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福島のホタル



二十六年育ったのが札幌市、生まれたのは福島県の小さい田舎で村のようなところだ。

産まれた病院は確か水害で流されたと何年か前ニュースで見た。そこで産まれただけ、記憶も何も無いのに濁流に飲み込まれる病院を見て言葉にならなかった。

父と母は生まれも育ちも福島県で母は私を産む為だけに帰省し幼稚園に上がる前には北海道へ戻り札幌で暮らした。


私は小さいころから農家がとても好きだった。大人になった今は農業が気になりやってみたいと思うこともある。一度、シャインマスカット農家の息子さんがお見合い相手を探しているのだがどうか?と会社の人から突然、縁談を貰ったことがあるが今思えば悪くなかったかもしれない。

昔は農家になりたいだとかそういうことではなくただ農家の畑や実る食材、広大な大地、田園風景や土の香りを嗅いだり見るのが好きでそこで働き、お昼にはお味噌汁とおにぎりと漬物を食べている農家の人を見るのが好きだった。


母の実家は福島の田舎で周りは山に囲まれ夏休みにはやまびこをして遊んだり夜には近くの池に集まるホタルを見たり、家の前で寝転んでみんなで星を眺めたり、近くを流れる川をそのまま生活水として使い、晩御飯には畑で取れた野菜や収穫したお米を食べて当時、小さいながらに素敵な暮らしだと感じていた。


初めてホタルを見たのは小学校低学年の夏、母の兄がいいモノを見せてやる、と私と従兄弟たちを連れて小さな池まで連れてきてくれた。日が落ちて群青色した空はまさにこれから夜になろうとしているところ

やわらかい黄緑色した光がいくつも見え、初めて見たホタルは幻想的で綺麗で目が離せなかった。母の兄が私たちを見てニコニコ笑った。


一度、探検と称して従兄弟たちと近くの山を登ったことがある。頂上からはどこまでも広がる青い空が続いていて少し怖かった。こういう遊びがあるんだとそこでやまびこを教えて貰った。姉と面白いね、とお互いの名前を何度も呼び合い返ってくる自分の声が不思議で楽しかった。


福島県が東日本大震災の影響を大きく受けたのは知っての通り、福島出身だというと必ず震災について聞かれるが大丈夫でした、とはとても言えない。国民がテレビで見たあの映像のまま、父も母も記憶に残る故郷の変わり果てた姿をただ毎日ニュースで見るだけで何も出来ず特に母は精神的なダメージを物凄く受けていたと思う。


幸いにも父と母の実家は多少のヒビや落下はあったが倒壊や津波の影響は免れた。それでも生活が簡単にもとに戻るわけではない。代わりに風評被害が酷く福島のお米は売れ残り野菜も何もかも沢山廃棄された。私はあまりお米を食べないが福島のお米が美味しくて甘いのを知っている。川を流れるその水は生活水としてそのまま使えるだけではなく、流れる川から手ですくって飲めることも出来るくらい綺麗な水だ。


テレビでは震災の時期が近くなるとこぞって復興番組や当時の映像を流す、復興と称するのならばどこがどれくらい再建され復興したのか国民に伝えて欲しい、忘れてはいけないと思うのならば定期的にテレビでやればいい。いつもそう思う。

夏休みに福島で見たホタル、ホタルは綺麗な水に集まると聞く。小さい田舎だったが夜になればどこを歩いてもホタルが飛んでカエルの鳴き声がした。


たまに母と話す、ホタルはまだあの池で見れるだろうか、と

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野田 あずき
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