地域はスポーツで変わる!
思い返してほしい。最近、地域の住民同士で交流する機会はあっただろうか。近所の友人たちと何かに熱中することがあっただろうか。
現代の日常生活において、住民同士のコミュニケーションの機会は著しく減少しているというのは多くの人が感じることだろう。核家族や単身世帯が増えたと話題になったのは、もはや昔のことで、現代の人々にとっては当たり前の状況と化している。
しかし、この「当たり前の状況」は自然に行き着いた形ではない。ある特定の人間が、この状況を産むべく尽力した結果である。
「1家族=1住宅」という形は産業革命の結果、都市部に溢れかえった労働者に住宅を供給するために始まったシステムである。産業資本家は優れた労働力確保し、生産力を向上させるためにもnLDKという形の住宅を労働者に提供し始め、労働者たちも喜んでその環境を受け入れた。
労働者たちにとって、労働の後に家族の団欒の時間を過ごせるプライバシーが確保された住宅は夢の空間であった。しかし産業資本家の狙いは「労働者が団結して暴動をすることを避けるため」と「安定した労働者を獲得し続けるため」であり、住民間の交流の場を排除し、夫婦の性生活のためにプライバシーの確保された住宅を作り上げたのだ。
結果生まれたnLDKは第二次世界大戦後の日本に輸入される形で導入された。住宅難の状況かつ高度経済成長期の日本において、これほど都合の良いシステムは他になかったであろう。
もう一度、思い返してほしい。地域の住民同士で交流に関して。
地域内で孤立化する弊害は、孤独死、介護問題、育児問題など多くの人が知るところであろう。これらは我々が「核家族」や「nLDK」、「プライバシーの確保」を当たり前として受け入れてしまった結果である。ではどうするべきなのか。
一つはnLDKという形を考え直すことである。しかし、これには多くの時間や経済力を必要とする。もちろん根本的解決のためには必要な条件であるが、すでに家を所有している人などには難しい話であろう。
もう一つは工夫して交流することだ。忘れかけていたが、この記事のテーマは「スポーツ」である(笑)。この工夫の仕方はいくらでも挙げられるだろうが、今回はスポーツを通して地域住民が交流することの可能性を考えてみたい。
もちろん、これには「特定の人しか参加しないのではないか」や「永続性がない」「主導者によってクオリティが左右される」などの限界があることは承知している。しかし、現状を憂いてばかりでも仕方ない。少しでも豊かに楽しく過ごせる工夫を提示することで、参考にしてもらえれば幸いである。
日本なりの財産
まずスポーツを地域交流のきっかけにするにあたって、隠れている日本のポテンシャルについて紹介したい。それは「校庭」である。
日本のスポーツ施設は手軽にスポーツを楽しむことができる空間が、上手く整備されていないのが現状だ。スポーツが街に根付いているような印象はあまりないだろう。しかし上手く活用できれば、大きな可能性を秘めた空間が校庭である。
日本のように広い校庭が確保されている国は珍しい。学校は徒歩圏内で通えるように学区が考慮されているため、多くの人にとって校庭は徒歩圏内に存在するスポーツ施設と捉えることも可能であろう。そのために校庭を地域住民に開放するのは有効な手段かもしれない。
しかし2001年、大阪の池田小学校児童殺傷事件をキッカケに日本の小学校は閉じる方向に向かって、セキュリティ強化の一途をたどっている。一定の手続きを踏めば地域住民でも利用可能な学校施設は存在するが、手軽さという観点ではあまり好ましい状況ではない。手続きをネットで完結できるようにするなど、工夫の余地がある部分である。
スポーツイベントをきっかけに
日本における「スポーツ」の効果としてイメージされる代表的なものは「教育」「経済」の二つであるように思える。前者は部活動や授業を通して、身体的な発達のみならず、精神をも鍛えるという文脈で捉えられることも多い。後者の「経済」はオリンピックやワールドカップなどのスポーツイベントによって生み出される経済効果に期待するという類のものである。
ただスポーツイベントが生み出す効果は経済の活性化だけではない。多くの自治体では経済的視点ばかりに目がいくケースばかりであるが、大きなイベントに乗じて、地域交流が活発になっている事例なども存在する。
2002年のFIFAワールドカップ日韓大会開催時のクロアチアチームのキャンプ地になった十日町市では、毎年クロアチアカップなどのサッカー大会を開いたり、クロアチアチームがキャンプをしたりするなどの交流が展開されている。また、その後のワールドカップなどでは日本だけでなく、クロアチアチームを応援するためのパブリックビューイングなどを開催している。「クロアチアとサッカー」を軸に地域住民が協力し合って、地域を盛り上げている。
散歩が変える地域
最後に筆者の友人が取り組んでいる例を紹介したい。
「あるっこ」というおさんぽコミュニティの代表の並木有咲さんである。
ハードルが低いスポーツである「散歩」を通して、コミュニケーションの活性化を図ったり、生活の充実に貢献することを目的としている。特に地域に密着した活動の展開を目指しており、地域住民同士が交流するためのハブになるのが目標だという。
歩いている間に生まれる会話は、現代の生活で減少している「井戸端会議」のような機能を果たし、孤立しがちな住民同士の貴重な交流の機会になりうる。また並木さんは交流を促進するため、それぞれが散歩の中で見つける小さな発見に着目した。プレイヤーが各々に面白いと思うものを収集するように散歩を展開するというもので、例えば「マンホールの絵柄」や「電線の絡まりかた」などがあるという。会話のきっかけになったり、地元の風景を新たな視点で見れるようになるだろう。
この取り組みは、一貫して参加するハードルが低い点に可能性を感じる。体格差が関係しないスポーツという部分も注目すべき点だ。現在は散歩イベントなど、単発の活動が主要なようだが、今後の活動には注目していきたい。
スポーツは交流の鍵となるのか
ここまで見てきたように、一言にスポーツを通した交流といっても多様であり、多くの可能性を秘めていると感じる。一方で現実的にどこまで浸透するのかという疑問も生じるのが正直なところである。
特に日常の中にスポーツを取り入れる難易度は高いのではないだろうか。すでにスポーツが趣味である人にとっては容易であろうが、そうでない人も多いはずである。
スポーツ単体では日常に取り入れるのが難しい。
これが筆者の思うところであるが、逆にパッケージ化した提案に可能性があるのではないだろうか。例えば決まった時間に散歩に出ることを、会社やワーキングスペースの取り決めとして打ち出すといった、働き方の提案などがあったら面白い。
前出の並木さんに聞いた興味深い話を勝手ながら紹介したい。
喫煙者は喫煙のたびに、喫煙所まで歩かなければならない。特に最近では喫煙所の数が減少しているために、比較的長い距離を歩く場合もある。すると喫煙をしているにも関わらず、座り続けている人に比べて健康である可能性があるといった言説である。確かに、座り続けることの人体への負担が大きいことは、様々な研究で明らかにされているところである。
逆に歩くことを定期的にできれば解決である。歩いている間に出る会話なども有意義なモノになるだろう。
これは働く場での交流になってしまったが、生活の仕方の提案をスポーツとパッケージ化できれば、より活発な地域が増えるのではないだろうか。今後もスポーツを活用した交流に注目する意味は大きいように思える。
参考文献
「脱住宅」山本理顕+仲俊治
「スポーツ×地域活性」の未来 日本に眠る「資源」の見つけ方
スポーツを核とした地域づくりを考える
ハードルの低いスポーツ「散歩」を通して人々の暮らしにアプローチする。
(文責:佐藤)
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