ストーリー04 町のパン屋ウメキチさん
ウメキチさんは小さなパン屋さんを始めました。それまで大きな企業で朝から晩まであくせくと働いてきました。満員電車にゆられて出勤し、自分が役に立っているか分からないままデスクワークをこなし、黙々と与えられた仕事をする日々でした。そんなとき、脱サラしてパン屋を営むようになった人の新聞記事が目に止まりました。ウメキチさんはなぜか強く心を惹かれました。自分も何かを追求して、ものを作りながら生きていきたいと思うようになりました。それで思い切って仕事を辞め、この町で夫婦いっしょにパン屋を始めることにしたのです。
ウメキチさんの思っていたとおり、とてもやりがいのある毎日でした。どうやったらおいしいパンが焼けるか、いろいろ試して熱心に研究しました。朝早くから夜遅くまでクタクタになるまで働きました。会社員時代と違って、パン作りであれば苦になりませんでした。
それでもときどき、こんな考えが頭をよぎることがありました。私は好きなパン作りに没頭している。自分は幸せだけど、これが人の役に立っているだろうか。妻には苦労させ、迷惑をかけている。自分のしたいことに人を巻き込んでしまって、わがままなのではないか。こんなことを続けていいのだろうか。どんどん否定的な考えがふくらんでいき、不安になってすべてを投げ出したくなってしまうのでした。
お店には、少しずつですがひいきにしてくれるお客さんがつき始めました。近所のおばあちゃんもその一人です。毎日十一時半ぴったりに手押し車を押しながらやってきます。十分ほどかけて、狭いお店に並んだパンを一つひとつじっくりながめます。最後にその日のパンをひとつだけトレーに乗せ、レジに持ってきます。毎日毎日、おばあちゃんは決まった時間に来て、その日のパンを一個買って帰るのでした。
妻とおばあちゃんの会話から、いくつかのことが分かってきました。近所で一人暮らしをしていること。お店に来るのは毎日の散歩コースだということ。買ったパンをお昼ご飯に食べること。朝食、夕食は宅配の食事をしかたなく食べていること。お昼のパンだけを楽しみにしていること。
ウメキチさんはおばあちゃんのことを聞いて、自分のしていることが人の役に立っていることを実感しました。自分のためにおいしいパンを追求しているけれど、おばあちゃんの楽しみにもなっている。私がしていることはわがままな道楽ではなく、誰かを幸せにすることなんだ。
おばあちゃんの存在は大きな励みになりました。 十一時半になると、 ウメキチさんも手を休めて、お店に顔を出すようにしました。おばあちゃんとたわいもない会話を少しだけして、今日のパンを選ぶのを見届けると厨房に戻ります。ウメキチさんにとってもこれが日課になりました。
「パンを手に取ってくれる人を幸せにするんだ」
いつもそう自分に言い聞かせながら、パンを焼くようになりました。