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部屋でひとり、空を見る
吐く息が白くなる。
肩を縮ませて玄関の扉を開けた。
室内は外の気温よりも幾許か暖かい。
自分の部屋に帰ってきた安心感が体を包み、肺から大きく息を吐いた。
広くもない部屋に数歩で入り、上着を脱ぐ。ハンガーを手に取り、上着を壁にかける。
次に手に取ったのは古びた半纏だ。着初めて随分と経つ。まだ未熟な年頃に親が買ってきた代物だった。
今年は寒くなるから、と渡されて こんな物着ないと言っていたのにいつ間にか冬にはなくてはならない物になっていた。
中綿のボリュームは消え、ぺたんこの生地に機能性を期待できるわけがないのに、着ると不思議と温かく感じる。
長くなった前髪にヘアクリップを差し込み、ソファに座って鞄の中から携帯を取り出した。
一旦座ってソーシャルメディアを開いてしまうと動けなってしまうことは頭の中では分かっているのにスクロールする指は止まらない。
現実では接点がない煌びやかなネットの世界を覗く。
旅行、自分磨き、カフェ巡り、グルメ、スクロールしながら見ている自分の表情は分からない。
自分とはかけ離れた世界のことが頭の中にどんどん入ってくる。
友達、彼氏、結婚相手、家族、子供のこと。笑顔が画面の至る所に散らばっている。
スクロールしていた手を止めて、ふと部屋の片隅に置いている鏡を見た。
仕事終わりの疲れ果てた自分の顔と目が合う。上げた前髪のせいで貧相に感じる。
もう一度画面上の笑顔たちを見る。
瞬きをして部屋の宙を眺めた。
何を思って、何を考えているのか自分でも整理がつかない。羨ましいのか、悔しいのか、妬ましいのか、気にもならないのか。
ただ、自分とは何が違うんだろうと携帯を片手に無言の部屋で頬杖を付く。
時計を見ると日付が変わりそうになっている。数時間もスクロールを繰り返していた自分に呆れながら、冷蔵庫の中から冷えた作り置きのおかずを取り出す。
無造作に開けた保存容器から噛みごたえの良い浅漬けを取り、口に入れた。
ポリポリと咀嚼音だけが部屋に響く。
また部屋の宙を眺めた。
明日も仕事だ。
咀嚼音が頭に響く。
頭の中で先程見た写真やコメントの数々を思い出す。
自分は何者になりたいのか。過去の自分は何になりたかったのか。同じように笑顔になりたかったんだろうか。
着ている半纏を見下ろして、過去の自分を思い返す。
同じ半纏を羽織っていた少女は今こうして部屋でひとり浅漬けを食べているんだぞ、と内心笑う。
何になりたいのか、どうしたいのか答えはまだ出ない。
部屋の窓を開けた。冷たい空気が部屋になだれ込む。目の前にはコンクリートの壁が視界を塞いでいる。
顔を出して上を見る。
コンクリートの壁と壁の間から僅かに青い夜空が見えた。
星は見えない。
学生の頃、夜道で見上げた流れ星を思い出した。
あの時、勢い良く空を飛び越えた光りに感激して あっ、と声をあげたのだ。
瞬きをした。
星が、見たい。
冷たい風に頬の温度を奪われる。
半纏の襟を握った。
自分のしたいことを見つけられたような気がした夜。
終わり