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読むまちづくり

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2020年11月の記事一覧

「社会の再世界化」の話。

 今朝、寝起きにふと思った話で。  以前、宮台さんが解説しているのを読んで、なるほどなと思ったのだけど、僕らの周囲には「世界」と「社会」があるっていうんですね。「社会」っていうのは、言語でコントロール可能な領域です。例えば友達に「すまんけどこれやっておいてくれない?」といえば、まあ、やってもらえますやん。このように、言語でコントロールできる領域を「社会」というと。契約書とか、法律なんか典型的で、社会をコントロールするために書かれた言語なんですね。あるいはコンピュータ・プログ

まちづくり年表を作ってみた。〜未来のSFみたいな話を、誰かと話し合いたいなあと思っているって話。

はじめに…年表作ってみた 前も書いたけど、ここのところ「コロナ後のまちづくりってどうなるの?」というお題で立て続けに講演依頼があって、みんな不安なんだなあと思ったという話の続きで。  で、将来の話を考えるためには、過去の話を踏まえる必要があって。というか、それくらいしか手がかりがないんですよね。社会の歴史って大きな波の繰り返しみたいなところがあるので。ということで、まちづくりのトレンドの歴史をざっくりを年表にしてみまして。 まちづくり近代史年表1880年代後半 京都、コレ

自分や周りの人が幸せになるような、肌触りのよい言葉を使っていきたいって話。

 よく言われるように、僕らは無意識のうちに行動をしてしまう。そしてそれはしばしば僕らの体にいい影響を与えないことがある。例えばストレスからたくさん食べてしまって、後で腹痛で後悔する、とか、イライラしている時につい人に嫌なことを言ってしまって後悔する、というようなことは日常的に起こる。つまり、無意識に行動をコントロールされて、QOLを下げてしまうんだね。

「生活保護は甘え」論から考える。〜人は人を甘えさせるべきか、甘えさせるべきではないか、それとも。

 土居健郎さんじゃないけど、今朝散歩してて、「甘え」って言葉について考えて。  「甘える」っていうのは、「自分の生存にかかるコストを他人に押し付けようとする」というような意味で使われる言葉で。例えば、僕があなたに突然「僕の生活費を面倒見てくださいよ!」と言ったら、あなたはおそらく「甘えるな!」となるだろう。これが日本語で言う「甘え」の使い方だ。  余談だけど、大学のときに、『甘えの構造』を教科書で読んだって話を、当時文学部にいた大学の先輩にしたら、「まあ、土居さんは”甘え

「基本的な収入」を配るベーシック・インカムと、「基本的な貢献と承認の機会」を配るベーシック・エンプロイメントの話。

 先日、知人の大学の先生が、授業でベーシック・インカムの話をして賛否を問うと、結構分かれて面白かったっていうんですね。僕なんか、ベーシック・インカムはどんどんやっていくべきだと思っているし、その先行実験も興味深くウォッチしているのですが、若い学生さんの中でも否定派の意見が半数を占めるっていうのはなるほど興味深いなと。  もちろん、ベーシック・インカムの実装には慎重な態度が必要だと、僕も思います。とりわけ、現在実施されている社会福祉制度を、お金の支給にスコンと置き換えるってい

「まちづくり」プレイヤーを①「不動産と固定収入ある系」、②「不動産あるけど固定収入ない系」、③「不動産ない系」で分けて説明した話。

 ここのところ、2,3件立て続けに「ポストコロナのまちづくりってどうなるの?」っていうテーマで講演依頼があったのだけど、みんな不安なんだろうなと思う。で、ちょっと考えてみたのね。  ポストコロナのキーワードとして僕は「非集」という概念を提案してきた。 この疫病騒ぎって、「本来、他人とはリスクなのだ」という、そんな当たり前のことを、思い出させたんですよ、人々に。これまで、僕らはそんな当たり前のことを、気づかないふりして、あるいは忘れたふりをして、他人と無防備に集まってきたん

まちづくりにSF作家が必要になる時代〜雑誌「mezzanine」感想

 都市とか建築とかコミュニティとかまちづくりを、こういう視線で取り上げるっていうポジションを取る雑誌って、意外とないよなあと思いながら読んだのが、こちらの雑誌で。  この中で、これからの都市づくりの手段の一つとして紹介されているNTTのデジタルツインコンピューティングっていうのがあって。  デジタルツインとは、例えば、機械部品のようなモノの形状、状態、製造工程等を計算機内で正確に表現したデジタル情報です[3]。また、ヒトに関しても、医療分野におけるMRIやCTスキャン等か

あこがれの職業は修験者かもしれない、という話〜内山節『共同体の基礎理論』

 内山さんというと、僕は、博士課程に居た2007年の新書『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』で初めて触れたくらいだけど、群馬県上野村に住んで地域づくり活動をする経験から様々な主張を発信されている方で、Wikipediaで経歴を拝見していると、もう70年代から優れた著作を多数出されているすげー人なのな。  本書はそんな内山さんが、戦後社会学の巨峰、大塚久雄の同タイトルを、あえて名乗って書かれた、文字通り基礎理論となるような本を目指されているんだとか。  本書の中で

コミュニティは「目立って活躍するスター」だけで回るわけではない〜金子郁容他『コミュニティのちから ”遠慮がちな”ソーシャル・キャピタルの発見』

 金子郁容さんというと、彼が書いた、まさにタイトルどおりの「ボランティア」は、おそらくは現代においてもいまだ使われているであろうボランティアの理論を提示した、記念碑的一冊だったと思う。これが92年、すなわち阪神大震災と、その後のボランティア元年と呼ばれる時期の直前に書かれていることは、今あらためて振り返っても重要であろうと思う。  そんな金子さんが、コミュニティ論のさらなる政策への啓発を意図して書いたのが本書で。  これはいわゆる一般向けの書籍であり、この本の元となる理論

「まちづくりのオワコン化」問題を考える〜コミュニティ政策のトレンドの話。

 先日とあるまちづくり系の学会の大会に参加しまして。その学会は、まちづくりに関する政策に関わる研究者や実践者、自治体関係者からなる集まりで、今大会は自由論題報告が主な内容でした。  ここに参加して感じたのは、まちづくりをめぐる政策のトレンドの変化で。これは肌感覚の話ですが、この10年くらい「人々が集まる常設の交流拠点」が大事だ、という話がトレンディだったように思います。例えば、子ども食堂というキーワードが出現したのが2008年ごろ、アサダワタルさんが「住み開き」を提唱したの