死にたいと思う感情

死にたいと思う気持ちは
きっと間違った感情じゃない
 
生きたいと願う気持ちも
絶対に間違った感情じゃない
 
 
 
他人と交差する社会で生活していれば
いろんないろんなことがある
 
楽しいこと 悲しいこと
嬉しいこと つらいこと
 
 
 
ぼくらは他人と関わることでしか
生きていくことができない
 
他人は自分とは違うから
他人と関わることによって
思い通りにいかないことはいっぱいある
 
むしろ思い通りにいかないことしかないと
言い切ってもいいぐらいだ
 
 
 
そしてぼくらは自分の境遇や肉体を
自分自身で選ぶことができない
 
金銭的に恵まれた家に生まれたかったとか
愛情が溢れる親に育てられたかったとか
 
もっと身長が大きく生まれたかったとか
もっと胸が大きければよかったとか
 
どうしてガンの家系に生まれたのかとか
なぜ五体満足を失ってしまったのだろうとか
 
自分自身のことすら自分が思い描くようには
絶対にならないものだ
 
 
 
人間ってそんなものだから
そんなものでしかないのが人間だから
 
 
 
死にたいって、消えちゃいたいって
どうしたって思ってしまうものだ
 
 
 
それはひとえに死というものが
漠然としたもので
得体の知れないものだからでもある
 
目の前にある現実から逃げ出せるのが死であって
死の先に何があるのかすらわからない
 
だから根拠のない見えないものにすがりたくなって
現場から離れられるなら死のうって
 
死にたいって思うのだろう
 
 
 
そして死にたいって思うことは
生きたいってことの裏返しでもある
 
 
どんなことでも
「〇〇したい」と「〇〇できない」の間を
バランスをとりながら
どっちつかずのままに生きると
ドキドキして興奮して楽しくなるもんだ
 
 
「告白したい」と「告白できない」の間を
うろちょろして楽しむのが恋の醍醐味
 
「〇〇へ行きたい」と「〇〇へ行けない」の間で
妄想を膨らませるのが旅の醍醐味
 
「〇〇になりたい」と「〇〇になれない」の間で
もがき苦しみ憧れるのが夢の醍醐味
 
 
それと同じ
 
 
「死にたい」と「死にたくない(生きたい)」の間で
無意識のままに浮遊するのが人生の醍醐味
 
 
そんな気がする
 
 
だから死にたいと思う感情の底では
生きたいって思う感情も見え隠れしてるはずで
 
 
そう考えると死にたいって思うことは
人生を謳歌してるとも捉えれなくはない
 
 
 
いずれにせよ、生きていればいろんなことがあるわけで
本当、嫌なことばっかりしかないようなもので
 
 
つまんないなぁ 面白くないなぁ
つらいなぁ 悲しいなぁ
 
あぁ死にたい 死にたい
死にたくないけど死にたい
 
そんな風に思うのは正しくはなくても
少なくとも間違ったことじゃないはずだ
 
 
 
死にたいと思う気持ちは
きっと間違った感情じゃない
 
生きたいと願う気持ちも
絶対に間違った感情じゃない
 
 
 
実際に死んだら元も子もないから
 
思うだけにしておかなきゃ駄目だけど
 
 
 
 
 
そして他人に対して
「死にたい。死にたい」ってアピールをする奴には
本気で死ぬ気持ちなど毛頭なくて
 
「あなたが必要だよ」って言われたいだけで
非常に面倒くさい奴だから
関わり合いになるのは止めておいた方がいい