第12回:石積みとイタリアの田舎の話3 遅れた小さな、でも魅力的な町のこと(真田純子)
人文地理学者の湯澤規子さんと景観工学者の真田純子さんの、「食 × 農 × 景観」をめぐるおいしい往復書簡。田舎には魅力が詰まっていると思ったのは、世代的なものがあったかもしれない、と語る真田さん。イタリア留学時代の体験を語ります。
1974年生まれの世代観
今回は、第9回の湯澤さんの手紙のなかで気になった、時代的なものについて話をしたいと思います。湯澤さんも私も1974年生まれですが、これは経済成長期の経済成長が止まった年です。1973年に8.0%だったGDPの成長率は、1974年には-1.2%になっています。そして、成長してからのバブル経済は1986年から1991年。大学に入学したのが1993年なので、一人暮らしをして自分で主体的にお金を使うようになったときには、バブルもはじけていたんですね。経済成長や好景気の恩恵をあまり受けていない世代というのも、そういうものにあまり価値を置かないことに関係しているのかもしれません。
湯澤さんが卒業論文で小規模家族経営によって成り立つ地場産業を研究テーマに選んだとき、「遅れた地域を調べる意味がどこにあるのか」と問われたという話がありましたが、あぁ、そんな時代だったかと驚きました。
「遅れた地域」に目を輝かせた留学時代
ちょうどそのころ、私はイタリアに留学していて、まさに「遅れた地域」に目を輝かせながら住んでいたのです。留学といっても、大学に行くのではなく、EUと日本の経済産業省(当時は通産省)が共同でやっているインターンシップのプログラムです。最初の4か月で語学学校に行って現地の言葉を学んだ後、残りの8か月は企業で研修するというものです。
語学研修の間はフィレンツェにいて、そのあと、ベネチアで企業研修だったのですが、そこであまり仕事に参加する機会がなく、そこは3か月でやめて、ラブロという小さい町にある建築事務所に半年ほどお世話になりました。
その事務所は建築雑誌で見つけて、自分で電話をかけて交渉したのですが、そのときに「特殊な町だから一度来てみた方が良い」と言われました。当時まだインターネットも普及してなかったので、行ってみないとどんな場所かわからなかったんですよね。ベネチアから列車を乗り継いで数時間かけてテルニ駅に着き、迎えに来てもらってから車で30分ほど。着いたところは岩山の頂上にある集落で、その当時の人口は55人。町の中には車道はなく、石畳の細い道があるだけの町でした。町の内部は全部徒歩といっても、5分もあれば一周出来てしまうような小ささです。また石畳といっても、きれいにカットされた石が敷き詰められているのではなく、丸石が凸凹に敷き詰められているようなもので、ハイヒールなんかではとてもじゃないけど歩けないような場所でした。基礎から建て替えられた家は中世のころから一軒も無いと言われていて、まさに「遅れた地域」と言えると思います。
なぜその町を面白い! と思ったのか
しかし、私はその町が「面白い!」と思って、そこで研修することにし、結局、半年ほどそこに住みました。家は、岩山を掘って床と壁、屋根を付けたようなもので、実際、家の内部には岩が露出しているところがありました。道を挟んで下の家に住んでいる人の家では、雨が降ると壁の岩盤から水がしみ出てきたそうです。家の中の床は素焼きのタイルだったのですが、その下はそのまま岩盤だったようで、洗濯機を持っていなかったので手で絞って水滴がぽたぽた垂れる洗濯物を干していても、朝には床がすっかり吸収してくれていました。
暖房は暖炉だったのですが、薪を購入するのが遅すぎて乾燥した薪が買えず、切ったばかりの新鮮な(!)薪をくべて一冬を過ごしました。水分を含んだ薪では火が弱すぎて、毎晩、体半分は暖炉の中に入って過ごしていました。
町のなかにはよろず屋と呼べるような小さなお店が1軒あるだけだったので、たまに近くの街に出なければならないのですが、街とつなぐバスは一日一往復しかなく、とても不便でした。
しかし、冬の朝には毎日眼下に雲海が広がり、夜にはこぼれ落ちそうなほどの星が見えました。不便なことも含め、とても楽しかったのです。
またちょうどその頃、ベルギーの建築家がその町の価値を見出して、石造りの建物にガラスをはめ込んだり、鋳鉄の格子扉をつけたり、単なる復元ではない修復をしていました。まだ日本にリノベーションという言葉が普及する前で、当時の私にとって、とても新鮮で魅力的に思えました。
思えば、その頃から田舎には魅力が詰まっていることを体感していたわけです。そんな不便なところを「面白い!」と思えたのも、先にお話ししたような世代的なものがあったのかもしれないですね。そして、湯澤さんの卒業論文のときの話を聞いて、そんな時代に「遅れた小さな、でも魅力的な町」に出会えたのは幸運だったのだなと改めて思いました。
次は、まだ考え中の「主権(≒自分たちで手を入れられること)」の話なども書ければよいなと思っています。
プロフィール
◆真田純子(さなだ・じゅんこ)
1974年広島県生まれ。東京科学大学環境・社会理工学院教授。専門は都市計画史、農村景観、石積み。石積み技術をもつ人・習いたい人・直してほしい田畑を持つ人のマッチングを目指して、2013年に「石積み学校」を立ち上げ、2020年に一般社団法人化。同法人代表理事。著書に『都市の緑はどうあるべきか』(技報堂出版)、『誰でもできる石積み入門』(農文協)、『風景をつくるごはん』(農文協)など。