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自分を許さないと人のことは許せない

こんにちは。のもとです。「誰でも全力でやれば80点の人生にはなれるよ」をモットーに自分自身の思考や行動をこちらのnoteで発信しています。

今日は「許す」ということについてお話したいと思います。
結論からいうとタイトル通り「自分を許さないと人のことは許せない」のが人間だと思っています。

「自分」というと抽象的ですが、おススメしているのが「過去の自分のやってしまった!な事件」を許すということです。
ちょっと考えてみて下さい。
ぱっと思い浮かべられることは、まだまだ序の口な事件で、10個くらい思い出していくと「人には言えない」棺桶まで持って行きたいことがひとつやふたつあるものです(笑)

実は私はずっと母親に対しての謝りたかった大きな事件がありました。
その名も「子犬を盗んだのは私です事件」です。

私が小学校の時に仲良し何人かの女子グループで登下校していたのですが、登下校の道の途中にある一軒家があり、その庭に真っ白な大きな犬が飼われていました。
下校の時はフェンスから顔を出しているその犬をなでたり、時には飼い主の方に庭に入れてもらって、その犬と遊ばせてもらったり、おやつを貰ったりしていました。

そんな時、この真っ白い犬が子犬を4・5匹出産したのです。

真っ白い子犬が何匹も庭でポツポツ歩いている姿はとても可愛く、私たちは毎日の下校を楽しみにしていました。

そんな時ある友達が「ねえ、お散歩に連れて行ってあげない?」と言い出したのです。
普通に考えればそんなの非常識なのですが「それ最高!」となぜか私達女子グループはテンション爆上がりで、急いで家に帰り、自転車でまたその子犬たちのところに戻り、そのうちの一匹を自転車のカゴにいれて
近くの大きな公園に散歩に連れ出したのです。

もう、すでに盗難です。

その日はその子犬と夕方まで沢山遊んで、帰宅の時間になりました。
その時、また別の女の子が「ねえ、段ボールにいれて、私達でここで飼おうよ!」と言い出しました。
更に非常識な提案が続いたわけですが、私達女子グループはさらにテンション爆上がりで「いいねー!」と言って、段ボールに子犬をいれ、誰かが家から持ってきた食パンも添えて。
なんと公園の隅っこに放置して帰宅してしまったのでした。

当たり前ですが、次の日子犬はいなくなっていました。
涙目になって探しましたが、子犬はいません。
私達女子グループのテンションは爆下がりで、しょんぼり家に帰ったのを覚えています。

それから数日たって、少し私達女子グループのテンションも戻りつつあった頃です。
その飼い主の方が、なんと私の家のインターホンを鳴らしたのです。

下校途中で立ち寄る家なので、私の名前もちゃんと知らないだろうし(ただ、子供たちが会話していたらわかるかも)、家の場所もなぜわかったのでしょうか。
とにかく女子グループの女の子が何人かいたはずなのに私の家だけを探し当ててやってきたのです。

その時の緊張は今でも覚えています。
母が玄関にでて、事情を聞いているようでした。
「本人に聞いてからまたご連絡します。」と飼い主の人から母が電話番号を預かっていたのを居間からこっそり覗いていた私には見えました。

飼い主の人が帰った後、母は怒る訳でもなく「こんな話なんだけど、何か知っている?」と聞かれました。
怒られると思ったのに、怒らずにまっすぐ私の目をみて質問されたのが逆にとてつもなく恐ろしかったのを覚えています。
「知らない、私は知らない」と小学生の私は、なんとシラを切ったのです。

母は「そうなんだ」と言って、手元のメモを見ながら電話をしていました「うちの子は知らないようです」と。

それから数日、女子グループの友達にも共有してみんなで口裏を合わせてドキドキしていましたが、私の家以外には来ていないようでした。
ああ、もうあきらめてくれたのかなと思った一週間後くらいのことです。
なんとその飼い主の方は再度我が家を訪れたのです。

一回目とは違い、玄関先でもめているようでした。
近所の人が自転車で走っていくのを見たとかそんな言葉も聞こえました。
どうやら、その子犬たちは数日後にペットショップに引き取られる予定だという言葉も聞こえました。
そして、私と直接話したいと言っているのも聞こえました。

私の心臓はドキドキしすぎて身体から飛び出るかと思ったくらいです。
そして、母は「ちょっと待ってください」と言って、居間に入ってきて、私に「こないだの子犬の件だけど、何にも知らない?」と言いました。
私は「知らない、絶対に知らない」と強く言い張りました。

でも今、大人になって。わかるんです。
大人から見たら子供が嘘をついているのなんてお見通しだったはずです。

母は怒る様子もなく「わかった、玄関に出てきちゃだめよ」と言って玄関に戻りました。
「うちの子はやってないし、知らないそうです。」ときっぱりと言う声はいつもより声が大きく、居間で涙目になっている私の耳にも届きました。

結局、その飼い主の人は帰っていきました。
居間に戻ってきた母は「あらら、夕飯が遅くなっちゃった」と独り言を言って、そのまま私には何も言いませんでした。
普通に夕飯を家族で食べて。
普通にお風呂に入って。
普通にお布団に入りました。

母は何も言わずにいつも通り、あまりにもいつも通りで夢だったのかと思うくらいでした。

それから中学生になり反抗期になっても。
高校生になってギャルになっても。
大学生になって朝帰りしても。

まあ、昔のことを持ち出して私を責めるタイミングは山のようにありましたが。

母が、一切このことを口に出すことはありませんでした。

ここまでの長い、いや長すぎる事件説明をお読み頂きありがとうございます。
今日のテーマは「自分を許す」ということでしたね。

なぜ、この「子犬盗んだのは私です事件の話」を詳細に語るかと言うと、実はこれが私の人生でずっとモヤモヤしていたこと。
自分自身を許せなかったことだったのです。

そして、今なぜこの話をインターネットに乗せて皆さんに大公開できるかと言うと。
32歳の時に泣いて母親に告白したのです(笑)

もう結婚もして2人の子供の母にもなって、離婚もして。
こんな思い出よりももっと親を苦しめることや悩ませることもしただろうに(いや確実にしている)。

30歳を超えても私が私自身を許せないことNO1として君臨し続けたこの話を(話してみて、初めてこれがNO1だったのだと自覚したのですが)

ある週末、実家に泊まっていた時でした。
息子たちは先に寝ていて、母と2人で晩酌しながら昔の思い出から子育ての話になった時。
ついに私はこの話を母に言って、「あの時、犬盗んだの私なの。友達たちとみんなで自転車のカゴにいれて誘拐したの」と告白しました。

告白しながらポロポロ涙が流れました(アルコールも入っていました)。
離婚報告の時にはあまり出なかった涙が、「これでもか!」ってくらい流れました。

母はしばらく考え込んで、「ああ、そんなことよく覚えてるわね!笑」と笑っていました。
母の笑っている顔をみるとさらに泣けました。

行動としては母に本当のことを告げて、「母に許しをこう」というものなのですが、これが私が私自身を許せた瞬間だったと思います。

子育てに関しても
仕事に関しても
友人に対しても

完璧な人はいないよね。
きっとみんな「ノリで言っちゃうこと」「たまたまやっちゃうこと」ってあるよね。
って意識しないで思えるようになりました。

それまでは「私がこんなにやってるのに、なんであの先輩仕事しないんですか!」的なストイックな自分を全面に出して仕事でも先輩をバシバシ責め立てる人間でした。

不思議ですね。
自分を許したら、そういう気持ちってなくなるんですよね。
なくなるっていうか、意味ないなって思うのです。

それが32歳の時でした。

なので、心の底から怒るという、怒りが継続する(恨む)ということはそこからほぼゼロに近く、なくなりました。
相変わらず物言いはハッキリしていて毒舌と言われがちですが、本当に怒っていたら言葉にはできませんからね(笑)
短期的には激怒しますが、3日も続かないようになりました(基本、寝たら忘れます)。

だから、この話も人に話せるようになりました。

愚かな自分を発見して、それにちゃんと向き合えた時、人にもちゃんと向き合えるようになるんだよっていう、おばちゃん、のもとの思い出話です。

追伸:この話をしたら、男友達が「俺もずっと嫁に言ってないことがある。実は浮気を・・・(文字数)」と私に暴露し始めましたが、これは全く違います。自分自身がスッキリしたいだけで、その行動は相手を不快にしてしまうからです。ここだけは、間違えないように!笑

でも、その相手には言えないことでも言語化すると自分を許せることってあるかもしれませんね。
もし言語化する相手がいないという方は私が1ON1の相手になりますよ。過去をほじくり返される、しんどい時間にはなりますが(笑)


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