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問題は遺伝する 問題は遺伝している

母が僕に補助金のセミナーのチラシを渡して
「これ、どうなん、こんなの来てるけど」
と言うので
「補助金貰えるように行ってくるわ」
と返して僕は会話を終わろうとした。

すると母が続けて
「AIって、どんなんかな。うちで使える事って何、補助金、何に使うん?」
と、不安そうな雰囲気を醸し出してきた。

これは劇場型、演技性人格障害。

「会場行って話を聞いてくるよ。わからん事は担当の人か、話しできる人の名刺を貰って相談して来るよ」

それで僕の中では完結した。

でも、更にそこからウダウダ(これが演技が入っているのでウジウジなのだ)と話が続くのが母の人間性というか人格異常だ。

僕が「不安になる事があるのか?」と、一瞬でも重くなる。
足が止まるような話し方をする。そうやって雑談を始めてくる。

そういうのを「心配性」と言いたがる人がいる。
心配するのは皆、同じだ。


ここで書くのは、演技性はたちが悪いという事。

本人が違うと言えば違うというのだろうが、こういう人間の周りにいる家族や他人は、精神的に困惑させられて、振り回されるだけなのだ。
それを理解できないのが、毒親や障害を持つ人間だと言われている。

・・

この人は寂しいのだ。

家の中だから、家族だから当たり前のようだけれど、それは間違っている。

この人は家の中で会話ができると思っている。
爺ちゃんも婆ちゃんも僕も、常に嫌って遠ざけてきた訳ではない。

この人が話し出すと、結局は、自分の自慢話と、自分の話に同調して、賛同してくれないと機嫌が悪くなるか、怒り出すだけなのだ。
それを幼少期から母は成長せずにここまで来て、僕は物心ついた頃からその感情的で不安定な親や家の中で生まれて育った。

これが愛着障害や毒親、機能不全家庭の特徴のひとつだ。

・・

母は、今も昔も変わらない。

今でも認知症の婆ちゃんをサンドバックにしている。
自分の話を、大きな声で聴かせて、自分が納得するまで止まらない、離さない。そこは一切変わらない。

どれだけ爺ちゃんと婆ちゃんは、娘である母の話を全部受け入れて、聞き続けてきたのだろう。

これは何度も言うが、爺ちゃんの問題でもある。
何度も言うけれど、毒親問題は、遺伝の一つ、でもある。

・・

爺ちゃんは僕が東京から帰ってきた頃、母に対して
「それ以上いったら殺し合いになるぞ」
と、あの爺ちゃんが言った訳だけれど。

それでも、それ以降も、結局母は変わらないし、爺ちゃんも変わらず娘である母を溺愛していたのだろう。

自分の子供の言う事に対して何でも
「うんうん」
「うんうん、すごいな」
と、全部褒めて、子供の言う事を、先生と生徒のような感じで、聞かないといけないものなのか?

親子が逆転しているよな。
少女老婆は、これを最初の成功体験から、そこから、このやり方だけで60年くらいやってきたのだ。

否定はしない。事実、母は仕事をしている。比べるのは間違っているが、同世代の女性と比べると、社会の中で活躍した人間だと思う。

・・

人間にはよくある話だと今は思う。

どこの家の中も、色々あると思う。

僕にとってはこの世で一番呪いのような存在だが、別に社会から見たら悪人ではない。たぶん。

価値観は、その家の中で生まれている。

人がそれぞれ「普通」と言っている事は、その家の中だけ、あるいは、その環境の中で形成された価値観や「普通」だという事。

犯罪者の子供は犯罪者ではないが、親がもし犯罪行為を犯罪行為として、悪い事として認識していなければ。
おそらく、その家の中の価値観を最優先にして育った子供は、親と同じような価値観を「普通」として、何の問題意識も持たずに成長するのだと思う。

可能性の問題だけれど、その環境の中で育ち、その環境の中の価値観を最優先した人間は、きっとそうなる。

・・

爺ちゃんたちが母を、自分達より偉い存在の様に、大切に大切に育てたのだから、この結果も当然のようにも考えられる。

結果的に、結婚、子育てを一回して。それも失敗したまま、自分の非と言わず、何が問題なのか、何が原因なのかを考えられない思慮の浅い人間が、我が家、三代の最大の問題だったのだと僕は今は思う。

母は、自然と、本当に家族を自分の私物のように、言う通りに動かせたい、動かせると根底に思って育ってしまったのだろう。

・・

話を戻す。

結局そこで僕は母に

「今から調べて勉強していけば何か掴めるかもしれんから、それで話や相談するのじゃダメなの? 何が不安なの?」

と聞く事にした。その返答は

「どうしたらいいか、わからん」

僕は

「セミナーの時間と時間割を見ても相談する時間は無いし、このテーマの話を聞くだけになるんじゃない? あとはそこに居る人に相談して聞いてくるわ。それで何がダメなの? 」

その返答は

「わからんもん」

僕は、この時点でもう怒っている。

「そこで考えていけばいいだけやろ。なんでそこで解らんで止まるねん!」

母は完全に少女老婆の目になって睨みつけてくる。
僕は、ため息と同時にイラつく。


「それにAIとか、うちの仕事に関係あるん? 何が活用できる?」
と言うので

「それを考えて聞きに行くんだろ」
と僕は苛立ちながら返答する。

「わからんもん」という言葉が、どれだけ無責任な言葉なのか母は気が付いていないのだ。卑怯で、中身が無い言葉。
それは、常に今まで、散々、自分(母)が偉い、自分は何でも知っていてどれだけ凄いのか延々を聞かされ続けてきた家族、僕から見れば、急に弱きや弱者に変化する母の姿は、言葉にならない次元の悪なのだ。

少し前、僕は別のセミナー、観光、地域再生のセミナーに行くように母に言われた。社長命令だから仕事だ。

その時に僕が
「これの地域再生とか開発って、うちの会社の規模で仕事に出来るの?」
と、僕がその時はセミナーに行く理由がわからなくて聞いた時に。

母は
「そんなんは行って、話を聞いて、そういう例もありますよって!」
「お客さんに説明する為に行くんでしょうが!!」

と怒り出した。

その時のお前の言葉はどこに行ったんだ、と。
その時のお前の偉そうな講釈と声のデカさはどこに行ったのだ。

だから僕は
「あの時、自分が言ってたやんか」

上の言葉をそのまま母に言った。

母は、沈黙で睨みつけてくる。

「何で、そこで分からんって止まるの。思慮が浅い過ぎるやろ」
「このセミナーに行くのに内容調べて、考えて行ったら済む話やん」

母はもう完全に気に入らない状態になり

「あんたは私の事ばっかり気にして何になんの、それで毎日オカンは毎日オカンは、って考えて何になるの!!」

と言いだした。

「お前の事だけちゃうわボケ。全部の事に何でこうなるんだろう、何で失敗したんだろう、上手くいかなかったんだろうって全部に当てはめて考えるんだろうが!」

と僕も怒鳴る。

「死んでから、わかればええわ」

と言い、吐き捨てて僕は出て行った。

僕は考えた。

本当に、こいつは自分の考えている事が正しいと、自分が言ってる事に疑う頭の余地が無いのだと思う。

自分の視点だけでモノを言うのが当たり前でそれが正解で普通の事のように考えているのだなと。

次のは心の声だ。

「お前は僕にとって一番の死んでほしい相手であって、一日中考えてるのは、お前のせいで狂った人生を、どうしてこうなったのか、どうすればここから変われるのかを死ぬ気で探してるだけだわ」

本気でこいつは、半殺しにしてから僕は消えようと思う。

殴られたことが無い人間だ。

一度くらい、死ぬまで忘れられない痛みを持って、自分がしている事、してきた事が何だったのか、調べる機会になれば良いと思う。

この3年間、僕は母に本を渡している。

中身は、生き辛さ、執着、認知の歪みについて。
気にし過ぎない事、人間関係、そんな類の本を渡した。

カサンドラの事はきっと耳に入っていないと思う。
母は自分の興味がある事、自分が強く有利になれること以外は、一切目に入らない。耳にも入らない。考える力が無になる。

これを僕ら家族は理解できなかった、見抜けなかったのだ。

その本は、母は気に入らないのだろう。
一切読まず、そのまま放ってあった。

それでいて去年、母から出た言葉は

「私も発達障害かな(笑)」

何ヘラヘラしてんねん、ボケ。死にやがれ。

お前の人格障害が原因で、家族をぶち壊してるんだろ。

お前は僕に

「親が子供を殺しても罪にならないから!」
とずっと言っていたが、お前は息子殺しの母親として死ぬまで生きていけ。

殺意と諦めではらわたが煮えくり返りそうになったが。

「まあ、こいつも地獄に送るから、もうええわ」
と、僕はドライブに出て一時間で帰ってきた。

あと少ない時間、呑気に今まで通りやってろ。

・・

そういえば先輩からも、職場でキレてしまった、と連絡がきていた。

僕は返事に
「僕なら怒り狂うと思いますけど、何とも言いませんね」
「難しいですよね」
と返すと、反省していた。
短気な所を反省しているらしい。

僕が思うのは、その話は間違ってはいないよな、って思いながら。

自分の部下が何を考えているか考えると、どうしたら改善するのかと考えるのも方法の一つだよなって考えていた。

現場も知らないし、働いている人も知らないけど。
本人から聞いた話では、
人に対して喧嘩腰みたいな態度になってしまうらしい。

この人も今では、自分が正しいと思い込み過ぎる。
だから部下や相手に対して
「俺が間違っていると思うなら言え」
と言う、言えるのだと思う。

その言葉は、年上であれ年下であれ、部下だろうが上司だろうが関係なく、人から言われて、素直に円滑な会話やコミュニケーションが出来るとは僕は思えないけど。

それも人それぞれ。

それで殺し合いにならなければいいと思う。
人間って、社会って、そういうものだと思う。

・・

僕の事を大事にしない奴が偉そうな事抜かすなと。
そう思いながら今日も僕は生きていた。

今日も一日、吐き気と腰痛の中で生きた。
最後の日まで生きるぞ。

全員。叩き切るぞ。


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