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『存在の耐えられない軽さ』のメモ

印象的な文章が多かった。一部をメモとして残しておきたい。どんなふうに印象に残ったのかは、きっとその文章を目にする時の状況によって変わるだろうから割愛する。

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人間というものはあらゆることをいきなり、しかも準備なしに生きるのである。(中略)もし人生への最初の稽古がすでに人生そのものであるなら、人生は何の価値があるのであろうか?(中略)【Einmal ist Keinmal -一度は数のうちに入らない-】と、トマーシュはドイツの諺を呟く。一度だけ起こることは、一度も起こらなかったのようなものだ。人がただ一つの人生を生きうるとすれば、それは全く生きなかったようなものなのである。

p13

トマーシュは、女と愛し合うのと、一緒に眠るのとは、全く違う二つのじょうねるであるばかりか、対立するとさえ言えるものだと言っていた。愛というものは愛し合うことを望むのではなく(この望みは数え切れないほとの多数の女と関係する)、一緒に眠ることを望むものである(この望みはただ一人の女と関係する)。

p22

この「脱いで」という言葉をサビナはトマーシュから何度も聞かされて、心の中にこびりついていた。それはトマーシュの命令であったが、今はそれをトマーシュの恋人がトマーシュの妻に向かって言った。二人の女を一つの同じ魔力的な命令文で結び付けたのである。これがトマーシュの女たちとの罪のない会話を、エロティックな状況へと思いがけず変化させる方法なのであった。(中略)なぜならば誰か見知らぬものの言うことを聞くと言うのは特ベルな狂気であり、この場合の狂気は、命令が男からなされるのではなく、女からなされただけにさらにより美しものであるからだ。

p85

ここではあらゆることがトマーシュに依存している。もしかれが彼女を捨てたら、何がここで彼女に起こるであろうか。もう一生の間、彼を失うと言う恐れの中で生きていかねばならないのであろうか?(中略)
トマーシュのところに戻る道が閉ざされるような、何かをしでかしたいと願った。自分のこの7年間の過去を手ひどく破壊したいと念じた。それはめまいであった。酔わせるような、落下への抵抗し辛い願いであった。
めまいを弱さからくる酔いと名づけることもできよう。人間が自らの弱さを意識すると、それに立ち向かおうとはせずに、むしろ服従しようとする。自分の弱さに酔いしれ、もっと弱くなりたがり、皆の見ている前で、人場の真ん中で倒れたくなり、下にいたいと欲し、したよりさらに下にいきたいと望む。

p97-99

人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。我々はある人間が主にを負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられずにその下敷きになるか、それと争い、負けるかカツ化する。しかし一体何がサビナに怒ったのであろうか?何も。一人の男と別れたかったから捨てた。それで付け回された?復讐された?いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さの出逢った。サビナに落ちてきたのはオモニではなく、存在の耐えられない軽さであった。(中略)
サビナは自分の周りに虚しさを感じた。ところで、もしこの空虚さが彼女のこれまで全ての裏切りのゴールだとしたら?

p156

媚態とは何であろうか?それは相手に性的な関係がありうると仄めかし、しかもその可能性は決して確実なものとしては現れないような態度と、おそらくいうことができるであろう。別な言い方をすれば、媚態とは保証されていない性交の約束である。

p178

たくさんの女を追いかける男の中に、我々は二つのカテゴリーを容易に見分けることができる。一方はどの女にも自分に固有の、女についての常に同じ夢を探し求める人であり、もう一方は客観的な女の世界の無限の多様性を得たいという願望に追われている人である。
この第一カテゴリーの男たちの夢中ぶりは叙情的である。彼らは女たちの中に自分自身、自分の理想を探し求め、耐えず繰り返し、繰り返し裏切られている。(中略)
第二のカテゴリーの夢中ぶりは叙事的で、女たちはそこに感動的なものを何一つ見ることがない。男は女たちの中に何ら主観的な理想を投影することはなく、全てのことが男の興味の対象であり、失望を味わうことはあり得ない。

メモ:p308-350 キッチュ-俗悪なもの-についての考察
難しくて理解できず

主なることは、どんな人間でももう一人の人間に牧歌という贈り物をもたらすことができないことである。これができるのは動物だけで、それは〈天国〉から追われていないからである。人間と犬の愛は牧歌的である。そこには衝突も、苦しみを与えるような場面もなく、そこには、発展もない。カレーニンはテレザとトマーシュを繰り返しに基づく生活で包み、同じことを二人から期待した。(中略)
人間の時間は和となってめぐることはなく、直線に剃って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れだからである。

p374

テレザはいつも心の中で、彼女をちゃんと愛していないとトマーシュのことを避難した。自分の愛は火の打ちどころのないものと見做しながら、彼の愛は単なる優しさとみなした。
今になって公平でなかったことがわかった。もし本当にトマーシュを大きな愛で愛していたら、彼と外国に留まるべきであったであろう!(中略)
テレザは彼を先へ行けば行くほどより低いところへ呼び寄せた。まるで妖精たちが村の者たちを沼地に、そこで溺れるようにと誘うかのようである。田舎へ引っ越すという約束を彼から引き出すために胃痙攣の時を利用したのである!彼女は何とずる賢いことができたのであろう!彼女を愛しているかどうか何度も何度も試すように彼を呼び寄せ、とうとう今こんなところにいるようになり、彼は髪が灰色になり疲れ切り、手はもう2度とメスを取ることもできないほど強張っていた。

p389

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