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治療って何だろう
こんにちは。気がついたら年が明け2月に突入していました。
今自分の中でホットな話題。
治療ってなに?です。
いまさら?そうかもしれない。
じゃあこのnoteを読んでくれている方々は治療というとどんなイメージですか?
薬を飲んだり、注射したり、何か良くないものをいい方に向ける、もっと言えば治すみたいなイメージが多いのかなと思ったり…。
だとしたら、これまで(これからも?)1番メインで行われていたPKUの食事制限は治療なのか。そもそも現時点でPKUは治らない。だから難病なわけだけれど。
PKUの食事制限は脳の状態を悪くしないという予防の観点が含まれている気がします。むしろ制限をしていても好転するわけではないような気がする。
それは治療なのか。
そもそもこの食事制限は食事療法と呼ばれたりもしています。なんだか急にマイルドなニュアンス。治すという字から療という字が入るだけで根本的には治らなそうな雰囲気がしてくる。現状維持的な。
じゃあわたしでいうところのパリンジック以前の食事療法をしていたウン十年は治療をしていなかったのか…?
そもそも制限が緩和した今すごく思うのは、食事は文化でコミュニケーションの一部ということ。食事制限を物心ついた時からしていると同じ国に暮らしていても異文化なんだなと食べられる人の文化に入って思う。
言語は共通だけれど、見えてる景色がちがう。
そう思うとわたしは食事療法も治療だ!!と声を大にして言いたくなる。
たしかに好転はしないが、この努力なくして今の生活はないし、異文化と言えるくらい大きなことをし続けていると思う。
逆に食事療法だけだったのが、新しい自己注射という治療ができたことで急にたいそうな病気の人みたいな気持ちにもなる。
言い方を変えると、今までは食事が同じものを食べられない以外は特に制約がなく、周りと違うことはなかった。
注射を始めることで、≪毎日注射を打たないといけない人≫という重そうな病気の人像を持たれてしまう(自分も?)ような気もする。副作用のリスクやそれに伴う服薬、エピペンの持ち歩きとかもあるし。
医療行為が発生すると文化、食事などではまかないきれない病気感が出てくる。
PKUは(わたしの周りは?)今まで医療行為を含むような治療があまりなかったからか、自分の病気のことをあまり病気と思っていないというか、不便なことはたくさんあるけどそういうもん。みたいに捉えている人も少なくない気がしていて、自分で何となくバランスを取ってやっている生活の中にいきなり自己注射というワードが来るとびっくりしちゃう人もいるのかもしれない。
実際わたしもパリンジックを始める時にすごい病気の人みたいじゃんと思った(笑)。
そんなことをここ数日考えていて、治療の捉え方や向き合い方っていろいろあるんだなぁとnoteにまとめたくなりました。
結局名前はどうあれ自分の生活に合わせて悪くならないことが1番!(欲を言えばよくなったり治ったりしたらもっと嬉しい!)というお話でした。