«1995» (6)
上智大学外国語学部の二次試験は、平成7年2月15日に行われた。
選考は終日にわたり、午前中が小論文とディクテーション、午後に面接だった。
ここまで覚えているのは、入学から間もない時期に別のエッセイに書き留めていたからで、記録しておくのは大切なのだなと今更ながらに思いもする。
試験前の教室に着くと、女性の姿が圧倒的に多く、取り残された想いがする。というよりも、小学校から12年間男子校で育ってきた僕にとって、同年代の女性がこれだけ同じ教室にいて馴染めるはずもありはしまい。
気持ちが落ち着かない中、ふと斜め前に視点が向かうと、座っていた女子が読んでいたのが、『しんぶん赤旗』だった。何というシュールな光景だろう。
周恩来、鄧小平、ポル・ポトらがパリに留学したように、彼女はフランスを拠り所にした革命運動を志しているのだろうか……
小論文のテストが始まる。テーマは要旨「字幕や同時通訳の発達したこの時代に、貴重な青春期を費やしてまで外国語を学ぶ理由は何か」というものだった。30年近く経った現在、様々な翻訳サービスが世に出てきたことを思えば、かなり鋭い問いかけだったと思う。たしか僕は、理屈の上での対話が成立しても、微妙な感情の入ったコミュニケーションを成立させるのは相手の話す言語を理解できることに尽きるのではないか、という内容を書いたように記憶している。
ディクテーションは、英語選択の人は同じ教室に残り、フランス語選択の人は別の教室に移動となった。そして、案内された教室で、フランス人女性が適当に雑誌のページをめくり、その場で範囲を決めて文を読み上げていたのには多少ならず驚いたが、事前に決めないのはたしかに一番フェアーなやり方かもしれない。そして、雑誌記事の読み下しがそれほど難しくないと思えたのは、高校の恩師が、新聞記事などの現代的なフランス語表現を叩き込んでくれたお陰だと、つくづく感謝したものだった。