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【エッセイ】「必ず春はやって来る」

 かゆいところをくのって気持ちいいですよね。
 でも、掻き過ぎると赤くなったりヒリヒリしたりして、挙句の果てには出血しちゃったりして。
 そうなってしまったら、安静にしておくしかないですよね。

 それを四季になぞらえてみます。

春 
痒みが出てきて掻き始める。

夏 
一心不乱に掻きまくる。

秋 
痒くなくなって一安心……。
だけど掻き過ぎて出血しちゃったり。


安静にして治るのを待つ。


 こんな感じでしょうか。
 このように考えると、様々な物事を四季で捉えることができます。


 『書く』は『掻く』に由来しています。
 昔は石や木をカリカリ削って物事を記しました。つまり『掻くこと』が『書くこと』だったわけです。
 だからというわけではありませんが、文章を『書く』ことも四季で捉えることができるように感じます。

 春は書き始め。アイディアがポコポコ生まれます。

 夏は書きたいことがいっぱい。書くことが楽しくて仕方なくて。

 秋になると今までの疲れが出てきて、書けなくなってきて……。

 そうなると冬が到来。書くのをやめてゆっくり休み、春を待ちます。


 個人的見解ですが、『文章を書く』という意味において、『書く』は『掻く』だけではない気がします。
 心を『欠く』ことになりながらも『書く』行為をしてしまうこと。
 そうせざるを得ない状況になること。

 そのような経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 書くことを一生懸命すればするほど、心も削れていくように感じる経験を。

 私は『文章を書く』には『欠く』も含まれているように感じるのです。

 『欠く』ことは自分の方向性を見失うことにもつながり得ます。
 心を掻き削るのが自分自身ではなく、他者の言動や行為だったりする場合は尚更です。 
 それが原因で心を大きく欠いてしまうことだってあります。
 心を大きく欠いた状態で無理して書こうとすると、心がさらに削り取られてしまうことにもなりかねません。

 休むことも必要です。
 休んでじっくり栄養を溜め込むことも、とても大事なことです。

 好きなことをしたり、旅行に行ったり、ゆっくり空を見上げたり、穏やかに周りを見てみたり……。

 そうしていくと心が膨らんできます。
 心が『張る』ようになってきます。
 十分に張ってくると、なんだかむず痒くなってきます。
 痒くて痒くてたまらなくなって、どうしようもなくなって心を掻いたとき、固い殻が欠けて、つぼみが開き始めます。

 それが『春』の到来です。


 人間は機械ではありません。
 誰だって心が病み、傷つき、自分を見失うことがあります。
 そんな時は心をリフレッシュさせ、自分を見つめ直し、初心を思い出すことが大切です。

 自分は何をしたいのか。
 書いて何を表したいのか。
 人に何を伝えたいのか。
 なぜ自分は書きたいのか。

 文を書いたり、絵を描いたりして、何かを表現したい人は、心に妄想ならぬ『妄臓』、想像ならぬ『想臓』を持っているような気がします。
 ふとした瞬間に妄想せずにはいられない、想像せずにはいられない、心の『臓器』です。
 しかし、心身が衰弱するとその働きは鈍ります。
 時には停止してしまうことも。
 そんな時はゆっくり休んで、心身共に健康な状態を取り戻します。
 そうすれば、それらの臓器は復活の春を迎え、また『創造』を生み始めるのです。

 冬は誰にでも訪れます。

 でもその後には新しい春が待っています。

 明けない夜がないように、春が来ない冬もないのですから。




足元を見て
前を見て
一生懸命走る姿
誰が何と言おうとも
まぶしいくらいカッコいい

でもずっとずっと
走っていると
どこにいるのか
何しているのか
わからなくなるときが
訪れたりする

そんな時は
立ち止まろう
青い空を
見上げよう
周りをぐるっと
見てみよう

いつも君の周りには
大きな世界が広がってるよ

いつも応援してくれる
大切な人がそばにいるよ

必ず春は
やってくるよ



こちらに参加させて頂きました。
よろしくお願い致します🙇


#第2回灯火杯

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