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近江から東京まで歩く八日目 湖西市〜浜松 24/10/09

朝目が覚めて、カーテンを開ければ浜名湖に浮かぶ朝陽が拝めるかと思ったが、予想は外れて、不安になるぐらいの大雨が降っていた。当然朝陽の姿は無かった。そうなると当然、今日はどのようにして歩こうか、という検討になる。昨日と同じく今日も短目の行程の予定ではあったが、雨がこうもザアザア降っていると気軽には歩けない。とは言え歩かなくては埒が明かないので、父親と相談をし、出発時間を少しだけ遅らせてから歩く事にした。今日の目的地はいよいよ遠州浜松である。先にも述べたように距離はそれ程長くはない。雨が降っていても、荷物が重くても、何とか辿り着けるという望みはあった。なお、昨日は20km程しか歩いていないし、早々に宿へ着いてその後もかなり落ち着いた時間を過ごしていたので、足の疲れはかなり癒えていた。その点ではかなり気持ちが楽であった。

外へ出てみると、昨日天気予報で言われていたように、確かに気温は低い。風が吹くと、今季初めて「寒い」という単語を思い浮かべた程であった。されど当然雨は止まず、故に何かと湿度は高く、ジメジメして、とても爽やかとは言えなかった。私は本当は、歩きながら綺麗な浜名湖を眺めたかったのである。しかしその望みはとても叶わなかった。浜名湖は綺麗どころか霞んでいたし、美しさに感動するというより、湖岸の道を歩いている時は寧ろ落下を心配するぐらいの有様で、雨天歩き特有の妙な緊張感が普段よりも強かった。浜名湖が見えなくて悲しいという以前に、そもそも歩いていてあまり楽しくなかった。緊張と戦いながらの厳しい道程であった。勿論疲弊も強かった。

必死に歩いていたらいつの間にか浜松市に入っていて、その西側にあるイオンモールが近付いてきた。疲れた心身を癒やすべく、ここのフードコートで休憩をしようという話になった。スタミナを回復させるべく、豚丼の大盛りを食べた。そして、豚丼も食べ終わり、もう少し足を休めようと思いながら「平家物語」を読んでいると、フードコートの窓の外が徐々に明るくなってきた。もしや、と思った。そう思っている内にもっともっと明るくなっていった。読書を止めて、再び歩き出そうと思った。そして、イオンモールの出口に近付くと、外から涼しい風が入ってきた。遂に来た、と思った。外の空気はカラリと乾き、そよ風は冷たい風を運び、何より、青空の下の街は穏やかであった。雨雲が去った後の街は、雰囲気がガラリと変わっていた。私は、この旅行のこれからが楽しみになった。本当に東京まで歩けるのだろうかという不安は薄くなった。それよりも、秋めく東京の街を夢に見た。もっともっと、歩く。そう決意させてくれたのは、この秋の盛りの空気であった。

どんどん歩いていると、どんどん街並みが立派になってゆく。浜松の街は、私の期待をどんどん上回った。大きな交差点もあったし、遠鉄バスも何台も通っていた。そしていよいよ、浜松駅前の大通りに差し掛かった。この旅では数々の都市に訪れたが、名古屋市の熱田を含めたこれまでの街の中で、浜松のこの大通りは一番の賑わいを見せているのではないかと思った。人が何人も歩いていた。店は絶え間なく続いていた。そんな大きな街を、秋風は吹き抜けていった。駅の東側にある今日の宿に着いた時、ふと、その大都会の姿を写真に撮っていないという事に気が付いた。今日は前半は疲弊したが、後半はかなり調子良く歩けたので、まだまだ元気が残っており、折角の浜松の街であるから、写真を撮りながらフラフラと散策をしてみようかと考えた。

そうして、夕方の浜松の街を再び歩き出した。街は丁度帰宅中の人々で溢れていた。浜松駅前の大きなロータリーからは「entetsu」の看板が見えた。そして、街のいたる所から「遠州○○」といった文字が見えた。ここは静岡と言うと不適切である。浜松は、遠州の大都会である。私が浜松の人間であれば、我は遠州人ぞという気概があっただろうと思う。夕方であるから当然、酒場の明かりも灯っていた。この街は、生きている。いつか、この街に長期間滞在したいと思った。そして、この街の色々な人と話をしたいと思った。この賑やかな街の事をもっと知りたいと思った。涼しいというより、ややひんやりした風の吹き抜ける浜松の街には、今日の確かな暖かさがあった。

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