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読むまちづくり

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2024年3月の記事一覧

今週のnoteのアクセス数ランキング

◯1位 この記事ずーっと人気。ちなみに講演でもリクエストが続いている。よほどみんな目的と目標の違いってなんなんやろと悩んでいるんだろう。 ◯2位 まちづくりにおける様々な「成果」も人口ボーナスの賜物だったのではないか。という話。日本はこれから確実に人口が減る。それを踏まえた作戦がいる。 ◯3位 昨年の私のまちづくり研究の発見の一つが「地縁」「志縁」に続く第三の縁としての「気縁」の存在を示唆できたことだと自負している。 ◯4位。 なんで急に上がってきた。 日本の地

書籍感想文 深川光耀「私発協働のまちづくり」

花園大学の深川先生から献本いただきました。ありがとうございます。 現在、Amazonで予約注文を受付中だそうです。 せっかくご献本いただいたので、これから本書に興味を持って手に取る人が増えることを願って、感想をメモしておきたい。 師弟三世代に渡る「私発協働」理論のリレー本論文は、故・延藤安弘氏の「私発協働」をキー概念として用いている。私発協働とは、「<私>から始まり、まわりをゆるやかにひきつけ、ともに力を発揮しあうことを通じて”公共の幸福”に導く一連のプロセス」のこととさ

人口の波とまちづくり組織の活性化の話

先日、まちづくり関係のお友達と話していて、おやじの会の話になった。おやじの会は東京では1986年に設立されたという組織だ。 1986年とは、1947年生まれの団塊世代が39歳と元気と体力があまりまくっているタイミングだ。1971年生まれの団塊ジュニアが15歳、ちょうど中学生になったころだ。よく聞くように、おやじの会は小学校でPTAをやっていたおやじたちが、子どもが中学に上がったあとも、地域で活動したいと考えて自主的に結成したというストーリーに合致する。 おやじの会はその後

町内会の加入率を高める方法について、copilotとおしゃべりして教えてもらった

町内会の加入率を高める方法について、copilotとおしゃべりして教えてもらった。 自分:町内会の加入率を高めることに成功した事例について報告している論文を10本検索し、その内容について、500字でレポートしてください。 Copilot:町内会の加入率を高める成功事例についての論文レポート 町内会の加入率を高めるための成功事例について、以下の論文を調査しました。これらの研究は町内会の活性化や加入促進に関する有益な知見を提供しています。 「ソーシャル・キャピタルとしての町

プラットフォームの治安悪化とエクソダスの話

2000件の未読通知 大学院の友達が、メールを2000件くらい溜めていた。なのでスマホのメールアプリの右肩にある赤い丸の中に、2000とか数字が書いているのだ。 なんで?と聞くと、「迷惑メールが多いから放置している」というのだ。 電子メールは便利だ。一斉にたくさんの人に送ることができる。便利なんだけど、その便利さが悪用されて、安易な広告や詐欺のメールが跋扈するようになってしまった。いうなれば、メールサービスというプラットフォームの治安が悪化してしまったのだ。 無論、そ

「舞台化するまちづくり」、「地域活動のハレ化」を生み出す構造としての「移動社会」

舞台化するまちづくり、地域活動のハレ化 こないだSNSで、「舞台化するまちづくり」という、なかなかトンチの効いたキーワードを目にする機会があった。なるほどなあ、うまいこという人もいたもんだなあ、と思った。 更に今日は、「地域活動のハレ化」というキーワードを目にした。これもなるほどなあ、と思った。 まちづくりは、日常生活と連続するという性質上、ハレとケの2つの側面がある。これは、どちらが上とか下とかいうことではなく、相補性がある。バランスをとって維持されている。 そのうえ

「正の外部効果」をもたらす活動としてのまちづくり活動

「人は集まると何か良いことが起こる」は本当か 先日、とあるまちづくり活動家が「目的なんて後でいいんだ、人が集まれば何か(いいことが)起こるんだ」という熱い信念を語っていた。その熱は私にも伝播し、胸が熱くなるのを感じたものだ。 一方、すぐに冷静になって考えた。こういうのを「熱伝導率が高い」という。もしくは「熱しやすく冷めやすい」という。 マトリフ師匠から褒められるくらいに冷めた頭で考えると、多分、「人が集まる」と「必ず、誰にとっても良いことが起こる」というのは拡大解釈で、

チラ裏化、誤配と消化不良、SNSのタイムライン問題、オーバーギフティング、信仰あるいは気分について

自分の書くものの「チラ裏」化の進行なんだか久しぶりにまとまった文章を書いている。最近、文章を書いてもネットに公開しないことが増えた。本当の意味での「チラ裏」化してきている。かつては、もっと早く、もっと広く見てもらわなきゃ、みたいな妙な焦りみたいなものがあったし、もっといえば、「せっかく考えたことだから多くの人に知らせる方が親切だろう」と思っていた。だが、そういう感覚が薄れてきて、わざわざ人に見せなくてもいいな、と思うようになってきた。これは結構新鮮なことだ。