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"読ませる"技術 (『漫才過剰考察』を読んで)

M-1グランプリで初めての2連覇を成し遂げた。トップバッターに選ばれてせり上がった瞬間から、その連覇が必然である世界線に入った。そういうふうに感じさせた、令和ロマン。

令和ロマンの高比良くるまが書いた本を読んだ。ラジオも聴き始めた。ミーハーであると自覚しながら、これは僕だけではないはずだとも思いながら。

この本は"読ませる"。語り口が平易で鮮やかなのである。僕たちがうっすらと気になっていることを深く考察し、それをわかりやすく噛み砕いた上に「新説の発見」みたいな刺激も味わせてくれる。読書の醍醐味が詰まっている。

"読ませる"技術は、当然、"魅せる"技術にも通じている。「"読ませる"のがうまい」と評しながらnoteを書く僕は、さながら「令和ロマンの技術が高い」とわかりながら漫才で闘うM-1戦士だ。同じ土俵に立ちながら、ルールを変え、目線をずらす必要性を強く感じる。非常におこがましいけど、勝手に同情している。

一見わかりやすい本書ではあるが、ちゃんと読まないと「わからないところ」もある。

新M-1って2015〜2018と2019〜2023の2つに分けられるんじゃないか。芸人同士で技術を高め合う時代と、その技術に見慣れた観客との闘いの時代

漫才過剰考察 p28

と言われたら、なるほどと思う。この解説のもとでもう一度M-1を見返したいとも思うだろう。では、これを『「あるある」と「ないない」の時代に分けられる』などと説明されたら理解できるだろうか。僕は「もう少しわかりやすく教えてください」と言いたくなる。

先生になっているのだ。
漫才には言語化されて確立された道がない(たぶん)。比較対象がない中で、初めて「見方」を確立されたら、もうそのようにしか見れなくなる。すくなくとも僕たちシロウトは簡単に影響を受ける。

その気になれば、「見方」=「世界」を染める力を持ち、それを知っているからか、本書では何度も繰り返し『おれはM-1のためになにができるんだろう』 と述べる。利他の精神を見せてくる。

能ある鷹は爪を隠す。
僕たちはいつも見えない爪に捕えられている。
本書は、その爪の一部を見せてくれているようだ。そうやって夢中になっているうちに、いつの間にか捕獲されている。面白さと悪寒を感じる本であった。

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Nomura Keisuke
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