「まちづくり」プレイヤーを①「不動産と固定収入ある系」、②「不動産あるけど固定収入ない系」、③「不動産ない系」で分けて説明した話。
ここのところ、2,3件立て続けに「ポストコロナのまちづくりってどうなるの?」っていうテーマで講演依頼があったのだけど、みんな不安なんだろうなと思う。で、ちょっと考えてみたのね。
ポストコロナのキーワードとして僕は「非集」という概念を提案してきた。
この疫病騒ぎって、「本来、他人とはリスクなのだ」という、そんな当たり前のことを、思い出させたんですよ、人々に。これまで、僕らはそんな当たり前のことを、気づかないふりして、あるいは忘れたふりをして、他人と無防備に集まってきたんですね。そしてまちづくり活動家は、無防備に「集めてきた」わけです。主催者都合で。そして、その主催者が人々を集めることで生じるリスクは、主催者ではなく参加者に転嫁されてきたんですね。(略)本来他人と集まることはリスクです。人間なんて、コロナに限らず、雑菌の塊みたいなもんです。だから他人は本来、むやみに集まっていい存在ではないんです。そのことを、今回の疫病騒ぎで、私達は思い出しつつあるように思うんです。その他人への恐怖に怯えた人々は、マスクや、その代用品を必死で求めます。もはや、「引きこもり」の人々を蔑むことを私達は許されない。すでに人々はマスクの中に引きこもっているわけです。(略)これまで「集まる」ということで様々な問題を解決しようとしてきた、まちづくり界隈も、思考の転換を求められるだろうと思うんですね。そういう時代に入る可能性がある。
僕はそれを、「非集の時代」と仮に呼んでみました。
で、非集状況は、飲食店やショッピングモールや公共施設なんかを見ていると、段階的に緩和されつつあるけれども、まちづくり現場の肌感覚としては、客足はかつてのようには戻ってないなという印象があって、非集は日常化したんだなあと感じていて。そういう、少なくとも現時点では不可逆の変化として僕には観測できています。
でですね、この「非集」という変化がまちづくりにどんな影響を与えるのか、ポストコロナのまちづくりって何だ、という時に、実は整理して考えなきゃいけない事があって。それは、「まちづくりプレイヤーも一様ではないぞ」ということなんですね。
「まちづくり」プレイヤーを、大雑把に3つに分類するならば、①「不動産と固定収入ある系」、②「不動産あるけど固定収入ない系」、③「不動産ない系」と説明できて。
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