世界の終わり
「死にたい、泣きたい」的なタイトルにしようと思ったけど、
無知がバレるので普通のタイトルにした。
最初であり最後のあれね。
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日記の順番を考えるのを止めた。
気にしていたら書けない。これ以上、半端になりたくない。
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お金があれば幸せだろうか。
お金があれば何でもできるから幸せ、安心。
安心感と言えばお金は安心につながると思うけど、違う。
違うと言いたい。
お金があるから今の僕だってなんとか生きている訳だから、お金が無い生活なんて想像がつかないと思う。
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お金があると、惰性や無意味な出費をすることが出来る。
生活をするだけであれば、あとは、どこに自分の中に基準を決めるだけでいい。そうすれば、いくら必要か考えられると思う。
そこを間違えないように覚えればいい。
教えられない大人や知らない親がいるから、いつの時代も同じように子や、次の世代は迷うし、苦しむ。
それを乗り越えるのが普通と人は言うけれど、その人や、その上の世代が、自分達は正しい、正しかったと開き直って笑っているのが、僕は気に入らない。心底嫌いなのだと思う。
でも、それだって、都合よく自分を語って、過去を美化して、正当化して、嘘がバレないところで、悦に入っているだけ、そうなのだろう。
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「皆、一緒」と僕もいうけれど。
一緒というなら気を付けろと思う。考えろと思う。
登場人物が違うだけで、そこにいる、出てくる人が違うだけで、言葉として表現が違っても、例え話の内容が違っても。
やっている事はそう変わらないのだ。
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人間の悩みは、ほとんどが人間関係である、みたいに語られるけど、その通りだと思う。いつの時代も、人間がやっている事、それはそう変わらない。
だから必要以上に考える必要は一切ない。それ以上は考える必要はないのだ。
「何も考えない状態でなければ生きていられないくらい辛い」となっている人は、まともな会話は出来ない。責任ある話も出来ない。
「死にたい奴に頭が良い奴はいない」
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日本人の平均年収や生涯年収、老後の為のお金の話、考えたくない。
社会の変化で、お金の価値も変わる。
一食500円のランチや、お金を掛けなくても楽しく、美味しく食べる工夫や経験値が身についていると、生活は変わる。
お金を掛けないと楽しむことも出来ない人は、貧相な人。
自分で自分の姿が見えなくてもいい世界で生きているだけ、だと思う。
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ライフステージに合わせて考えて変えていく。やはり人間は常に更新していなければ損をする。
けれど、知らないから損をする、中途半端に知って知ったような気になるから損をする。そういう部分で社会が回っている事も無視できない。
資本主義、競争社会だからね。
そうやって会社や業が成り立っていたりする事。
都合よく無視する事、今でも僕は嫌いだ。
自分は金は払いたくないけど、他人からは貰いたい客、みたいな話だ。
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人間は死ぬまで勝手で糞な生き物だけど、自分も同じだと知ったら、心中複雑になるか、諦めるしかなくなる。
無知が罪なのは、無知ゆえに努力する方法や道や諦めると言う選択肢すら知らないままだという事だ。
死のうと思うなら意地と必死で、発狂してでも、10階以上の高い所から飛び降りれば解決する。
しない、できないのは、出来ないだけ。わからないだけ。
わかりたくないでもいい。
とりあえず、とにかく、頭が悪い事に酔っぱらっているだけ。
「だから、人間は死ねないように出来ているんだって」と言っても、死ぬまで理解できない頭の悪い奴がいつまでも言っているだけの事。
だから「死にたい」と言い続けて、年齢的に、死ぬまで言い続けて何もしないで言い続ける人間も含めて、「死にたい人は頭が良い人」というのは、誇張や誤解というより、社会の歪を助長するだけだと思う。
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頭が悪いからのうのうと生きているだけで。
頭が悪いから視野も狭くなるし経験もない。
知識もない人間のする事だと思う。
だから苦しいんだと思う。
取り返しのつかない所まで言ってヘラヘラ薄ら笑いを浮かべて飯食う人間になる前に、そうなる前に、今から変わる方向に動いで全力で駆け抜けた方が良い。
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人は見ている世界や生活圏、人間関係や環境によって、価値観や基準が形成されるから、後天的な環境も今いる場所と自分自身を見失うと大間違いを起こす。
ちなみに人間は、確かに、変化もする訳だから。
いかに繋がりや社会との関係の仕方で人生というより、その人自身の成長で、末路が決まるのだと思う。
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犬の世話をしながら思うのは、人間と比べて手間や苦労はないなと思う。
二度目で前回とは全然状況も違うけど。
犬に限らず、僕の周りに存在するものすべてが重苦しいし、僕を傷つけ裏切るような人間しかいないと思い込んではいないけど。
自然と面倒で鬱陶しく、馬鹿らしく思えているから、これも不振だと思う。不信。
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半分嘘だけど、本当にどうでもよくなってきて、忘れていくんだ。
みんなが飯食って酒飲んで楽しそうにしている所、悪いけど
「何してんだ」
「何が楽しいんだよ」
と思いながら苛立つまで自分の時間を犠牲にした。
僕はそこでも、約束を守らない奴、を心底嫌う。
昔なら、日付を超えて僕を遊びに誘ってくる人。
目的や、何か、で僕を誘っておいて、釣っておいて、実際には何もない人。
結局、そいつが楽しければいいだけの単純馬鹿な、無責任、そういう適当人間に付き合う暇は無いのだ。
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そのうちに来る「いざ」という時に向けて生きるしかないのが僕だ。
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とりあえずもう思い出すのも大変疲れるし。
忘れたと言うのは悲しいけれど、悲しいと言う気持ちすらもシンドイ。
考える事より覚えている方が疲れる。
だから人は忘れるんだよ。すぐ忘れたり、忘れない様にしても、忘れてはいけない事を次から次に忘れるんだよ。しねよ
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退廃的な世界、刹那的な台詞、そういう雰囲気が好きな自分がいる。
そういう時や頃もある。でも僕は今でも好みは変わらない。
僕は今でも変わらず音楽が好き。
これは才能だと思う。
なぜなら、みんな、音楽に対しての付き合い方や感想が変わってくるのに、僕だけは変わらない。
自分に合わせてCDを買ったり買わなくなったり、ライブに行ったりいかなかったりはする。
昔みたいに、何が何でも、絶対にこのライブに行きたい、何が何でも何を投げ出しても投げ売っても欲しいものが無い。
それでも僕はロックが好きで、音楽から気が付く事や考える事がある。
そこは人と比べて異常なのだと思う。
それでも生活や自分の人生に合わせて変わっていく。
音楽やロックとの付き合い方や、向き合い方が変わっても。
僕は誰にも負けない、僕の人生を懸けている。
世界の終わりは、いつかやってくる。
思いも寄らない、そういう時にやってくる。