『Winny』を見てきた。開発者の皆さんがんばってください
公開2日目『Winny』を観てきた。
やたらと食事シーンが多い映画だった。
NG出ちゃうと、食事の作り直し、役者さんによる食べ直しもあるので、撮り直しが大変そうだけど、食べるシーンは生活の一部だと感じさせてくれるので、食事シーンを用意するのは映画としてアリだと思う。取材した人が、弁護士の取材中に、よく一緒に食べていたのかもしれないし、脚本・監督の松本優作さんが食事シーンが好きなのかもしれない。
Winnyに関して、当時、私は利用しなかったはずだが、もちろん存在は知っていた。ただ、Winny事件に関してはネットに流れていた情報を表面的にしか把握していないので、事実については、置き去りにしてこれを書いている。
(参考:Wikipedia)
映画の上では、検察・警察が悪で、開発者の金子勇と弁護士が正義として描かれていたが、これは映画の見せ方の一つということにしたい。映画であった内容通りであれば、逮捕時に警察の取った手法については大きな問題があるが、どちらが絶対悪でもないし、そこは一端、置いて話をしたい。
金子勇さんへも言いたいことはある。すぐに悪用方法が思いつくツールを、何の対策も講じずにネットに放流してしまったことは感心できない。どこまで想定できていたかはわからないが、社会につながる悪意のない開発者であれば、いくらなんでも「すぐに使ってよ」と公開はしないだろう。
そう思っていても、ソフトウェアを実装できる人を私は尊敬する。
私は1999年から2019年くらいまで、名刺上は、エンジニアだった。でも、エンジニアとして自分でコードを書いていたのは、5年弱。ほとんどが既存のプログラムのメンテナンスのためにコードを書いていた。
仕事以外に自分で書いたコードなんて、一体、何行あるだろう。
私は仕事上、システム開発フェーズでは、人からシステムの要件を聞いて、実装できる人にパスすることが仕事だった。それだって、誰にでもできることではないとはいえ、サービスを思いついた時、すぐに動くものにできるエンジニアに憧れを持っている。
そんなエンジニアに憧れを持つ「エンジニア崩れ」の目から見ても、実装できそうなアイデアを試したくなること、それを人に伝えたいという欲求は理解できる。逮捕され、実装できる手はあるのに開発を止められてしまうことは、手を縛られているようなもどかしさを強く感じた。
(裁判中に開発を止められていたけど、何がNGなんだろう? →あとで調べよう)
どうやれば開発者のマインドとスキルが育まれるのだろう。金子さんの子どもの頃の回想で、家電ショップの店頭でPC6001を触ってたシーンがあった。私も小学生の時、父が買った PC6001で初めてプログラムを書いたので懐かしかった。
私は、たぶんPC6001で100行もコードを書いてないし、「こんにちはマイコン」の巻末にあった3,000行のテニスゲームのコードすら写すことを諦めた。
『Winny』の裁判の主張の一つにあった、ソフトウェア開発者が委縮しないようにしたい、という考えには共感できる。
もちろん、不適切な利用がすぐに想像できるものを公開してしまった金子さんへの批難の気持ちもある。金子さんに(いたずら心くらいでも)悪意がゼロだったとも思えないし、開発者としては、あまりに想像力を欠いているとも思う。
でも、「匿名性を維持して情報を共有する」というアイデアとそれを実装にしたことを、私が開発者だった時に、どこまで責められただろうか。
最近、犯罪で利用されている発話者を特定させない「テレグラム」だって、もともとロシアで反体制組織の中で、逮捕されないように使われていたと聞いた。どっちが正義で、どっちが悪か、ではなく、必要な人が、信じる正義のために利用できるものではあったはずだ。最近利用者が爆増しているChatGPTだってそうだ。直接、犯罪に手を貸すようなことは回答してくれなそうだけど、(犯罪)行為の具体的な実践方法、証拠の秘匿、誰かをだますことについて、一部、切り取って質問すれば、回答してくれるだろう。それが犯罪に利用されないなんて保証は1mmもない。
技術者を育てなきゃ…と言いつつ、サービスを出すとすぐに避難や中傷する人はいる。そういう声から開発者を守らなきゃ、とは思う。
でも、のびのびとやるだけでもダメだ。
最近、打ち上げに失敗したH3ロケットの失敗だって、残念だったね、と終わらせてはダメだ。批判的思考で、いち早くに検証することも大事だろう。
映画の中、金子さん(東出昌大さん)は、開発することを自分ができる「表現」だと言った。私は、自分の自己表現の一つとして、何か動くもの、機能やサービスを生み出せる開発者をやっぱり尊敬しています。
開発者と利用者を守りつつ、それでも、実装できる人を守れるように、自分もソフトウェア開発やセキュリティ業界の中で、できることをしたい。
本人が語る動画の中、少し前の質問に「若い人」という言葉があったせいもあるけれど、「若い人がんばってください」という発言は悲しくなってしまった。アイデアを実装できる人が、自分の若い時間を奪われ、夢中になれる時間を削られてしまったことが残念でならない。
あと、撮影おつかれさまでした。
当時のパソコンや携帯が出てくるシーン。あれを集めるために、秋葉原何回も行ったんだろうな。
部屋に置いてある筐体だけならともかく、
(あれもちゃんと電源入れておいてほしかったけど)
パソコンの画面を再現するのは面倒そう。
多くのソフトウェア開発する人が見て、感想が溢れますように。
私もいつか自分が作りたいサービスを実装する時のために、いろいろ考えておこう。今は、コードが書けなくても、実装できるサービスが増えてきた。サービス開発に実装する側で直接かかわるとき、その時にもう一度見てみようと思う。