まとめられない日々

手を怪我した人を見た。
痛いと思う。

僕なんか、ちょっと切っただけでも痛い顔をするし、痛いと言う。

やっぱり怪我するなんて嫌だ。

自分の手が切り傷や、潰れてグチャっとして血が流れて、ヒリヒリして、動かさなくても激痛、とか本当に嫌だ。

変だな。
痛いのは口だけで実際は内心は痛みに強いとか言っていたくせに。

痛い思いもせず、怖い思いもせず、
不安にもならず、無傷で人生を生きていたい。全うしたい。

これ、片山みゆきと同じだよな。

死ね。

僕も世界も、僕の好きな あいつら以外 全員 死ね。

そう思っていた頃は。

自分がいつまでも若いままで、今その時の感覚や姿のままで生きている想像しか出来なかったんだろうなと思う。

だから若さは無知と同時に武器だと思う。
若くはない無知は、愚かで恥ずべき事。

でも、多少は無知だったり馬鹿だった方が生きていくには楽な気がする。

あまり物事を知っても、それを理解し納得させて自分に合うようにするには能力が必要で、その努力や訓練が苦痛でしかないなら、物分かりが悪いなら、下手に物事を知らないと言う選択肢もその人の最適解なのかなと思う。

それでも、それは本人の話で、他人や家族に自分の意見や自分の価値観を押し付けていると、人間も家族も全ての物事や関係を壊すだけになるからね。

・・

株価が一気に元に戻った。

けど、これから市場は不安定だと思う。
だから、僕なんかは見ていない方が精神的に良いと思う。

下手に関心や興味を持っていたら、追われて転んじゃう。

今回の暴落は、円高の影響だと思っていた。それに、ニーサは現物だけしか買えない(空売り出来ない)と思っていたので、すぐに戻ると僕は考えて見ていた。

実際にはニーサ枠では出来ないだけだけで、僕の考え方は間違っているのかなと思うけど、やっぱり今回ニーサの枠で株を買うような人は、無難に買うだけだと僕は思い込んでいる。

それこそ誰々が言っているから、国が言っていたから、テレビで言っていたから、ネットで観たから、の盲目情弱税がいるから世の中は分からないんだろうなと思う。

どれだけ勉強しても、どれだけ立派で偉い人でも、人の考えや流れを、同時に、全部の人間の動向を予測するのは無理だと僕は思っている。

それを出来る人間がいて、出来る人間の言う事を聞けば自分も同じように成功すると思っている人が、普通に、健常者でも、そう考える人がいるのだなと思うと。

最近の○○障害、○○知能なんて言葉は本当に偏見と言うかただの差別で、生きている人間、全員が世の中の事を「自分は正しく知っている」と思い込んでいて、更にそのまま生活して出来ているのだから、凄いと思う。

だから社会の混乱や、不和を産む要素になるのだと思う。

・・

また話が脱線したから戻す。

ちなみに僕の円高を希望する理由は、僕が円安のせいでイライラし続けているから、だけ。

いつか元に戻る(円高に一時的になる)と思うしかなかった。

僕の頭の中は円安シナリオしか想像していないけど、
素直な心は円高を切に願っている。

円高も円安も両方バランスよくあるのが理想だと教わったけど、
僕は海外に行けなくなるから円高を願っているだけ。

あとは外国からお金や人間が、日本に入ってくる事を僕は良いと思っていない。だから円高を理想としているだけ。

安易だと思うけど、人間だからそれくらいの欲で主張を変えたり主義にしていたりするから、安易な生き物だと思う。

これからは、空売りできない(買い続けるしか能が無い)ニーサ枠組。
カラ売りという言葉を知って手を出す組。
誰が火傷するんだろう。誰が搾取されるんだろう。

全員だと思う。

タンス貯金を出す目的に新ニーサは有効だったなと最近思う。

少し前の僕なら、

・ニーサ枠を利用している人は株価が上がっても下がっても、買う銘柄しか見ていない(買うしか出来ないから)、半ば強制的に買いしか入らない、だから株価は下がりにくくなる。
最終的にお金が株式市場に入ってくるから株が上がる!
とか言っていたと思う。

それは勉強が足りないだけ、安易なだけだと思う。

だから僕は当分株式市場を見る事は無いだろうし、
僕みたいな人は勉強した方が良いんだろうなと思う。

ふと気になった頃には後の祭りとかになっていると思う。

そういうものだと思う。

・・

と思い、部屋にあった宅建士のテキストを見ていた。

昔と違う感覚になった。

書かれている事に、「あっそ、はいはい」と中身などほとんど考えずに読めば、最初から頭の中が混乱したり、問題を深く考え過ぎないようになった。

回答は中身が理解出来ていないから適当なんだけど、さっき見た事を丸写しするような感覚で問題を解くと少しは理解できた。

僕は、物事の裏(嘘)や矛盾みたいなものを探し過ぎるのだと思う。

これは物心ついた頃から親から言われ続けた事だから、だなと思っていたから、納得した。

・・

親に対して、死ねと思う。それしか思わない。
これは僕が高校を卒業してから大きく変わる事はない。

でも、一日でも、一秒でも早く死ねと思うけど、実際は少し違う。

死ぬまで死ねと思う。

僕は死ぬまで地獄だと自分で思っている。

だから親を怨む子は、一生、親が死んだ後も地獄だと言う。

最近はそれが強いから心が落ちているのだと思う。

親は、自分には関係ない、と自分に責任や問題を追及されるのが困るので必死で反論する。

うちだけでは無いと思う。
この手の問題や争いをしている家庭内では、似たような事を繰り返していると勝手に思っている。

違う人は、そんなことあり得ない、考えられないと僕の意見や主張を否定すると思うけど、それは関係ない他人だから。
当事者ならそんな事は言えない。

否定しない人は、僕を相手にしていない人だと思うから、
それは正しいと思う。

僕が僕を他人として見ていたら、紙一重、見ていられない気もする。

共感するのかって聞かれたら、そりゃ自分で書いて自分で読んでいるのだから、どうしたって共感というか文章も読める。それだけだと一応、わかってる。思ってる。

この双方の押し付けをしているうちに、双方歳を取り、どちらも丸くなり(闘争心も体力も年老いて無くなり)、親は死に、子は死ぬには遅すぎる、となる。これが僕の人生だと思っている。

僕も含めて大抵は、親が死ぬ頃くらいに子はそれなりに年老いてしまって。
それこそ有耶無耶になり、そのまま次は自分が死ぬ番になるのだと思う。

だから全員が、
いつか許されるみたいな形に着地しているのだと思っている。

・・

僕はそれを少し前に「罠」だと表現した。

あと、僕が苦しいのは
「表現」に頼るな、と思っている自分がいるからだと思う。

・・

言葉を借ります。

僕らも、いずれ泡のように弾けて消えて。

シャンパンのような奴らです。

・・

何度か読み返して、最後に追記したい。

僕が幸せの答えとして追いかけたのは、
僕がnoteの最初に書いていたシンエヴァの最後。

ファンでも無いし、無理やりこじつけた訳でも無い。

ここから抜け出して、僕が全力で愛する日々に僕の幸せや、その先の答えがあると信じて疑わずに走っていた。

でも、それは万が一のifがあったとしても無理だったと思う。
思うしか選択肢は無いのだけど、無理だと思う。

何故なら僕は今だから、ここまで言えたり考えられるだけで、
4年前までの僕なら、今のようになれていたか分からない。

無理だと思う。

僕に今以上のストレスや負荷がある環境で、更に全員が他人。
すべてが新天地で一から初めて、更に相手が相手だ。

みーちゃんの正体は、無職の引き篭もりメンヘラおばさんだった訳だ。

これはこれで誰よりも他人から見れば相当たちが悪いと思う。

僕は、中途半端に何かを知ったように語られるよりか、
何も知らない人の方が良いと思っていた。

そういう意味でも、理想(想像)と現実(実態)は違った訳だ。

でもあの時までの僕は、解っていない訳で、知らない訳で。

あの時までは全力で無茶苦茶でも走れたけど、それが解って、答えと言うか正体みたいなものが解ってくれば、考え方と同じで僕も変わったと思う。

だから、僕にとって、これ以上は言えないけど、どの道、ここに辿り着いているような気がする。

あの時に、あのまま山口県に滞在したり、その後に単身で更に移住なんてしていたら、その2,3年後が今だ。

絶対にあの時よりもさらに最悪な事にしかなっていないと思う。

ここに追記して書きたかった事は

まず、ここから飛び出して、ここから抜け出して、駅の階段を駆け上がって走り出した二人の様に、僕はするべきなのだ。

ただ、そこで階段を上がろうとして、上がっていたら…
気が付けば、何かを間違えた、ってだけなんだろうな今の僕は。

なんか笑えてきた。

今だけだろうけど、こうしてる今、一瞬だけ今こうして笑ってる。

また逢おう。

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