「言葉」について
こんにちは。
「言葉」を扱った記事はあの詩人の3人の故郷を訪れてから、ひっかかることがありました。これまでは「この人たち」の言葉についてでした。では、今度は「私」のはなんだと。せっかく見聞録で彼らの故郷や生き方についてを自分の足で見てきた、ならそれで終わってしまってもいいのかなと疑問になりました。それもありなのかもしれないけど、それじゃつまらないなと間髪入れずに一蹴しました。それで、終わるわけもなく、ならこの旅からの事を纏めたい思い立ちました。
「言葉」ってなに?
子どもみたいな質問かもしれませんが、これを明確にこうであるって断言できる納得の形、ありますか?私はそれを確認してみたくて今回の訪問を企てたんだと思います。なので、これは私の得た解の一部です。
本を正順に読んでいくのと、その作者の過去や価値観、想いなどを知った上で読んでいくの、ぱらっと開いたところの感じ方は単に文字を読むのとでは随分変わってきます。
何処にも行かず、ひたすら本とその内容の把握で十分と思っていた時より、作者に意識が向くようになったのはとてもとても最近の事です。
その発想に至ったきっかけになったのは、やはり文豪の生まれ故郷やその記念館をこの目で実際に見てきたからではないかなと思います。訪問した後、作者関連作品の本を読む際に「あれ、もしかしてこれって。」と行く前ではなかった疑問や、新しい視点が頭の中に浮かんできました。そして、新しい解釈が少しずつ貯蓄されてきました。今までの小説も、ただ物語を読み進めていくというよりも作者にはなにかしらの心の意図やメッセージがあってこういう風に書いているのではないかなと注意するようになりました。そのバリエーションが増えたという感じがします。
初めて白秋の故郷を訪問しようと思った時は、どういう生活や街の中で育ったのだろうかという気持ちが大きかった、と思います、多分。実際に街を知って、歩いて、風景の輪郭を記憶して、向こうのお人らと話して、話し手さんの熱意や想いを貰って、それにしんしんと影響されている自分がいてちょっと新感覚でした。
見聞録の記事は萩原朔太郎、室生犀星、北原白秋の詩人と、今回の事からは少々外れますが、小泉八雲のこの国の怪談や神話に纏わる故郷をそれぞれに訪れました。萩原は群馬、室生は石川、北原は福岡、小泉は島根とまあ全然場所が違うところでした。その内の3人が「詩」という形で関連しています。白秋は亡くなる間際にぼそっと「(犀星と朔太郎は)ちすじをひくには間違いない」と言い切ったのも、本当にその通りだったと思います。直接的にそれを本人らに伝える事はありませんでしたが、白秋本人は静かにその自信を湛えていたのやもしれません。
また、八雲の生前の日本を知ろうとしてくれた本当に緻密な記録やもっと良くなるように願って遺してくれた物の数々は読むの大変だけの面白くて脱帽でした。さすが、せんせい、でした。
日本やその古い文化についてのことはまた別の機会で纏めたものを投稿できればいいなと思います。
さて、言葉って何かという今回についてですが、今回はこの「詩人」たちと、作品の総じてこうなのかなと思う事です。一言で表わしたら、こうなのかなと思うのを並べていきます。
言葉は
武器。
生物。
糸。
世界。
現。
心(思考、感情、感覚、直感)の一部。
と、いったものをつらつら思い浮かべました。
武器、と思った点は主に2点です。一つは「文アル」で形成されている刃、鞭、弓、銃からの着想です。あれ、武器によって小説だったり、詩歌であったりに分類されているんだそうです。ちなみに、刃は純文学、鞭は大衆文学、弓は自然主義の純文学、銃は詩歌に分類されています。個人的には鞭は論文系で弓は随筆ぽいなと思うのですが、そういうのも含めてこういう分けられ方をしているのかもしれません。
でも、その性質は一つではないということで「指輪」というシステムで、もう一個この人はこういう面もありますよというのが表されています。
そして、それは実際の史実でも関連してました。一例ですが、詩歌で有名になった人が小説を書いていたり、随筆を出したり、社会運動家になっていたり、その逆であったりと様々でした。
本人たちの過去と武器の形が紐づいているのが興味深かったです。これらの武器で攻撃を、もとい刺激を受けた時の印象の感じ方は、それぞれによく当てはまっているのではないでしょうか。刃物なら、切り裂いたり突き刺さったり、鞭なら表面を叩いたり掠めたり、銃は撃ち止めたり貫通したり、弓は射止めたりというように、しいて言い方を変えるなら「仕留め方」と感じます。私の武器はどれになるのかしら。ちょっとだけ、現実離れしてみても面白いですよね。
もう一点は、言葉の使い方による凶暴性です。よく聞くのではないでしょうか。「言葉は人を傷つける」とか「言葉は刃」だとか。私も言葉にはそういう一面もあると考えます。後は使い方次第、って所もあるでしょう。
物質的にだれでも使うものを喩えとするなら「鋏」かなという気がします。裁断や開封、剪定の為に使えば、用途を適切に使用すれば、害のあるものではありません。(多少、傷つかないようにの注意はいりますが)
残念なことに、悪用すれば人を傷つけたり、脅したりも可能な物です。けれども、大概は鋏を凶器とは言わないのではないでしょうか。購入の際に特別な許可書を出せとか言われないのではないでしょうか。海外だと銃を購入の際、ライセンスを必要とするお店もあります。
根底として、鋏とは前記のようにして扱う物として誰もが周知と了解がされている前提だからと思います。言葉も同じでは、と思います。朔太郎の記事で白秋が寄贈文を贈った時に香水を塗って自分自身に向けた剃刀と言ったのもその一端かもしれません。
同様に、言葉にも施す面、傷つける面とを持っています。じゃあ、使わなければいいのでは、黙っていたら問題無いのと同じでいいんじゃないかってなるでしょうか。そういうことにはならないでしょう。伝えるという事は、場合によってはどちらの側面も一度に受けることもあります。こんな風に見えてはないけど、影響を与える点がどこかにあるような感じがされます。
「言わなくてもわかるでしょう?」という空気感あると、「ごめん。わからないから言ってくれる?」という返しになってしまいます。本当にわからないからです。少し、話からは逸れますが、私の伝える時の心持としてはこの歌詞のように即している気がします。
逢った事のない時間はどう頑張ったって埋まらない。過ぎ去ってしまったものだから、その通りだと思います。けれども、相手の見てる世界に関心を持つ事、お互いの言葉を介して埋めていくとそれを超えることもあるのではと静かに想っています。それは願うだけじゃなくて、行動も伴う必要もある事です。たくさん、伝え合うのを大事にしたいですね。私は受信力が乏しい面があります。なので、聴く方の力も心して聴いていくことも大事という新たな課題も見つかりました。本当に傾聴の方が弱い気がします。
ちなみに、予期せず傷つけてしまったかもしれないと思うと私は物凄く不安になって言わなければよかったのかななど、あれやこれや心配してたまにメンタルがぶれまくります。だいたい、葛藤しています。ずっともやもやします。時間が掛かりますがなんとか、平常に戻ったら(戻っていなくても)「次をどうしようか。」を考えます。
世界と思ったのは、本を読むとき、なぞるときに頭の中にそれを表すものが浮かんだり、頭に引っかかったり、すーっとひっぱられたりするように思われるからです。「太陽と月と星」をイメージした時、音でも、文字でもいいです。誰もが連想する質感や、色合いや温度感は全く違うものではないでしょうか。そして、その言葉から作った貴方だけの変幻自在の世界です。それは生き物も生まれると思います。
裁縫や衣装を作る業、糸って一点じゃなくて継ぎ目を使って連続しているから、それが似ているように思われました。
心という点では、少数制で子どもに教える講師(学校の先生ではないです)をしていた時、退職の際のお別れに、大好きを全力でタックルで突撃かましてくれたり、先生が良かったと言って足にしがみつかれたりと子どもたちからのいろんな愛情表現も骨身に沁みました。あとは、お手紙を読んでいると一生懸命書いてくれていた時の「現在」と今を行動を頑張っている「現在」が重なる事、その時の心が文字の中に詰まっているのがいとほしいとも、伝播してきます。
どの記念館へ行っても、必ずと言っていいほど、手紙は展示されていました。その中には「貴方を想っていますよ」という意図が文章に沁み込んでいました。その想いがとても美しいと感じました。多少、狂喜が含まれていても、なんていうか詩人だから、彼らの語彙の中からこういう表現もありかとさえ納得します。(朔太郎の恋文みるとよくわかるかと)
彼らも実際に交流があったからこそ、相手に元気で居る事を祈ったり、お互いを良くしたいからこうしてみないかと嘆願したりして言葉を交わしていたのでしょう。
白秋を起点にこれまであまり触れてこなかった「詩」というものを知りました。人物同士の関連性、故郷の想い入れ、物に遺された相関、手紙の記録などを記念館などを訪れて見聞きすることができました。また、それぞれの故郷で自分が経験することがなかったであろうことを吸収させていただきました。独りで練り歩いて得られた面も、友人でも対象の文豪を知る人、知らない人と巡る事でも思わぬ知見を貰いました。とても面白くありがたいことでした。
現在、記念館で働かれている方々も、記念館やその文豪をもっとよく知ってほしい、良くしたいというお気持ちや、この詩人にはこういう面もあったし、こういう作品やエピソードもあるというご助言にもとても感銘を受けました。温かかったです。
白秋「君は僕の解とやらがわかったというのかい?」
私「さあ。それは、貴方にしか分からないでしょう。でも、こうではないかなという、心当たりは掴んだ気がします。」
白秋「ほう?では、聴かせてくれ給えよ。」
私「いえいえ。そんな大それたものではないけど。貴方の言葉は、誰よりもこの国の子どもたちの為になっていったのではないでしょうか。」
白秋「なぜ?」
私「貴方の小唄集には、我が国の言葉を残さなくてはならない、という文面を垣間見ました。そして、ご自身のお子さんができた時、かれらの話す「あー」や「うー」と発する声を愛おしく思われた。詩や童謡を創るのに、子どもたちの自然に発せられる言葉こそ音楽と言われていたのを見かけました。それで「音楽」という点から決別も幾度もあったかと思います。これまでの自分の幼少のころや学生の時分のころを懐古し、これからの子という未来を案じられ大切になさりたいように、私は感じました。」
白秋「ふむ。」
私「違っても分からないけど、私と貴方の文章が近かったのって根本に「子どもたち」という見方があるからなのかなって思います。」
白秋「おもしろい見方だね。」
私「光栄です。」
白秋「それで、君は何を望むんだい?」
私「まだ望みってほど高尚な答えは持ち合わせていません。貴方のような詩人でもないですからね。ただ、私は何者でもないから、何者でもないなりにできるをしたいなって思っています。」
白秋「そうかい。では、それを僕らは見てゐようじゃないか。」
私「ぼくら?」
白秋「嗚呼。君も早く見つけ給え。これからの機織。」
私「機織。」
白秋「君の使っているその機械はそんな音がするじゃないか。」
私「思いませんでした。」
白秋「まあ、頑張り給え。」
??「Do your stuff, dear. You are on your way, like me.」
私「!?!?」
笑った白秋には親とも子どもとも言えるような色のついた笑顔だった。
そして、どこか懐かしい奥様のような声も何処からともなく背中を押してくれたような気がしました。
文アルで白秋は「どんな言葉も僕の物」「僕は北原白秋だ。どんな時も北原白秋として言葉に向かい合うよ。」というセリフがあります。確かに、彼の織りなした言葉は「北原白秋」のものです。
でも、これまで書いた私の言葉は「私の言葉」です。私だけというよりも、これまで読んできた、見てきた、聴いてきた、これまでの出逢って私に記憶された心からなりつつあるモノです。忘れてしまった部分も捨ててしまった部分もあるけど、それも含めて今の私の言葉です。意志です。
私は私の言葉を、自分なりの形で子どもたちのこれからの一部になるようになったら幸いです。不安な事も分からないこと、など対処に困って目の前にすると言葉が出なかったり固まってしまったりしまいます。
言葉も旅も、これからも続けられるまで続けて磨いていくようにいろいろ勉強していこうと思います。私は私で、それ以外の何者でもないと胸を張って生きられるように。見聞して、自分の生き方にしていけるように心がけたいです。
「生き方探し」という言葉をくれた人のおかげで、自分はこうあれたらいいのかなという形がぼんやり浮かんできた気がします。その名称をくれた人にも、自分を想って描いてくださったサムネなどに恥じないように前を向いていられるように心掛けてあろうと想います。
「いつかの頂上 変わってく状況 それでも上等 超える理想像」
で向き合っていきます。打たれ弱いし臆病で、怖いこと、理解できなくてフリーズもしちゃうだろうなという気がします。でも、折れません。磨いていこうって思っています。
白秋も犀星も朔太郎も、まだまだ知らない文豪もそうやって、関係と言葉で「こうあろう」と自分の覚悟を決めながら言葉を鍛え上げていったのかもしれません。
まだまだ気になる文豪についての記念館は行ってみたいし、知りたいところもありますので、今回のこれが全てということではありません。また、何かの御縁があれば飛んでいくかもしれません。もっと言葉についても、想いについても、まだまだ未熟ですが、たくさんそういう残していったメッセージを記憶してたらと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
どうか、皆さんの「よりよい」在り方の一端になれましたら、幸いです。
もう一度だけ同じことを、貴方に訊きます。
「言葉」ってなんですか?
それと、どのように向き合っていきたいと思われてますか?
補足というほどでもないですが、与太話
命名「ついて」シリーズは実体験やそれに纏わる考察とか資料やデータなんかを自分なりに記録した記事、「見聞録」はもう名前のまんまですが、思考というよりはそれ以外の感覚や感情、直感の部分を覚えている限りを凝縮した記事です。
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