解している。
でも、これが毒親だったり、共依存や機能不全家庭の一例なのだ。
これを読んで僕に反論なり嫌味を言いたい人はいるだろうけど、
そういうもんだと思う。
自分がしている事は自分では一切見えないし気が付かない。
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だから、いざ、を経験してわかっていない人間は、いざ、の時を信用してはいけないのだ。
人助けなんて、人に優しくするのと同じくらいするもんじゃない。
後の祭り、こちらが食われた後から手のひら返されても相手はもう用が済んだ後、痛くもかゆくもない。
そんな事をするくらいなら、最初からと思うけど、最初から人間なんて信じる奴が馬鹿なのだ。
信じるタイミングを間違えるから、馬鹿なんだ。
相手を間違えるから、いざ痛い思いをして何を学んだの、と言われるのだ。
一生、一人で生きていけばいい。
僕も、生き甲斐なんてなくても人間は死なない事は分かってる。
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