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近江から東京まで歩く十日目 掛川〜小夜の中山〜藤枝 24/10/11

掛川から藤枝までの行程である今日は、その距離の短さからも、比較的気楽な行程になるのではないかと考えていた。そこで父親と呑気に「掛川のお茶畑でも見ながら歩きたい」という話をしていた。その上で「ならば、ゆっくりお茶畑が見れるように、国道一号線ではなくて旧東海道を通ろう」という話になった。これが、今日の過酷な行程の始まりであった。事任(ことのまま)八幡宮という社の側から旧東海道が伸びていたので「ではここから入ろう」という事になったのであるが、その30秒後には、その判断を後悔したのであった。なんとその道は傾斜が最大で30度程もありそうな急な山道だったのである。これはマズいと思い父親に「引き返して一号線で行こう」と言ったのであるが、父親は「少しずつ登ろう」という。これまでにも何度も思った事であるが、私よりも父親の方が体力も気力も上なのではないか。

少し登れば後は緩やかだろうと思ったが、中々傾斜が緩やかにならない。これは今夜は筋肉痛が物凄いだろうと苦笑いした。そもそも、私はただ歩くのならば人よりも長い距離を歩けるが、山道は大の苦手なのである。肺が弱いのも災いして、あっという間に息が切れた。当然重い荷物は尚重く感じた。あと少しこの急斜面が続けばふくらはぎが切れてしまうだろうと思った。と、そういう事を思っていたら、なんとか、木々が茂って薄暗い坂道から、青空の広がる山の上へ出てきたのであった。一歩一歩進む毎に空が開けてゆく。そして更に、次第にお茶畑の広がる台地にも出てきた。辺りを見渡すと、周辺の山の頂上があまり高い位置に見えない。いつの間にかかなり高い場所までやって来たようであった。

この峠道は、小夜の中山、と呼ばれているらしい。坂道はあまりにも急であったが、意外にも観光案内は充実していて、小夜の中山の名前の由来等もしっかり説明されていた。芭蕉の句碑も多数あった。それらの案内によると、どうやら、この峠は鈴鹿峠や箱根の峠と並ぶ東海道の難所であるらしい。そんな難所に足を運ぶとは全く考えていなかったので、驚きや困惑というより、予想外の事が起こる旅の面白さというか、これぞ冒険というその状態が、私に明らかな非日常を与えたのであった。一面緑のお茶畑はどれも綺麗に整備されていて、空気は爽やかであり、広い空は何時までも続いた。私は、この道は確かに過酷であったが、この道を歩けてよかったと思った。これでまた、旅の思い出話が増えたと思った。幸いな事に今日は移動の総距離自体はそこまで長くないので、その坂道で堪えた足がその後金谷、島田、と越えてゆくのに不自由する事は無かった。

夕方に着いた藤枝の街は、パッと歩いてみた感じでは、静岡市の衛星都市なのだろうなぁ、という感想を抱かせるものであった。マンションも何軒もあったし、飲み屋の何軒もある。夕方の時間であったので、道路の交通量も多かった。今日の行程を以て、遂に、駿州へ足を踏み入れた。十日目で、ここまで来た。予想外で過酷な行程であったので、今日も夜はぐっすり眠れるだろうと思う。勿論マッサージはしなくてはならないし、湿布もしっかり貼らねばならない。何より、高揚しがちな心を抑えなくてはならないと思う。旅の途中というものは何だかんだで緊張しがちであるし、ちょっとしたきっかけで気分が高揚してしまう。これから食事をして、マッサージもして、後はYouTubeの動画でも眺めつつ、寝たいと思う。

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