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特別でない日々が重なった奇跡の今日
久々の読書感想文。
毎回本を読み終わったら手帳に感想文を書いて、自己満足で終わってしまうけれど、
今回は「ぐるり」という本にちなんで、私の文を読んでくださる皆様にもこの小さな熱を伝えられるように、
ここに記そうと思う。
高橋久美子さんの「ぐるり」を読んだ。
私は彼女の紡ぐ言葉がとても好きだった。
元々高橋さんを知ったきっかけはチャットモンチーというバンドで、彼女が作詞した「ハナノユメ」を聴いたことだ。
初めて曲を聴いた時は、その歌詞と私の心の奥にある何かが共鳴しているのを感じた。
(聞いたことがない方はぜひ聞いてみてください)
私が高校時代、言葉で表すことの出来なかったその「何か」を高橋さんは私の代わりに言葉にしてくれていた。
音楽を聴く時はまず歌詞に注目してしまうから、高橋さんの言葉に出会った時からどんどんチャットモンチーの世界にのめり込んでいった。
今聴くと苦しくなる曲もある。
涙が出てしまうものもある。
でもそれは、辛い時にその曲に支えられていたからなんだな。
今まで彼女たちからのメッセージに何度も何度も救われたことが思い出される。
(ちなみに私がチャットモンチーを認識した高校時代はすでに高橋さんはバンド活動はしていなかったが、彼女が残した曲によって私はチャットモンチーが大好きになっていた。)
「ぐるり」はそんな高橋久美子さんが初めて書いた小説だった。
ずっと心のどこかで、読みたいな〜読みたいな〜と思っていたけれど、なかなか本屋さんに置いてなかったのだ。
しかし、今回ある本屋さんで運よく出会うことができた。本との出会いってどれも新鮮で忘れられないものばかり。
ひとつひとつに思い出があるんだな。
「ぐるり」は短編がいくつも繋がる形だったので、移動中など長い時間が取れない時でも読みやすかった。
高橋さんは、登場人物たちの過去・現在・未来のどこかが僅かにクロスする世界を描きたかったという。
その繋がりというものを感じながら、読み解きながら、少しずつ少しずつ読み進めていった。
ふと本から顔を上げると、少し落ち着いた帰りの地下鉄の中、多くの人が下を向いて座っていた。
私は今、この人々の物語の隅っこに存在しているのかな、と考えてみた。
あの人の視界の端っこに私は今生きているのか。
しかし私がその人の人生に影響を与えることはきっとないだろう。
私の存在は記憶されないし、すぐに消え去るものだから。
でも高橋さんは、あの頃のように再び私の思いを汲み取ってくれた。
街ですれ違う誰かの、きっと明日には消えていく特別でない物語。名前のない今日の、名前のない感情や出来事。その一コマに確かにあった熱を掘り起こしてみたかった。(あとがきより)
今朝一人で散歩した道には、何百、何千年分の、かつて生きた人々の足跡がある。そのどれか一つでも欠けていたら今とは違う朝だったろう。私達は特別でない日々が重なってできた、奇跡の今日を歩いている。(あとがきより)
この本で1番好きなのはあとがきだった。
高橋さんの内からでる言葉が好きだったのだと、今思い出した。
何も特別でない、私の1日。
何も名前のない、今の私の感情。
何の理由もない、私の涙。
あの子との会話。あの日出た声。
今私の内から出ている、この言葉たち。
何に影響しなくたっていい。
そんなのわからなくたっていい。
でもどうか私の周りの熱になってください。
そして誰か周りの人の熱をも、優しくあたためてください。
私たちは地球のどこかですれ違っているから。
電車を降りる。
本をカバンに入れながらぼちぼち歩き出す。
私は、毎日自分と会話しながら歩いていきたい。
ちゃんと自分と一緒に進んでいきたい。
横すれすれを、急ぎ足の人々が追い越していく。
私は彼らを視ながら帰り道を歩く。