仏教的信仰心を持って
『スッタニパータ』を読んでいる。現代の仏教学的には最古の経典とされる、現状「仏教の原点」と呼んでも良い経典である。因みに、光文社古典新訳文庫版を読んでいる。だが、正直この難解さには頭を抱えている。翻訳は素晴らしく、非常にわかりやすい。原文も恐らく文章的には然程難しく無いのだろうと想像が付く。だがあまりにも単純過ぎて私には難解なのである。
誤解を恐れずに私の言葉を用いると、この『スッタニパータ』に書いてある事は涅槃論であり、スッタニパータに於いて称賛されている人物像や行為は極めて神秘的、理想的、逆に言えば、非現実的なものに感じられる。つまり、涅槃の非現実さに触れている様なもので、非常に混乱する。この文章に触れて、「こんな事簡単やんか」と言える様な人は恐らく仏教を必要とする事がそもそも無い人であろう。
ただ、一つ私の中で気に入った理論も編み出せた。そんな難解さのある仏教思想であるが、それでも仏教の思想の奥底には救いがあると信じる事が、即ち仏教的信仰心なのではないかと云う事だ。仏教的信仰心とは何も神や仏に対して祈る心では無くて、仏説、或いは仏法、現代的な表現をすれば仏教思想に対して真摯に向き合う、根気を伴った心の事を言うのではないか。
『スッタニパータ』は、まだようやく折返し地点が見えて来た所だ。後半はどうなるのだろうか。今は例のスーパーのイートインに居るが、そろそろ帰らなくてはならない為、今日の読書はここまでにする。
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