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【エッセイ】自己肯定と色彩〜色が輝いて見えるとき〜
トマトは赤以外の色素を吸収しているから赤く見える。赤の光だけを反射しているから赤く見える。
色相環で反対にある色を『補色』と言う。
下の図を見ると、赤の反対側にあるのは青緑。青緑を吸収するから赤に見える。
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青緑(シアン)は赤の光を吸収する。
赤紫(マゼンタ)は緑の光を吸収する。
黄色は青い光を吸収する。
色の三原色と光の三原色はお互いが補色関係になる。
裏を返せばこうも言える。
青緑があるから赤は輝く。
赤紫があるから緑が輝く。
黄色があるから青が輝く。
人間の感情も同じ。
例えば、喜びと悲しみ。
悲しみが溢れると喜びは吸収される。
喜びが大きくなれば悲しみは鳴りを潜める。
喜びが薄くなれば悲しみが現れ、悲しみが薄れれば喜びが顔を出す。
悲しみがあるから喜びは輝く。
対極にある感情は『補色』なのかもしれない。
白と黒は反対色だが、補色ではない。
白と黒は色相環にないように、色相の問題ではなく、明度の問題になるから。
すべての光を合わせた『白』
すべての色を合わせた『黒』
人間に置き換えれば、すべてを合わせた感情を発することはできない、ということだろうか。
喜びながら悲しみながら怒りながらリラックスする、なんて無理。
完璧な人間がいないのも、それと同じ。
人間はどれだけ色を合わせても、完全に白になることはなく、完全に黒になることもない。
必ず補色が存在する。
補ってくれる色が存在する。
完璧じゃないから人を必要とする。
人を必要とするから交流が生まれる。
交流があるから、この世は豊かになる。
完璧であれば補色はなくなる。
完璧である必要はない。
完璧を目指さなくていい。
上を目指していこう。
みんなと協力して。
もっと鮮やかに輝ける上を。
そして、今の自分が精一杯できたこと。
ほんの少しでも上に行けたこと。
そんな自分を褒めてあげよう。
自分を肯定しよう。
人に喜ばれることをした自分。
人にお礼をされた自分。
ちょっとでも点数が上がった自分。
少しでも物事が分かった自分。
少しでも達成感を得た自分。
そんな自分を褒めよう。
『褒める自分』がいないと、『精一杯やった自分』の輝きさえも見えなくなってしまうから。
『厳しい自分』の補色は『優しい自分』。
補色があるからこそ、色は輝いて見える。
そんな自分を助けてくれる人がいるから、自分はもっと輝ける。
そんな自分が協力すれば、他の人ももっと輝ける。
補色と共に歩むなら、いろいろな色と手をつなぐなら、白や黒にもなれるかもしれない。
自分の目指す理想の自分へ。
みんなが生きる理想の社会へ。