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群像有象無象渦
解らない人には分からない。
僕は「捨てられる人生」なのだ。
・・
ずっと重い。
手も足も腰も頭も。
身体が重い。気が重い。
痛くて死にたくなる。
何もする気が起きない。
動けない。動きたくない。
もういい、もういいよ、と泣き投げたい。
けれど、一応は生きている。
・・
日記が書けなかった理由を並べたい。
けど、長くなるから止めておく。
一言。もう何もかもが重いのだ。
・・
我が家は、僕が産まれて物心ついた時には当時の母親の価値観が家の中を洗脳していた。侵食していた。
例えば、肉体労働はダメ。
「土方はまともな人間がする仕事じゃない」
飲食業はダメ。
「ロクな人間がする事じゃない」
それは母なりの経験や解釈はあれど。
はっきりいって、それは個人の問題だ。
偏見や差別や人間性がそのような言葉を家の中にばらまいているのだ。
例を挙げればきりがないが、あれはダメ、これはダメ。
これは、母親が気に入ること以外は全否定、というシステム(仕組み)が成り立っていたのだ。職業以外でもこの原理が我が家を形成していた。
本人はその気はなくとも、事実、すべてにおいてそうだった。
・・
祖父は土建業で自営業をしていた。いわゆる肉体労働だ。
その祖父でさえも、肉体労働を職業として僕に勧めなかった。
何かを教えるような事を一切しなかった。
今思えば不思議なようで、納得がいく。
母親はとにかく自分が気に入らない事を全否定する。
嫌いな対象、それを全否定することで自分を守る人間だ。
何を守るとかと言うと、自分のプライド、自尊心、承認欲求、自己顕示欲。
・・
祖父は我が子(母)が自慢だった。
家族も愛し、尽くした。
祖父の時代は、学校に行くことが今のように普通でもない時代。
祖父は兄弟、11人。
その兄弟や自身の里、親に仕送りをし大家族を支えた。
そういう家の事情があったのだ。
そして、僕ら家族も養っていた。
・・
祖父の働き方は、人より働く。
慢性の貧血を苦にせず、働く。
仕事から帰ってきたら、また家族の為にまた動く。
ご飯を食べたら眠る。
ご飯を食べたら寝る。休むのが当たり前だ。
それを母は嫌っていた。
これは、自分が肉体労働をしていないので、肉体労働で仕事をしている人間の事が解らない。
理解できないから、自分が仕事から帰ってきて、ご飯を食べてすぐにテレビを見て横になって休む。寝る。
その生活を自分はするのが嫌で、嫌いだから、自身の父親(僕の祖父)の仕事から帰ってきてからの姿をそうして馬鹿にし罵っているのだ。
けれど、自分が嫌だから、自分が嫌いだからと言って、他人にそれを押し付けるのは間違っている。
家族、自身の親と言え間違っている。
それが許せない。何か理由やきっかけになる出来事があったとしても、気に入らない。その感情をそのままぶつけるのが僕の母なのだ。
・・
祖父は時間と肉体を酷使する事でお金を稼いだ。
今僕らが住んでいる家。
そして親族、家族を養い、守った。
それは相当な金額だ。
うちは決して金持ちではない。
爺ちゃんが稼ぎ、家族や自身の兄弟たちに、自分のお金をすべて渡して、大切に守った。
そんな祖父がどうして自身の仕事を否定するような言動をしていたのか。
それは自分の娘、僕の母親が、自身の仕事や仕事のやり方を嫌い、言動から母が言う事を世の中の正解、社会の常識とした。
・・
少女老婆の要因
勉強すれば相手を攻撃できる。
勉強(学)さえ出来れば相手を言い負かせる。
僕の母の不安からくる反射的な攻撃は、小中学生の癇癪と同じ感じだった。
「ヒス」と呼ばれていた。
・・
祖父の溺愛ゆえ、無知でワガママの全てが許された祖母
「あの阿呆な親」
母はそう自身の両親を呼ぶ。
・・
祖父も晩年、今から10年くらい前、僕が東京から帰ってきた頃。
家族に対しては一切怒らない祖父。
いくつになっても可愛い我が娘に対して
「それ以上言ったら殺し合いになるぞ」
と、一言告げる。それほど、母は度を越えていた。
それを言ったとして祖父も別に態度や生活が変わる訳でも無かった。
瞬間的に限界と言うのか度を超えたのだと今なら思う。
攻撃された側は覚えていても、攻撃する側は自覚が無かったり、そんな事は覚えていないのだ。
なので、言われた母も何食わぬ顔で堂々とまた
「あの阿呆の親に」
と、我が天下を継続させ続けていた。
・・
僕はそんな我が家の中で生まれ育った。
それは別に特異ではないと思う。
どこの親も家にも、事情や過程、訳がある。
子供に、教育として間違った事を教える親はいない。
正しく育てようと考えるものだ。
それは間違ってはいない。
ただ、その価値観の押し付けが、過度、度合いを超えてしまえば、それは、ただの家庭内暴力と同じだと僕は思う。
・・
なにより、母親はとにかく弱い。
何が弱いか。
それは自分の我を押し通せない相手や状況が怖い。
僕とは大きく違う。
想定外の事、自分が理解出来ない事。
自分の意見や存在に賛同や共感してくれない相手からの指摘や想定外の反応に対応できないのだ。だから、準備やを念入りにしているが当然人間だから予想外の事が仕事でも育児でもプライベートでも起きる。
そこで発狂し、癇癪を起し、キチガイのような言動で周囲を気付つけてきたのが母なのだ。
正しい言語化が出来ないけれど。
キャンキャンキャン吠えれば納得する相手。
そうい人としか晩年まで人間付き合いが正しく出来ない人だったのだ。
だから僕は言う。
「不幸の末路、愛されない孤独な人間の末路、生き地獄の中で死ね」
・・
僕の父親も決して良い父親でも人間でも無かったかもしれない。
ただ度合いを超える言動しか出来ない母親が父親を怒らせた時。
ヒステリーの塊で相手を罵り、罵声、癇癪、怒号を挙げる母親。
けれど父が怒り出すとすぐに悲鳴を上げ、女になり僕の後ろに隠れていた。
相手が攻撃してこない、反論してこないと見込んだ相手に強いのだ。
そして、自分の意見を押し付け、押し通す為に声が大きくなる。
何度も言うが声量音量の話ではない。
そして、僕の母は
「人をたきつける」
誘導、陽動させるのだ。
これが母親の、それしかない、成功体験なのだ。
・・
過去の日記にも書いている。
その結果。
我が家は機能不全家族であり、
毒親関係は形や色を変えつつも遺伝してきているのだ。
僕を自殺にまで追いやった全ての元凶だ。
・・
そこに気が付いた時が先日。
「私だったら、自分がしたいことがあったら親に隠れてでもするけどな」
「普通は、そうやって自分がやりたい事くらいやる」
母のこの言葉だけを聞けば真っ当な事を言っていると思う。
その時に僕は気が付いたのだ。
なぜ僕はそれが出来なかったのか。
それは生まれた時から、母親が絶対的で、過剰で過度な偏見と、狭い見識と価値観が我が家の絶対的正解となっていたからだ。
ここで生まれ育ち、この親にライフライン(命)を握られて僕は育った。
いつまでも幼少期の事を言うつもりはない。
ただ反論する。
世の中を知らない、物事、物心もつくかつかないかの子供が。
親の言う事を最初から疑って考える事はない。
成長過程というのは、親の現実を知る。理想化された親と現実の姿から学ばなければならなかったのだ。
ただ、声が大きい(支配力が強すぎる)母親から僕は逃げられなかった。
逃げると言うよりか、未熟な母から教えられる、人格障害か発達障害なのか分からないが、そのような母から強制的に教えられる社会や人間というのがあまりにも洗脳的に強すぎた。
僕はそこで人生を狂わされてしまった。
・・
人は生まれたその家のルールや、親の価値観で教育される。
だから色々な人間がいるのだ。
価値観や境遇、様々多様な家庭(過程)を経た人間がいるのだ。
それを
「普通は自分で考えて、自分がしたい事があったら、親の言う事なんか聞かずにするのが普通」
と言うのは、少し僕の中では違うと思っているのだ。
・・
僕は我が儘に、好き勝手にしてきた部分がある。
それは事実だから、変えられない。美談には出来ない事実なのだろう。
でも、それは自分がしたい事をすべて否定されて、
「子供が何かしたら、全部親の責任と言われる」
と大人になってからも、僕がする事を不安視され、雁字搦めにさせられてきた。
そもそも人間はそんな簡単に死ぬような事にはならない。
むしろ今こうして地獄めぐりの負の連鎖から死に向かっていくほうが、いくらか生々しい地獄だ。
・・
お前は
「私は悪くない」
と言うだろう。
金を出せば何をしてもいいと言うのが、この地獄の問題だ。
金を出しているのは親だ。どこの家もそうだ。
金を出せば何をしても良いのか?
これだ。金を出せば何をしても良いのかという事だ。
「親は子供を殺しても罪にならない」
散々子供の頃から言われ続けてきた我が家だ。
金を出せば、子供を私物化していいのだ。
だから、飼い犬に嚙まれる事もあるのだ。
人間相手なら、刺殺される事もあるのだ。忘れるな。
・・
自分で考えて自力で生きていく事に向き合えなかった事は自分の問題だ。
ただ、今でもキャンキャンキャンキャン喚き騒ぎ立てる母親がいる我が家の中で、僕は気力も体力も、休むことも無く蝕まれ続けている。
・・
毒親というのはそんなに簡単な言葉ではない。
愛着障害と一言で言うにも、それには見え方見方がある。
とはいえ他人の事を僕は否定するわけ訳ではない。
・・・・
・・・・
自分の事だけをしていれば良いなら、そう苦労もない。
家族の為に、愛する大切な者の為。
そこに命や力を持つ。
自分だけの事をしていれば良いのは子供だけだ。
辛い事も、痛い事も、苦しい事も、そういうこと。
辛い事は半分になるように。
幸せな事は共有して。
辛い事はお互い様で手を取り合い。
楽しい事は何倍も。
それが家族であり人間だ。
僕は感謝してる。
僕は懺悔もしている。
尊敬もしている。
自業を受け入れている。
だから飛ぶ。
自分だけの事しかしていない内は、それだけの力しか持てない。
僕もそうだ。
一人称だけの視点で何もかもが出来て成り立っているなら
この世の中は戦争だらけになる。
わかってない奴が多すぎた。
・・
この日記を書くまでに数日かかっている。
この数日間であった事。起きた話。気が付いた事。書いて残したい伝えたい事は、もうどんどん消えていく。
疲れ切って、僕は死にそうだ。
もう死んじゃう。
僕にあれを頂戴。
君も一緒に。
僕に死を。
君にも、絶望を。
僕からそれを奪う事は、君から煙草と酒と薬を人生から奪う事と同じだという事。いつまで経っても自分の事だけしかしていない人には、一生解らないのだろう。
目の前に、幻想の餌をぶら下げられて走らされるようなもの。
僕らには信頼も信用もない。
そうやって自分の人生を得手勝手に走り続けられたらいい。
僕から生き甲斐や、ご褒美を取り上げて。
自分は自分だけが良ければいい。
皆そうだ。
言葉並べてもしょうがない。
お前もそうか。
お前も同じだ。一生だ。お前ら全員。全員同じだ。
金と僕の人生を食い散らかして。
何食わぬ顔で僕を殺す。
・・
僕がこう言って。
僕がそれを言ってしまったら、おしまい。
言われてする事じゃない。
それじゃあ、楽しくもない。
自然じゃない台本は嫌い。
言われてするもんじゃない。
僕は誰かの描いた絵に乗るのも、踊るのも大嫌い。
自分の事だけをするのは間違っちゃいない。
人間なんて身勝手極まりない生き物だ。
所詮は動物だし。
依存するな。
自力で自立して自分がやりたい事は自分でやれ。
人のせいにするな。
じゃあ、僕一人で生きていくのと何が違うのか教えてくれよ。