人類学/哲学あるいは神学について
2021/4/12 寄稿
樹木と霊魂
フレイザーによれば未開人のなかでは、樹木は霊魂の宿る生命体そのものとして、崇拝対象とされていました。樹木も動物などのように「生きている」ものであり、であるからして樹木を破壊することは、魂を力ずくで奪うことと等しく考えるため、木の枝を折ることもしませんでした。また、古代においても樹木崇拝が行われていた学説も豊富にあり、たとえばローマの観光地フォルム・ロマヌムでは、ロムルスの聖なるイチジクの木が、帝国時代まで崇拝され続けていました。その幹が枯れたときには、都市中が震撼したとのことです。樹木を殺すこと、とりわけココナシの木などの実のなる樹木での伐採は母親殺しと同じであり、何故ならば母親が子どもに生命を宿し栄養を与えるように、実を育てているからだといいます。¹)
また、ユングにおいても著書で「一本の木が、ある未開人の生命の大切な部分を演じることがある。その場合、木は彼のために固有のたましいと声を持っており、当人はその木と運命を分け合っていると感じている。」²)と述べています。心理療法のなかには、バウム・テストや木景療法といって、クライエントに一枚の紙に「木」を描いてもらい、そこから現在の状況を見立てて、今後の施しに活かしていこうとする技法が存在します。前述した学説と鑑みると非常に示唆的で、まさにユングやフレイザーなどの学説通りに、木は人間(魂)として投影することができて、それはともすると人々の無意識あるいは潜在意識(元型)に備わっているからこそ、心理療法などの技法として、長らく使用されている根拠の一つというふうにも、また一つの見方として捉えることができそうですね。
神という非人格者 ―シモーヌ・ヴェイユの思想からー
タイラーは、原始宗教の本質としてアニミズムといった自然崇拝から死者・呪術崇拝を経て多数教、そして最後に一神教に進化したと考察しました。³)一神教においても神は、絶対的な人格者として人々に偶像崇拝されています。完全性を持ち、全てへ愛を注ぎ、恩寵を授けます。その意味において人間は、神の似姿にほかならず被造物として実存します。哲学者シモーヌ・ヴェイユは、「人が神の存在に与かるものとなる優れた段階に高められるごとに、その人に何か非人格的な無名なものが現れる。」と述べ、更にそうした無名的沈黙が、芸術や思想、聖者における偉大な作品や行為に、反転として現出されるといいます。その意味で、神を非人格的に捉えるという逆説を唱えます。それは神が自分を放棄することで、自分を超越した人格的模範と成る逆転として考えるところに、真理があるといいます。
「実るほど、首を垂れる稲穂かな」という有名な諺がありますが、ヴェイユなりにいえば、そうした真空状態に敢えて飛び込むことで、初めてその裂け目から恩寵が入るのだというわけです。それは神を本当に愛するからこそ、人格的に想うことは借り物の崇拝にほかならないと、徹底的敬虔さで切り込んでいます。⁴) 続いてその徹底的敬虔さは、時空を越えます。「純粋に愛することは、隔たりへの同意である。自分と愛するものとの間にある隔たりを何より尊重することである。」⁵)と記述します。これは現代長期化しているコロナ禍において、極めて示唆深い考えだと私は感じます。家族が入院してしまい面会ができない、ペットが亡くなって夢の中でしか逢えない、いつも画面越しにしか見掛けることができない、国境を越えられない、トラブルで心理的距離が開いてしまった等、そこには絶対的な隔たりが存在します。しかしながら、そうした隔たりを変化させることは汚すことだとヴェイユは続けます。「汚す?これほど苦しんでいるのに…」というご感想もあがりそうです。申し訳ございません。ですがこの発想が、誠にコペルニクス的転回であり、隔たりを尊重することで、逆説的に愛を感じられることができる、と現状を受けとめるための訓えをくれているような気がしてならないのです。
シュライエルハマーの理論でいけば、彼女は神に対して依存感情を持っていたのかもしれません。1960年代の「神の死の神学」宗教運動を彼女が生きて眼差していたなら、きっと憤慨していたのかもしれません。⁶)ヴェイユは神という決して触れられない存在をストイックに愛し続け、僅か34歳で死去しました。彼女は神のところへ行けたのだろうか、と思い馳せないではいられません。身体が朽ち霊魂となり万物、否、神と同一した信仰者は、そこで初めて隔たりを解消し、愛する者へと、統合されてゆくのかもしれません。
引用文献:¹)J.G.フレイザー著、吉川信訳『金枝篇(上)』ちくま学芸文庫、p.96
²)C.G.ユング著、河合隼雄監訳『人間と象徴(上)』河出書房新社、p.57
³)小林道憲著『宗教とは何かー古代世界の神話と儀礼からー』NHKブックス、p27
⁴)シモーヌ・ヴェイユ著、渡辺秀訳『神を待ちのぞむ』春秋社、p.169
⁵)シモーヌ・ヴェイユ著、田辺保訳『重力と恩寵』ちくま学芸文庫、p.111
⁶)小野功生著『図解雑学 構造主義』ナツメ社
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